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③[病気の壁を越えて〜ルワンダでの新たな奇跡の始まり〜] 地獄の中でのアフリカとの出会い

こんにちは、アフリカと子どもが大好きな19歳のハセガワトアです。

今回は、前回の話の続きですので、よろしければ前回の投稿も読んでいただけると嬉しいです。

前回の投稿で、起立性調節障害を発症してから、それをきっかけにパニック症やチック症を発症するところまでお話ししました。

今回は、小学校卒業から高校に入学するくらいまでのお話をしたいと思います。

小学校卒業、そして中学校に入学

義務教育ですので、ほとんどまともに学校に通えなかった私ですが、小学校は卒業することになります。

となれば問題になるのは卒業式です。

音楽会の練習を機にパニック症を発症した私は、そのころには、長時間立つことだけでなく、大人数が集まることに対しても過度に緊張するようになっていました。

また、今回は卒業式という厳かな儀式。

チックの症状で激しく体が動いてしまったらどうしよう、卒業証書授与のときに前でパニックになったらどうしよう、合唱の時に倒れてしまったらどうしよう。。。

そのような心配からくる緊張は、それまで生きてきた中で一番でした。

また、本番の日まで、私は一度も最初から最後まで練習に参加できたことはありませんでした。

だから本当に卒業式当日を迎えるのが不安で、心配で、憂鬱でした。

しかし、なんと本番は一度も退出せずに出席できたのです。

そのことが自分にとって大きな自信になりました。

完全に症状がなくなったわけではないですし、そのような儀式が得意になったわけではありませんが、一つの成功体験を得ることができ、なんとか良い記憶を最後に小学校を卒業することができました。

そしてその自信が良い影響をもたらしたのか、中学校入学を機に、起立性調節障害の朝起きにくいという症状は、次第に改善していきました。

病気と闘う中でのアフリカとの出会い

朝は起きられるようになったものの、パニック症やチック症はほとんど改善しないまま、中学生活を送りました。

特に合唱を行う文化祭の時期は、小学生の時の音楽会のトラウマから、毎年症状が悪化していました。

しかし幸いにも、良い友達に恵まれたおかげで、チック症状を馬鹿にされたりすることはなかったため、過度に人の目を気にすることなく過ごせました。

そんな学校生活を送っていたある日、不意にテレビを見るとアフリカの映像が流れていました。今でもよくテレビで流れているような、「アフリカの人は可哀そうだな。」という感想が一番に出てくるような映像です。

なぜかは分かりませんが、私はその映像に引き込まれたのです。

それから、アフリカのことを調べることが、病気によって暗くなっていた私の日常を彩ってくれるようになりました。

きっと当時の私は、苦しい暮らしの中でなんとか自ら楽しみを見い出そうとしているアフリカの人々の姿を、病気で辛い日々を送る中でなんとか生きる意味を見い出そうとする自分に重ねていたのでしょう。だから、自分と何の関連もなかった遠い土地のアフリカに、こんなにも引き込まれたのでしょう。

アフリカが私に与えてくれた影響

こうしてアフリカにドハマりし、私は少しずつ病気のことを忘れて、夢中になってアフリカについて調べる時間が増えていったのです。

そして次第に、「将来アフリカで働きたい」と思うようになっていきました。

その思いをもとに、私は英語コースのある高校への進学を目指すようになりました。

幸運なことに、病気で苦しんでいた当時から、勉強だけは自分を絶対に裏切らないと信じていた私は、中学一年生のころから勉強だけはコツコツ頑張っていました。

そのおかげで、ギリギリではあったものの、何とか志望していた高校の英語コースに合格することができました。

そうして私は、幸せな高校生活を送るための鍵をゲットできたのです。

しかし、そんな幸せ絶頂の私を待っていたのは、理想とは大きくかけ離れた高校生活でした。

高校に入学してからの話は、また次回させていただきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回の投稿も、ぜひ読んでいただけたら嬉しいです。



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