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2歳になった君へ

この1年で君は、いろんなことができるようになった。

ひとりで、どこにもつかまらずに立てるようになった。重力にあらがって、自分のからだを2本の足で支えられるようになった。

同い年のみなは早々に走り回るなか、 君は、 のんびりながらも確実に君のペースで、歩けるようになった。最近は「きゃー!」と叫びながら、なにやら楽しそうに早足でとてとて突進できるようになった。

階段を、のぼりおりすることができるようになった。はじめはよつんばいで。いまでは、手すりや壁があれば、ひとりで立ったまま、ゆっくりゆっくりのぼりおりできるようになった。

1歳の誕生日にプレゼントした、乗りものにもなる木製の手押し車。当時は父や母がまたがらせても足もつかなかったのに、いまではじぶんで乗り降りができる。乗ったまま自分の足で蹴って、自由自在に好きな方向に進めるようにもなった。

大豆も小麦も卵も、アレルギーで全部食べられなかったのに、この1年少しずつがんばって、まずは大豆、最近は小麦の入ったものも食べられるようになってきた。

厚揚げやお豆腐も大好きだし、食パンも食べられるようになって、よかったね。食いしん坊な母は、君の食の世界が広がったことがとても嬉しい。

卵は、いまも負荷試験を繰り返しながらちょっとずつ、食べる練習中だ。この前は全卵の米粉パンケーキを卵18g相当まで食べることができたね。ゴールは全卵60g。ゆっくり、ゆっくり着実に。

髪の毛。0歳のころから薄毛ちゃんで、同月齢の子たちのふさふさぶりを見て母はおどろいたものだ。1歳になりたての写真をみたら、全然髪がなくて、つるっとくりっとしていて、まだ赤ちゃん感が漂っていた。

今もまだ前髪は薄くて足りないけど、後ろの髪はずいぶん伸びて、2つに結べるくらいになったね。2歳になってから、初めて結んでみた。なんだかそれだけで、一気に「少女」だなって思った。赤ちゃんじゃなくて、れっきとした、少女だ。

2歳になる直前に、自宅のトイレでもおしっこやうんちができるようになった。父とふたり、「2歳が締め切りだと思ったの?」って喜びながら笑った。生まれるのも締め切りギリギリに決めてくれた君だから、ありえなくもないかもしれない。

* * *

そしてもうひとつ、とても大きな変化は、ことばを理解しはじめたことだ。

1歳ごろまでの君は、世界とダイレクトにつながっていた。それはそれで、とてもうらやましいことだった。

けれど一方では、自分のおかれた状況がわからず、これから何が起こるかわからず、母がトイレに行くと言って少しでも離れると、すぐに泣いていた。そりゃそうだ。戻ってくるかどうか、何が起きるかわからないもの。不安なことも多かったと思う。

いま君は、世界とことばでもつながりはじめた。

自分で話すことはまだできないけれど、わたしたちの話すことばを理解することはできる。

お母さんはいまからトイレに行くんだなとか、これからみんなでおでかけするんだなとか、もうすぐごはんなんだなとか、自分のおかれた状況を理解することができる。

周りのひとのことばに対して、「う!」or 首の横振りで、YesとNoの意志をはっきりと伝えられるようにもなった。これが食べたい、あっちの方に行きたい。指さしや手を引いて連れていくなどの行動からも、君の意志を、感じる機会が格段に増えた。自分の意志を伝える手段が増えはじめた。

まだおぼろげではあるけれど、自分でもことばを発することが少しずつ増えてきた。

ぱぱ、まま、じいじ(じゅじゅ)、ばあば(ばっば)、にゃんにゃん、ちょうちょ(てょうてょ)、わんわん、 いっぱい(っぱーい!)、バラバラ(ばぁばぁ)、なんて言えるようになった。たどたどしく発音するその姿はとてもかわいい。

見方を変えれば、いまはどんな国のことばでも美しく発音できるそのきれいな白紙の状態から、これから君は日本語の音をメインに発音できるようになってゆく。

それは成長でもあり、日本語にはない音をすててゆく過程でもあるのだろう。少しでもあらがいたくて、他の言語の音にもたくさん触れさせてあげたいなあと思う。ことばと世界の話、前もちょっと書いたな。まあでも、キリキリしすぎなくっていいと思っている。

* * *

「もう2歳って感じ?まだ2歳って感じ?」

まわりのひとから聞かれたけれど、今のところは「もう」でもあり「まだ」でもあり、つまりは「ああ、ちょうど2歳だな」という妥当な感覚だ。

毎日は目まぐるしく飛ぶように過ぎてゆくようでもあり、かとおもえば体調を崩した君とふたりきりだけで部屋のなかで過ごす1日や、アレルギー負荷試験の待機時間なんかは、なんだか途方もなく長く感じたりもする。

それでも君がいてくれることで、ひとりならさしたる変化も感じず、のんべんだらりと過ごしてしまう日々を、たしかな時間のかたまりとして母は認識することができる。

1日1日をしっかりと過ごして、24時間という時間で君はまたひとまわり大きくなる。じわじわと変化が起きて、これまで書いてきたようなたくさんの変化が、日ごとに訪れる。1日前と同じ君はもういない。

そんな日々を地道に地道に積み重ねて、早くも遅くもなく、ちょうど、2年だ。

* * *

1歳というとまだ「赤ちゃんの延長」という印象があった。

けれど2歳の君を赤ちゃんと並べると、だれがどうみても明らかにお姉ちゃんに見える。

もう間違っても、母の腹のなかには戻せない。

君は君の意志をもって、自分の足で歩き、自分の行きたい方向へ行けるようになった。世界の輪郭もくっきりとしてきたようにみえる。

これからの1年で、君はまたたくさんの経験をするだろう。

楽しいこともたくさんあるし、大変なこともたくさんある。

心臓の検査入院や手術予定もある。お風呂上がり、まっさらな君の胸に保湿クリームを塗りながら、命を救うためだから手術を望むわけだけれど、事実として傷は残るんだな、と正直胸いっぱいな気持ちになることもある。

でも先回りして何かを不幸だと決めつけてしまうのは違う気がして、あえてことばにはせずにいる。

みなそれぞれにちがう事情を抱えていきている。何が幸せか何が不幸かは、結局自分の中にある価値観によって判断されることが大きいのだと思う。

だとしたらわたしは、君が、幸せ度の高い考え方や価値観を自然に身につけていけるような手助けがしたい。人生は楽しい、生まれてよかったと思えるような経験をたくさん贈りたい。文字にするとなんだかむずがゆいけれど。

いつか君がおとなになってこれを読んだら、きれいごとじゃないか母よ、と苦笑するだろうか。それとも、うん、まあいろいろあるけど楽しいよ、と笑ってくれるだろうか。

正解なんてわからないことばかりだけれど、どうか後者になるように、君とこれからも過ごしたい。大変なことは一緒に乗り越えて、それを上回るくらい、楽しいこともたくさんしていこう。

2歳、おめでとう。これからも、どうぞよろしくね。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。