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むあー

まじめなことを書くと極力どうでもいいことを書きたくなり、どうでもいいことだけを書き続けているとまじめなことも書きたくなる。今日は昨日の反動で、かぎりなくどうでもいい話を書きたい気分。

昨夜から娘がついに、秘技「むあー」を覚えてしまった。

だれでもこどものときに一度はやったことがあるであろう、口に泡をつくって遊ぶあれである。もっといえば、口の中に唾液をため、口を開けるときにそーっと空気を入れながらシャボン玉のように大きな泡をぼわーっとつくって遊ぶ、あれである。っていうかこれ、文章で伝えるの難しいな。

「むあー」としゃべったタイミングでたまたま初めての泡ができたのか、その感触が気に入ったらしい娘は、それ以降、気づけば「むあー」「むあー」と言いながら、口の前で泡を作ってはぱちんと消し、作ってはぱちんと消しながら、家中を歩きまわっている。

つばを溜め込んだほうが上質な泡ができると気づいたようで、服はもちろんよだれでべしゃべしゃ。彼女が歩いた痕跡は、床のうえにぽたぽたと落ちたよだれからたどることができるほどだ。

背中を向けて食器を洗っていたら、机の周りをぐるぐると歩きながら「むあー」「むあー」とやっていた声がふと一点から動かなくなった。振り返ってみると、娘はおしりを高くあげた腕立てのような姿勢で床を見つめながら無心に「むあー」「むあー」とやっていた。真剣なすがたに思わず笑ってしまう。まあ当然、その床にはよだれの池。

うわあ、と言いながら拭きにゆくわたし。

離乳食期はそれこそひたすらよだれが出て、スタイもつけていろんなところにつくよだれを拭きまくっていたけれど、とっくにスタイのはずれたいまごろになって、またよだれの「池」レベルに遭遇するとは。

「むあー」、あなどれない。

* * *

まあでも、一心に「むあー」と言いながら口に泡をつくる実験を繰り返す娘を見ているのはなかなかおもしろい。

これを書きながら、ためしに自分で実際に泡をつくろうとしてみたけれど、こりゃ、相当唾液を溜めないと娘のように大きな泡はつくれんな、とわかった。あのよだれ池も、彼女の「上質な泡生成実験」の過程で必要なものなのかもしれないと思えば、まあ受け止めるしかない。

おとなになってからの「そんなことで」と思えてしまうような小さなことを、何度も何度も繰り返し楽しむこどもを見ていると、いつも、自分が過去に置いてきたものをとりにいくような感覚におちいる。そうだよね、それ、楽しいよね。楽しいって言っていいよね。そんな感じ。

(おわり)

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。