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むすめの入院日記(3)/完

■6月20日(水)/入院5日目

母がつきそってくれたので、昨夜は夫とふたりだった。

1年ちょっと前に娘が生まれてから、夫婦だけで夜を明かすのは初めてのこと。リビングにいると、寝室で娘が寝ているんじゃないかと錯覚する。

なんだか落ち着かなくて、ふだんは見ないテレビをつけ、ものすごくひさびさにふたりで映画を見た。不思議な感じ。

映画で泣く。ストーリーで泣かされて、物理的に涙を出せたことで、現実のわたしも少し気持ちが落ち着いたかもしれない。

* * *

朝、母からLINE。

「◯◯(娘)ちゃん、よくねた。もくもくさんも上手だった」。

もくもくさんというのは吸入のこと。あらあら、わたしがいたときは全力抵抗だった吸入、昨夜に続き今朝も上手にできたのか。

朝ごはんも完食とのこと。食欲はすっかりもどったようだ。よかった。

娘の着替えや追加のおもちゃをリュックにつめ、病院へ向かう。道すがらスーパーで明日の朝までの自分の食料を買い、電車とバスを乗り継いでゆく。

13時ごろ、病室へ到着。

わたしの顔をみると、「う!う!う!」と言って何かを主張。「なんだよ!母!いるんじゃん!なんだよ!どこいってたのよ!」みたいな感じかしら。

母と交代し、とりあえず抱っこでご機嫌をうかがう。看護師さんから、今日は沐浴室で沐浴してみましょうかと言われ、準備をして移動する。

が、突然はじめての沐浴スペースへ連れていかれ、娘はギャン泣き。これまで検査で何度も痛い思いをしてきたから、たぶんまた何かされる、と思ってしまっているのだろう。

服を脱がされて恐怖はMAX。「うぎゃぁーー!うぎゃぁーーーー!!」。もはや耳をつんざく悲鳴である。「だいじょうぶだいじょうぶ、おふろだよ〜、とぽん!だよ〜」と話しかけてもまったく聞こえていない。

足をお湯に触れさせようものなら、もう暴れる暴れる。彼女にしてみれば、はだかんぼにされて、こんどはいったいどんな痛い思いをするのだという恐怖と戦っているに違いない。たっぷりのお湯は床にばらまかれる。

「ああ、こぼれちゃいますね。もうここでシャワーにしましょうか」ということで、看護師さんが慌ててプラン変更し、お湯を抜く。

お湯を抜いている間も、シャワーをかけられている間も、とにかく「んぎゃぁぁああ!」と全力で泣き叫び、抵抗を試みる娘。つるつるすべる台がまた恐怖をあおっているように見える。

看護師さんとふたりがかりでなんとか沐浴を終え、保湿クリームを塗って部屋へ戻った。

* * *

そんな沐浴にはじまり、もう、この日の午後はぐずるのなんのって。娘史上、最大の不機嫌を発揮していた。

とにかく抱っこ。ひたすら抱っこ。ベッドにちょっとでもおろす気配を見せようものなら、その瞬間にボリュームMAXで泣く。泣くというか、全身を使って泣き叫ぶ。

こちらも腰と体力が限界に近づき、せめて抱っこしたまま腰かけたい、と思うのだが、もちろん腰をおろそうものなら泣く。そして暴れる。

こどもを扱い慣れているこども病院の看護師さんにも「力、強いな!」と評判の娘、全力で背中をのけぞらせ、「ちがう!これじゃなぁああああああい!!」と全身で主張。

絵本や、持ってきたおもちゃを見せようとすると「こんなんいるかぁああああ!」と瞬時に投げ飛ばす。

母、立ってゆらゆら抱っこし続ける以外の選択肢を持たず。

医師いわく、この病気の子は不機嫌になる子も多いと聞いた。からだに不快があってもしゃべれないから、こうやって主張するしかないのだろうな。

ひどいときは立って抱っこしていても泣きやまず、ぐるんぐるん暴れて落ちそうになる。

部屋のなかをうろうろしたり、外の風を入れてみたり、なんやかんやして気をまぎらわせた。

途中、看護師さんが吸入にくる。ばあばのときは上手にできたという吸入、わたしがやってみれば全身全霊で大暴れ。看護師さんに「おばあちゃん帰っちゃったの」とか言われる始末。

ためこんでいた甘えが大爆発していると思っておく。

* * *

外の景色をみていると、駐車場一面にズラリッ、と並ぶ車の大群に、この病院へ通院したり、入院したりしているこどもたちの多さを思う(上の写真は空いていて、ここからほぼ満車になる)。

