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春、風をきって

ものすごく久しぶりに、自転車に乗った。

ぐん、ぐん、ぐん。

ペダルを漕ぐたびに、進む景色が速い。最近は徒歩に慣れているから、同じように足に力をかける「一歩」で見える景色が違う。車やバスに乗っているときともまた異なる、自分の体と連動する独特のスピード感。

春の空気が、全開で顔にぶつかってくる。耳元で、ごぉーー、と風を切る音がする。

ぐん、ぐん、ぐん。

世界が進むのが速い。爽快だ。

* * *

もっともらしく書いたけれど、どこかへ遠出したわけでもない。近所の自転車店で、電動アシスト付き自転車の試乗をしたのである。

4月から娘の保育園通いが始まり、わたしもゆるやかに仕事を再開する予定の我が家。最近は新生活に向け、もろもろの準備をバタバタと行う日々だ。

移動手段については、保育園までは(がんばれば)徒歩でもいける距離なので準備が後手後手になっていたけれど、やはり毎日のことになると負担は少ないほうがいい、と遅ればせながら子供乗せ自転車の検討を始めた。

今の生活環境では坂道も少ないし、電動自転車に限らなくてもいいよなぁとも話しつつ、数年以内には引っ越しをしたいと考えていることや、子連れサイクリングで行動範囲を広げてくれるというか、あっちこっちと冒険する気持ちになりやすいのはラクな電動かなぁと、まだ気持ちは揺れている。

* * *

ともかくそんなわけで、生まれて初めて電動自転車というものに試乗させてもらった。

慣れていないから、足をかけて踏み込むと、漕ぎ始めはびゅんっ、っと自分の予想以上にスピードが出て、交通量の多い道では結構怖い。車体に重量があって、方向転換が難しい。

試乗だし、と近場の平地をぐるりとまわって店頭へ戻ると、気さくな店員さんが、「ぜひもっと乗って、坂道へ行ってください、ご主人とお子さんはちょっとここで待っていただいて(にこり)」と言うので、おやまあでは遠慮なく(にやり)と、夫と子どもを店へ残して近くの住宅街まで足を伸ばした。

ぐん、ぐん、ぐん。

そこで冒頭の爽快感である。

いい感じの勾配の坂。普通の自転車では間違いなく、立ちこぎでも途中で挫折しそうなその坂を、座ったままぐいぐい登ってゆく。久々の晴天がまた、うーん気持ちいい。

一回目はひとりで乗っていたので、その意味でも肩の軽さというか、浮遊感があったのだと思う。育児中はひとりで出かける、ということ自体がとてつもなく貴重な時間だ。

びゅんびゅんと景色が流れてく。子どもたちが遊ぶ小学校の横を通り過ぎる。桜の花が目に入る。花盛りだ。目の端々に、顔に当たる空気に、確かな季節を捉えながら、それでも景色は絶え間なく流れてゆく。

この感じ、ひさびさだ。

* * *

決して自転車に詳しい方ではないが、単に生活手段としての自転車なら、以前は馴染みのあるほうだったと思う。

特に高校、大学時代は、自宅から最寄り駅まで歩けば30分弱の道のりを、ほぼ毎日自転車で通っていた。

そんな10代の記憶と強く結びついているからだろうか、今、久々に自転車に乗って感じるスピード感は、私のなかで自由の象徴のように感じた。

何もかも、自分の力だけで前に進んでいるように感じていた、あの頃の。

* * *

時を経て、またがるのは電動アシスト付き自転車。

本当に好き勝手生きてきた生意気な小娘も大人になり、結婚して子どもが生まれ、自分の力だけで前に進んできたわけではないことを思い知り。

強がりを捨て、頼るべきところには遠慮なく頼ろうとシフトしたその思考に、自転車の変遷も寄り添っているように思える。

ちなみに、試乗した第一印象は「ああ、『子乗せ電動自転車』というのはこれは今まで自分がひとりで乗ってきた『自転車』とはまったく別の乗り物なのだな」だった。

踏みごこちも、取り回しも、坂道での感覚も。

単に私ひとりの移動を軽々とする装備から、子どもとの日常を、快適に過ごすための装備へ。

ライフステージごとに、必要な装備もどんどん変わってゆく。見えてくる景色も、まったく違ったものになるんだろう。

またひとつ、新しい世界に、足を踏み入れた気がした。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。