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号泣する妻に起こされ、新年早々に一番の楽しみを失った話

どうも、タジです。

現在、妻のお腹には私たちの第4子がいます。
2020年6月の執筆時点で妊娠15週ですが、12週で頸管長が20mm(一般的な妊婦の半分以下の短さ)になり、ハイリスク妊婦として現在入院中です。

妻は体質的につわりがひどく、妊娠直後から約2ヶ月は実家に帰省。
ようやくそれも良くなった矢先に切迫で入院ですので、5歳の海ちゃんは約3ヶ月ほどママとまともに会えていません。

でも家族一丸となって頑張っています!
今度こそ、可愛い赤ちゃんに会えると信じて!

胎児水腫で亡くなった青ちゃん

第2子の青ちゃんは、2018年2月。妊娠13週、41gという小ささで死産しました。

くわしくはこちらの記事に書いています。

同年8月に第3子を妊娠。
2019年4月に出産予定で、令和元年ベイビーの誕生を本当に心待ちにしていました。

妊娠発覚のタイミングが、偶然にも第2子が本来産まれてくる予定日だったので、「青ちゃんが命のバトンをつなげてくれた」と、本当にそう感じていたのです。

ところが…

号泣する妻

2019年1月6日深夜。
身体をゆすられた感覚があり起きてみると、そこには号泣している妻が。

私はおどろき、「どうしたの?」と声をかけると。

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たしかに日中も「胎動を感じない」と話していました。
しかし、海ちゃんとお菓子づくりをしていたので、気にならなかっただけだろうと、そのときは深く考えていませんでした。

週数は24週。

青ちゃんのこともあり、特にこの時の妊娠では神経質になっていたと思います。

海ちゃんのときは「赤ちゃんの発育が楽しみ」という明るい気持ちでむかえていた妊婦健診も、「何か問題がみつかったらどうしよう?」という不安の気持ちが勝っていました。

そして、安定期をむかえたときは「ようやくここまで来た!」「もう大丈夫だろう!」「今度こそ赤ちゃんに会える!」と、長い緊張から開放されて大いによろこんだものです。

だから「赤ちゃんが動かない」と言われても、妻のかんちがいだと思いました。
だって安定期なんだし。

夜中に号泣した状態で起こされても、まだそう思っていました。

いや、そう思いたかったのです。

リアル

とはいえ、このまま不安な妻を放っておくわけにはいきません。
すぐに夜間の救急に電話をし、寝ている海ちゃんを祖母にあずけて2人で病院へ急行。

その道中は、妻を元気づけるためになるべく明るくふるまいました。

「今、胎動感じたらどうする?引き返す?笑」

なんて話をしたのをおぼえています。


病院へ着くとすぐに妻は検査室へ。

待合室で待つこと数分。私も部屋へ案内されました。

中には診察台に寝ている妻と看護師さんの2人だけ。

(これから先生が来て検査かな?)
と思っていたら、目を真っ赤にした妻が私の手をにぎり一言。

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「…えっ!?」

と言葉がつまり、ドクンドクンと脈打つ心臓。
頭の中は真っ白です。

(冗談でしょ?)
(何言っているのかわからない!)
(そんなことってあるの?)

ほとんど言葉がでず、色んな考えが頭の中をよぎります。

(でも早期発見ならまだ助かるんじゃない?)
(このくらいの週数で産んで元気に育っている子もいるし!)


その時点ではまだ看護師さんの判断でしたが、すぐに先生が来るとエコーを見ながら落ち着いた口調で説明してくれました。

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「ざんねんながら、赤ちゃんはお腹の中で亡くなってしまったようです」

「エコーを見ると異常は見当たらず、逆子も戻っています。ただし、血液が心臓まで通っていないみたいです」

「原因は産んで赤ちゃんを見ないことにはわかりません」


そこまで話を聞いても、私たちはまだ現実を受け止められません。

(心肺が停止しているのはわかったよ!で、助かるの?助からないの?)