いまこの時間だけを切り取っても、たぶん100組くらい家族が、この病院でときを過ごしている。

みなそれぞれ、ふりかかってきた運命とむきあって、つきあったり、たたかったりしているのだな。

みな、がんばっているよ。子も親も。

* * *

おやつ、夕食はすべて完食。

昼に大暴れしたぶんちょっとは落ち着いてきたのか、夜、奇跡的にひざに座ってくれたタイミングがあった。すかさず娘がいまハマっている容器とフタのセットをわたす。

日中はこれをわたそうとしても見向きもしなかったが、このときは興味を持ち、フタをはめる遊びにとりくみはじめた。

遊ぶ娘を膝にのせたまま、聞いてくれなくてもいいや、と思いながら絵本を読み聞かせる。

かなり長いお話の絵本だったので、まあ途中で暴れだすだろうな、と思っていたのだが、なんと最後までだまって膝に座っていた。

読み終えて、「おしまい」と言ってパタン、と閉じる。

すると娘みずから、なごりおしそうにその絵本に手を伸ばす。絵本をしっかりとつかむと、大事そうに抱えて。気づけばそのまますぅ、と眠っていた。

こんな瞬間に、母は何度でも子にキュン、と惚れるのだ。

膝のうえで眠ってしまった娘をトン、トンとやさしくたたきながら、静かな部屋で、うでの中にたしかな体温を感じていた。

* * *

そのままおとなしく寝るかと思ったが、体温を測ったりしてまた起こされてしまい、結局寝たのは22時ごろ。

2時ごろ、巡回でまた起きてしまう。

泣き声でわたしも起き、暗闇で抱っこしながらゆれる。娘はすぐに寝てくれたが、わたしは中途半端に目が冴えてなかなかねむれず。

■6月21日(木)/入院6日目

朝、また看護師さんの巡回で6時頃に泣いて起きる。

「うぎゃぁーー!!」と全力で抱っこを求められるので、起き抜けのぼーっとした頭で、寝不足と腰痛の意識をどこか遠くへとばしながら無心で抱っこをする。

早く起きすぎたけれど、その後もまたしっかり眠ることのないまま朝を過ごす。

この院の朝食は遅い。おなかが空いて不機嫌に拍車がかかる娘を、抱きつづけてだましだまし時を過ごす。

9時手前、やっと運ばれてきた朝食はぺろりと完食。

むしろ足りなくて、私が自分用に買ってきたパンに手を伸ばして怒る。ごめん、小麦も卵も使ってるからこりゃ君にはあげられないわ。

* * *

先生の巡回。

今日また検査をして問題がなければ、明日の朝には退院となる見込みですと言われる。

少し前に聞いた目安ではまだあと3、4日あると思っていたので、経過良好で退院が早まり、嬉しい驚き。よかった。

入院中に見つかった心臓の別の問題で、今後も定期的にお世話になっていかなければならないのだけれど、ひとまず今回の病気に関しては、見通しが明るくなってきた。

* * *

部屋で、シールブックのシールをペットボトルなどの空き容器に貼って遊ぶ。シール用の本に貼るよりも、透明な容器に貼るほうが楽しいみたい。

今日はまた採血。採血の30分ほど前に、看護師さんが腕に塗り薬を塗ってくれる。針をさすときに少しでも痛くなくなるよう、皮膚の表面を麻酔してくれる薬。確かに前回、これをやってもらったら泣かなかったと言っていた。

