できるだけ、気の赴くまま今を生きる
先週、祖父母のお墓参りに行った。お供えする花が菊だけだとなんだか味気なくて、桜を足してもらったらすごくかわいくてうきうきした。喜んでくれてるといいな。
お墓参りに行って祖父母と話すと、自分が今生きているということをいつもより少し強く感じる。
人生はいつか終わる。私も、祖父母がいるところへいく時が確実にくる。その時がいつくるかなんて分からない。もしかしたら今日かもしれないし、明日かもしれない。そんな当たり前のことを、いつも私は頭の隅へ放ってしまう。
明日やろう、今度言おう、タイミングがあったら、なんて言って。
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毎日のようにイヤフォンから流れる音楽を聴いていると、私はあとどれくらいの曲と出会ってどれくらい好きな曲を見つけられるんだろう、とちょっと大袈裟なことをぼんやりと考えることがある。
音楽だけじゃない。
行きたい場所、見たいもの、食べたいもの、したいこと。どれだけ実現できるだろうか。
大事にしたいもの、一緒にいたい人をどれだけ大事にできるだろうか。
どれほど考えても分からない。人生はどうなるか分からないってよくいうけど、人生どころか、1年後だって1ヶ月後だって1週間後だって、人は知ることができないし。だからとにかく、今できることをやっていくしかないのだと思う。
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20歳過ぎたあたりから急激に増えた、歳取った系の会話。高校生を見ていいなー若い...と言ったり、肌が荒れやすくなったとか前より食べる量が減ったとか、私たち歳取ったね...と悲観する感じになることが増えた。なんとなくノリで話を合わせてしまうけれど、歳をとることはそんなに悪いもんじゃないと私は思う。誕生日なんて別におめでたくないという大人もいるけれど、その歳まで生きたっていう素敵な日だと思うし。小さい頃は確かに気楽で楽しかったし、学生の頃に戻りたいと思うこともあるけれど、今だからできることがあってそれなりに楽しいから24歳の今の私も悪くない。過去の自分が未来の自分やるじゃんと思うほど、今をキラキラさせられる人でありたい。
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この前読んだ小説に、これが最後の食事だったらカロリーも栄養も何も気にせずに好きなもの好きなだけ食べるけど、まだ長生きしたいと思ったら何も気にしないのは難しい、みたいな会話があった。それでいうと私は、好きなものを好きなだけ食べながらも、健康でいるために運動したり生活習慣を整えたりするスタンスでいたいと思った。欲張り。
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そもそも、自分の意思を大事にというけれど、自分の意思を見失わないことがこの社会ではすごく難しい。SNSやニュースを見れば普段は関わらないようないろんな人がいて、いろんな考え方があって、何が正しいか間違っているかも分からなくて。どれが自分の意思か、あやふやに曖昧になってしまう。特に就職とか結婚とか、人生の大きな出来事であるほど、自分がどうしたいのか見失いそうになる。
それに、人はすぐ物事に理由を求めてしまうように思う。過去がこうでこういうことをしてきたから将来こうしたい、とか、こういう理由があってこうなった、という繋がりを求めすぎる。繋がっていないと変で良くないことみたいに感じる。どうして〇〇が好きなの?どうして〇〇しようと思ったの?とつい聞いてしまうし聞かれる。でも本当は、なんとなくやりたいから、なんとなく好き、そんなもので十分だと思う。
BUMPだってこう言ってる!
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将来を考えることも理想を目指して準備をすることも、すごく大事なことで。今に目を向けることも、同じくらい大事。人間だから、理想はどんどん膨らむし、つい周りの人や過去の自分と比べて悩む日もあれば、どうしたってやりたくないことをやらなきゃいけない時もあるけれど。
理由なんか無くていいから、ふわふわしててもいいから、自分の気が赴くままに生きられたらいいなと思う。少し将来を見て迷いながら、それでも今ある幸せに目を向けて、目の前のやるべきことを先延ばしにしないで、有限な今を生きていたい。
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