たえきれず、妻がふるえる声で質問しました。

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すると先生は、より一層ていねいな口調で

「この週数でお腹の中で亡くなっている赤ちゃんは、生きられません」

「万が一、手術で蘇生できたとしても、障がいが残る可能性があるし、長くは生きられないでしょう」

「お母さんに気づかれないように静かに亡くなったのは、お子さんがお母さんに大変な思いをさせたくないと思ったからだと思いますよ」

「むしろよく気づきましたね?本当にえらいです」


その話を聞くと、2人ともボロボロと涙があふれました。

(またしても赤ちゃんを元気に産んであげられなかった…)
(こんなに頑張ったのになぜ?)
(なんでこんなにつらい思いを2度もしなければならないの?)


去年、青ちゃんを失ったショックは本当に大きく、今度こそ絶対に元気な赤ちゃんを産みたいと、慎重を重ねてきたつもりです。

海ちゃんが切迫早産で産まれたことで、妻の妊婦健診の頻度は一般的な妊婦よりも多い2週間に1回ペースだったのも、私たちにとっては安心材料でした。

妻がつわりで体重を7kgも落としている間、私は1ヶ月以上子どもをひとりで育て妻を支え続けました。

どんなことでも、元気な赤ちゃんに会えると思えば辛いことなどありませんでした。

それなのになぜ、昨日まで元気に妻のお腹をけっていた赤ちゃんは、またしても元気に産まれてくれないのか?


「日が明けたらもう一度、いつもの先生に診てもらいましょう」

そう言われ、妻はそのまま入院。
祖母に連絡し、私もよりそって病室に泊まりました。

告白

日が明けた同日。
残念ながら再診の結果も変わりませんでした。

私は妻の入院セットをとりに家へ帰り、その後、祖母が海ちゃんを連れて病院に来ました。

海ちゃんは私たちに会うなり

「もー、どうしていなくなっちゃったの?さみしかった!」

と、ご立腹。

そりゃ、朝起きてパパもママもいなくなっていたら、おどろきますよね。

その後、病院に興味津々な海ちゃんは病室からとびだし散歩へ。
それを追いかけ、ゲストルームで2人きりになったところで、今回のことを正直に告白することにしました。

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「これから真面目な話をするから聞いてちょうだい」
「うん!」

「実はね、赤ちゃんがママのお腹の中で死んじゃったの」
「えー、楽しみだったのに」

「だからね、ママはこれから赤ちゃんを産まないといけないから、しばらく会えなくなるの」
「えー、さみしい」

「ママも一生懸命がんばるから、一緒にがんばれる?」
「…」

結局、最後はうなずきませんでしたが、赤ちゃんと遊べなくなることをすぐに察知したことにおどろきました。

不安定な2人

この日、先生と面談し分娩までのスケジュールが決まりました。

2019年
1月6日|診察・今後の説明
1月7日|ラミナリア(子宮口をひらくための器具)
1月8日|陣痛促進剤・分娩

私はずっと妻によりそってあげることができましたが、海ちゃんの幼稚園が冬休み中だったので、だれかが面倒を見なければなりませんでした。
(幼稚園にお願いすることもできましたが、それまで長時間預けたことがなかったので海ちゃんの負担を考えてやめました)

