見出し画像

映画ポケットモンスターココはミュウツーのオマージュという話

ザルードに育てられた少年のココが自分を見つける物語でした。

自分はポケモンなのか、それとも人間なのか。あちら側か、そちら側か。そうではなくて、「ここ」にいる自分こそが自分なのだ。という見事なタイトル回収がなされていました。ココの本名は「アル」だったので、続けて読むと「ココ(に)アル」になりそうですね。

「ここにある」と言えば、初代ポケモン映画の続編である特別番組の「ミュウツー! 我ハココニ在リ」(2000年12月30日放送) という作品がありましたね。今回の「ココ」は「我ハココニ在リ」へのオマージュを強く感じさせます。

治癒成分を含有する湖の存在や、容赦ない環境破壊の描写の踏襲は言うまでもなく、プロットの大まかな構図もそっくり。とりわけ、ミュウツーが自分は「作られたもの」なのか? それとも「生きもの」なのか? と自己存在に揺れる姿は、ココが自身のアイデンティティに葛藤する様としっかり重なります。ミュウツーはココとは真逆で「私は誰でもない」という発想に至りますが。

「ココ」は「 我ハココニ在リ」を下敷きにして、同じく「自分とは何か?」をテーマに新たな作品に作り変えた映画だったのだと思います。

野蛮なところもありながらどこまでも息子思いのザルードと、ひたむきなココの親子愛にはうるっとくるものがありましたね。

これはこじつけのようになってしまうのですが、孤児で身寄りのなかった子供=「孤子」(ココ)が、「ポケモンでもあり人間でもある」という自己を理解し、自分だからこそ出来る目標を見つけ、親の庇護から自立した個人=「個子」(ココ)に成長した、なんて掛けもあったのではないかな、と思いました。

この記事が参加している募集

映画感想文

よろしければサポートお願いします。いただいたサポートは、ポケモンを応援したり、Switchと剣盾を購入するのに使わせていただきます。