採血から帰ってきて、抱っこしていたら昨夜の寝不足がようやくきいてきたのか、昼食前に少し寝る。

起きて、昼食。頼もしい食欲で、1.5倍量のオーダーも見事に完食。

昼過ぎ、付き添い交代の夫が到着。

2人で協力して娘のシャワーをすませていると、看護師さんから、検査用の眠り薬を飲む時間ですと言われる。

眠り薬を嫌がって(おいしくないらしい)ギャン泣きの娘を夫に固定してもらい、なんとか看護師さんに薬を飲ませてもらう。

あとは夫に抱っこ隊員を引き継ぎ、わたしは自宅へと向かう。

* * *

夜、母と飲み屋へ行った。

飛行機の距離から母が来てくれたことと、明日からまた子育てデイズなこともあって、めったにない貴重な機会だったので声をかけたのだ。

夫と娘がたいへんなときに、とも思ったが、夫に話したら気持ちよく背中を押してくれた。有限な親との時間も、たいせつにしていきたい。

鮮魚ならここ、と夫が太鼓判を押して教えてくれた居酒屋に母と行く。

妊娠、授乳期間はまったく行けなかったので、居酒屋自体、約2年ぶりのこと。まさかこんなタイミングで母と、とは思いもよらなかったけれど。

母と呑む。話す。新鮮な、おいしい魚をいただく。

母と2人で呑みにいくなんて、いつぶりだろう。今度はいったいいつそんな機会がつくれるだろう。そう考えると、娘がくれたチャンスだとも思えた。

帰り道、歩きながらいろいろな話をする。

夜空に、半月が明るく光っていた。

■6月22日(金)/入院7日目 & 退院日

母と朝ごはんを食べ、わたしは病院へ向かう。

バスの中で、幡野広志さんの記事を読んだ。後半、息子さんへ宛てた手紙を目で追ううち、勝手に涙が落ちる。

いまは娘の病気の心配ばかりしているけれど、わたしだっていつなにが起こるかだれにもわからない。

こどもへ、大切にしてほしいことのメッセージをしたためるというのは恥ずかしがらずやっておきたいことだと思った。

ほんとうにすてきな手紙だった。きっとこの先、大きくなった優くんは何度でも、このお父さんの手紙を読み返すことになるのだろう。たとえば学生で進路に迷ったり、働きはじめて壁にぶちあたったり、いろんな葛藤を抱えるたびに、何度でも。

そこにはむしろ、面と向かって話すのよりも深いほどの、親子の対話があるような気がした。

* * *

9時ごろ。病室へつくと、娘は夫に抱っこされているところだった。

こちらを見て、さっく手をのばす娘。そのまま抱っこでうけとって、ゆらゆらしながら夫にそれまでのようすを聞く。

すでに退院後の注意事項の説明なども終わっていて、あとは荷づくりをして退院するのみだった。9時〜10時に退院、と聞いていたからそこで先生から最後の説明があると思ってきたけれど、わたしは直接聞けずにひょうしぬけ。

ストックしていた飲み物やらタオルやら着替えやら、いろいろなものをカバンに詰め込んで荷づくり。

準備が整い、いざ病室から出ようと娘をベビーカーに乗せる。

いつもは抱っこからベビーカーにのせようものなら「んぎゃぁ!」と怒って嫌がるのだが、このときは、どうやら外に出られるらしいと察知したのか、静かにおとなしくしていた。

娘にとっては実に1週間ぶりの外界。

たくさんお世話になったナースステーションに挨拶をして、エレベーターを降りる。

受付で退院の手続きをして、外へ出た。

風が、娘のふわふわした細い髪の毛をなでて、気持ちよさそうだった。

* * *

帰宅後もその日はずっと不機嫌で、抱っこ魔であった。

1週間も病院のベッドの上から動けず、つかまり立ちやつたい歩きもできなかったから、体力が弱ってなかなか以前のようにはいかない。それで本人もイライラしていたのかもしれない。

土曜日、日曜日と自宅で過ごすうち、ようやく少しずつ、少しずつ、娘に笑顔がもどってきた。短歌でミニ日記。

以前は家のなかを手押し車でふんふんと鼻息あらく歩きまわっていたが、退院後は立ちあがる気力も体力もなかった娘。

日曜日には、すこしだけ、手押し車を押して自ら歩きはじめた。

まだまだ数ヵ月は服用をつづけなければならない薬があったり、後遺症のチェックのための通院があったり。今回の病気も定期的なチェックがつづく。

くわえて、以前から通院している問題と、新たに見つかった心臓の問題とで、並行して少なくとも3つの科を定期的に受診することになりそうだ。

それはそれで、もうそういうものとして受けとめて向き合ってゆくしかない。

いまはなによりも、ひとまず目の前の娘に笑顔がもどったことがとても嬉しい。

―むすめの入院日記(完)―

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あとがき:

だらだらと長い日記にお付き合いいただき、ここまで読んでくださっている方がもしいらっしゃったら、どうもありがとうございました。

自分の備忘録としての意味がメインの日記ではありましたが、小さい子はほんとうに、思いがけず「突然その日に入院!」となることもある、と思い知ったので、育児中のどなたかの参考程度にもなれば嬉しいなと思い、ひっそりとnoteにおかせてもらいました。

ちなみに今回、入院することになった病気は、決してめずらしくないもので、小さい子なら誰がかかってもおかしくないものらしいので、そのうち病気についての紹介noteもかければな、と思っています。

また、いつものおきらくエッセイや、インタビューのシリーズ、たんたか短歌など、ゆるやかに、雑多に、好き勝手に、つづけてゆきたいと思います。

娘の入院中はとくに、noteがあることで、救われました。わたしにとってnoteは、自分を自分に立ち返らせてくれる場所です。

みなさんから返ってくるリアクションに、いつもとてもはげまされています。本当にありがとう。なによりもの支えです。

どうかこれからもゆるやかにひとつ、おつきあいいただけたらうれしいです。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。