第2子の経験上、8日に分娩したら9日に診察して10日には退院できます。

そこで6~7日は妻の実家、8~9日は私の実家で、それぞれ祖母に面倒を見てもらうことになり、10日は自宅で妻の退院を待つことにしました。

私にできることは、とにかく妻と海ちゃんの心のケア。

そう考え、海ちゃんをそれぞれの実家で寝かしつけたら病院へ行って妻の病室で一緒に寝て、早朝に海ちゃんのもとに戻る、ということを繰り返していました。

私がそばにいない間は、妻は考え込んでずっと泣いていたそうです。

そばにいるときでも

「出産をがんばれない」
「みんなは元気な赤ちゃんに会えるから、つらい痛みにも耐えられるんだよ!」

と弱音をはいていました。

それに対し「がんばって」などとは、とても言えず、ただただ聞いてあげることしかできませんでした。

日中は元気な海ちゃんも、夜になるとさみしくなるみたいで、

「ママに会いたい。おうちに帰りたい」

と、布団の中ですすり泣く夜もありました。

辛い、辛い毎日でした。

「おめでとう」空ちゃん

2019年1月8日。
分娩予定日です。

この日も、青ちゃんが産まれた日と同様に、すみわたる青空にめぐまれました。

それはまるで青ちゃんが迎えに来てくれたかのように。

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そこで私たちは産まれてくる子どもの名前を「空ちゃん」と名付けることにしました。
これなら男の子でも女の子でも変じゃないですしね。

青ちゃんのときは朝一に促進剤を投与して昼に産まれたので、今回も同じくらいだろうと予想。

案の定、12時半ころには陣痛が強くなり13時09分破水。
13時15分に無事出産しました。

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測定の結果、産まれてきたのは590gのかわいい女の子。

手足の指もしっかりあり産毛も生えていて、青ちゃんにくらべて10倍以上も大きいので、より形がちゃんとしています。

私は女の子がほしかったので、とてもうれしかったです。

3度目のことながら、妻は毎回安産で安心させられます。
産む前が人一倍大変なので、分娩のときだけでもスムーズで本当に良かった。

でも前回の出産とちがったのは、助産師さんも看護師さんもみんな、赤ちゃんが産まれた瞬間「おめでとう」と声をかけてくれたことでした。

実はこれ、妻が事前にお願いしていたことだったのです。

死産の場合、おそらくは他の病院でも「おめでとう」とは言ってもらえないでしょう。
たしかに周りからすると、元気な姿で産まれてくる赤ちゃんに比べ祝福をためらってしまうのも分かります。
妊婦がどのような気持ちで出産にのぞんでいるかも分からないでしょうから。

しかし、青ちゃんを産んだ時、だれからも「おめでとう」と言われなかったことが、妻はとても悲しかったのだそうです。

「この世に誕生して第一声目に祝福の言葉を言ってもらえないなんて、あまりにもかわいそう」

そう話していました。

そこで分娩前夜、看護師さんに「何か言っておきたいことある?」と聞かれて

「赤ちゃんが産まれたら、おめでとうと言ってもらいたいです」

と、お願いしていたそうなのです。

その話を聞いた時、改めて心の優しい人だと思いました。
私は妻のそういうところが大好きです。

「おめでとう空ちゃん。私たちのところに産まれてきてくれて、本当にありがとう」

人の寿命

産後の夜、妻からこんな話を聞きました。

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有名な本の話だそうなのですが、本人もうろ覚えで多少脚色しているかもしれませんが、この話を聞くことで、亡くなった赤ちゃんを「かわいそう」と思うことはなくなりました。

そして、悲しいけれど「私たちを選んでくれてありがとう」という気持ちがわいてきます。

同じ苦しみを味わっている人にこの話が伝わって、私たちのように少しでも気持ちが救われてくれたらうれしいです。

海ちゃん、ご対面

2019年1月10日。
前日の術後診断も異常がなく、この日の血液検査もクリアしたため妻が空ちゃんと退院しました。

青ちゃんのときと同様、空ちゃんは保冷剤がしきつめられた発泡スチロールの容器に入った状態でした。

死産とはいえ通常の出産と同じくらい妻は身体にダメージをおっているので、しばらくは安静。
そのため家に帰り身支度を済ませたら、妻の実家に帰省することになりました。


「いらっしゃい、空ちゃん」

空ちゃん、はじめてのマイホームです。

さて、ここで悩みが。
それは、海ちゃんに空ちゃんを見せるかどうするか。

青ちゃんに比べ人としての形を保っているとはいえ、通常の赤ちゃんとはやはり違います。

海ちゃんにとって刺激的すぎる心配もありますが、子どもながらに心ない発言で妻を傷つける心配も…。

そこで妻が確認。

「空ちゃんに会いたい?」
「会いたい!」

「普通の赤ちゃんとちょっと見た目が違うけど、びっくりしない?」
「大丈夫!」

その言葉を信じ、恐る恐る容器のふたを開けてみせました。

すると海ちゃんが、おどろきの反応を見せます。


「かわいいー!」

そのあとも、

「そうだ!絵本読んであげる」
「これがダッフィーだよ」
「いないないばー!」
「みてみて、鉄棒!」

と、めちゃくちゃお姉さんをしているではありませんか!!

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そのけなげで純粋な姿に、私たちの涙腺は完全崩壊!

もともとお腹の中にいるときには、そこまで赤ちゃんに関心を示すことがなかったので、本当におどろきました。

空ちゃん、やさしいお姉ちゃんで良かったね!

バイバイ空ちゃん

2019年1月11日。
あっという間に火葬の日を迎えました。

皮肉にも、1年前に経験したことだったので段取りがスムーズでした。

出産翌日の9日、市役所に「死産届・死産証書」を提出。
その場で担当者から火葬の予約をしてもらうのですが、子どもの体重を伝え、お骨が残るよう朝一に焼却してもらうようお願いしました。
(子どもの大きさによっては低温で焼かないとお骨が残らないため、朝一じゃないと温度調整ができない場合があるからです)

骨壷は事前に手配。
青ちゃんと並んで置きたかったので、まったく同じものです。

7日にAmazonで購入し、10日に届きました。

そして今回も喪服に着替える前に、家族写真を撮影。
海ちゃんの手には青ちゃんもいます。

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ドレスアップもばっちり!

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棺は45cmサイズで、風呂敷と合わせて4,500円でした。
空ちゃんの身長は35cmだったので、ちょうど良かったです。

最後に私たち3人からの手紙と、天国に行ってもさみしくないように家族写真をそえました。


火葬場に着くと係員に市役所で交付された「斎場使用許可申請書」「斎場使用許可証」「死胎埋葬・火葬許可証」を渡します。

前回の反省もふまえて、今回は祭壇にかざるお花やお供え物もしっかりと用意。

早く到着したので「さっそく始めますか?」と聞かれましたが、妻の心の準備ができるまで待ってもらい、何度も何度も空ちゃんに声をかけなでてあげました。
(海ちゃんは飽きていましたが…)

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そして、いよいよお別れのときです。

火葬炉にゆっくりと棺が運ばれると、妻は弱々しくふるえた声で

「いやだ…。いやだ…」

と何度も言っていました。

(バイバイ、空ちゃん)


待合室で待つこと数十分。
納骨に呼ばれましたが「骨が大きいので用意してもらった骨壷に入りきらない」と言われました。

買う時はそこまで頭が回らなかったのですが、私たちも「青ちゃんより10倍以上大きいのに入るのかな?」と、心配していたのです。

そこで火葬場で用意できるものを急きょ購入し分骨することに。
(分骨証明書というものを書くことになります)

青ちゃんと同じ骨壷は、自宅に持ち帰りリビングに置いています。

これでずっと家族一緒だよ。

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ちなみに、火葬場で購入した大きな骨壷ですが、しばらくは実家の仏壇に置いておりましたが、後ほど青ちゃんの骨を少し入れて、先祖の墓に埋葬することになりました。

死因は?

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ところで結局死因はなんだったのかというと、実は分からずじまい。

病理検査の一種で胎盤の組織を調べてもらいましたが、それでもはっきりとした原因は分からなかったのです。

モヤモヤする気持ちはありましたが、正直、私は原因を知るのがこわくもありました。

青ちゃんの死因は、胎児水腫という赤ちゃん側の病気でしたが、死産が2回も続くと「妊婦側に原因があるのかも?」という不安が嫌でも頭をよぎります。
そして、それを一番に感じているのが妻本人でした。

病理検査の結果、妻になんらかの問題があると発覚したら、自責の念で次の出産への前向きな気持を持てなくなるでしょう。

でも原因が判明し、それを未然に防ぐことで次の出産の成功率が高まるのであれば、ぜひ知りたいという気持ちもあります。


ただ、おそらく今回も妊婦側の原因ではありません。

なぜなら、先生は何も言いませんでしたが、空ちゃんを取り上げてくれた看護師さんが、おそらく死因は臍帯過捻転(さいたいかねんてん)だろうと説明してくれたからです。

「何らかの原因でへその緒がねじれてしまい胎児に栄養がいかなくなること」らしく、空ちゃんのへその緒の先端が細くなっていたのが、その特徴なのだとか。

看護師さんが診断を下すことはできないので「先生には内緒ね」と言われましたが、ハッキリとした原因が分からなくなった今、私たちは死因はそれだと思っています。

その方が「防げない事故だったんだ」と思えますし、「空ちゃん、お腹の中で元気いっぱいに動き過ぎちゃったんだね」と、少しは明るく受けれられるようになってきたからです。

0.0002%

無意味だと分かりつつも、調べてみました。

胎児水腫で亡くなる確率=0.02%
(参考|非免疫性胎児水腫30例の検討
妊娠22週以降の死産率=1%
(参考|日本産婦人科学会周産期登録データベース

一人の妊婦が胎児水腫と安定期死産をダブルで経験する確率は、なんと0.0002%という低確率でした。

なぜ調べたかと言うと、非常に稀なことであればあるほど、次こそは大丈夫と思えるからです。

しかし、そんな数字は気休めにしかなりません。

妻は空ちゃんの遺体が焼却されているとき、待合室でこう話していました。

「もうこれは、海ちゃん一人を愛してあげなさいって意味なのかな?」
「今が3人で十分幸せなんだから、もうこのまま3人でいいんじゃない?」

ずっと海ちゃんに弟妹が欲しいと言っていた妻がこんなにも弱気になるほど、2度の赤ちゃんとのお別れは、深い悲しみだったのです。

そして、
「3度も出産しているはずなのに、どうして目の前には海ちゃん1人しかいないの?」
と、大粒の涙をこぼしました。


なんて残酷なのでしょうか。

出産とは本来、人生でとびきり幸せなイベントであるはずなのに。
令和元年という記念すべき年に赤ちゃんが産まれるのは、その年一番の楽しみだったはずなのに!

どうして私たちは、子どもを産むたびに悲しみの涙をこぼしているのでしょうか。


この試練に意味があるのであれば教えてほしいです。

こんな辛い思いをするくらいなら、妻が言うように子づくりをあきらめた方が良いのでしょうか?

それでも子どもがほしい!

それでも私たちは前に進むことにしました。
冒頭で触れたように、現在、妻のお腹には私たちの第4子がいます。

こんなにも辛い経験をしてきたのに頑張れた最大の理由は、はじめて空ちゃんに会った時の、あのうれしそうな海ちゃんの姿が目に焼き付いているから。

この子のためにも、弟妹を産んであげたい!


海ちゃんだけでも十分すぎるほど幸せです。
でも、幸せは多い方がいい!

こんなかわいい子どもがもう一人いるなんて、想像するだけで幸せがあふれます。
そういう家庭を思い描いているからこそ、前に進むことができるのです。

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青ちゃんのときに続き、今回も海ちゃんの姿に元気づけられ、再び希望をもたせてもらいました。
本当の最愛の娘です。感謝しかありません。


また、世の中には私たち同様、複数回の死産経験者もいれば、そもそも赤ちゃんができない苦しみを味わっている人も大勢います。

妻は入院中、そういった人たちのブログを見て勇気をもらっていました。
代わって感謝申し上げます。


私たちは、これからも家族一丸となって試練を乗りこえてみせます。
いつか同じ苦しみを味わっている人たちに、希望を与える側になれることを信じて。

それでは。

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