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自然界の配色の美しさよ

娘がかぼちゃを好きすぎて、ここのところよくかぼちゃを煮る。

その日もいつものようにかぼちゃを切っていたのだが、ふと、台所の蛍光灯の下で切られたかぼちゃを改めて見て、その配色の美しさに目を奪われた。

森を思わせる深い緑の皮に、鮮やかな黄色の中身。

包丁を片手に、「ほう……」と手を止めてかぼちゃの一片を舐めるように見回しているあたり、いろんな意味で危ないひとである。

* * *

でもなんだか、妙に感動したのだ。

かぼちゃってこんなに美しかったっけ、と。かぼちゃに大変失礼ながらそんなことを思った。

深緑と黄色、隣接するそのぱっきりとしたコントラストが、見ていてとても心地よくて、思わず「ほう……」となるのである。

だれに教わったわけでもなく、自然界が本能的に身につけている配色の美しさに感嘆してしまう。

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思わず「野菜 色 理由」と検索してみるが、なるほど!と心から納得できる説明にはたどりつけなかった。

トマトやスイカのリコピンなら赤、人参やかぼちゃのカロテンなら黄色、と、栄養素と色が結びついていることはわかったが、じゃあなぜこの組み合わせ、配色なのかいまいちわからない。

もう少し調べていたら、千葉大学園芸学部の准教授の方によるこんな記述を見つけた。

果物や野菜の果実の色は実にカラフルで、見ていて飽きませんね。果実の色には何か意味があるのでしょうか?

“きれいで鮮やかな色の果実も、実際に観察してみると、果実が大きくなる過程では緑色などあまり目立たない色をしているのが一般的です。それが、果実が充分肥大して、内部の種子がだんだん充実してきた頃になると、果実に色が付いて、柔らかくなります。また、甘くなり、大変良い香りがしてくるのです。これらの変化は全て、種子の伝播のためだと考えられています。色がきれいな果実や良い香りは、鳥や動物に見つけてもらいやすく、果実を食べてもらって、結果的に内部の種子をより遠くに運んでもらうためなのです。逆に、種子が充実するまでは、鳥や動物に見つからないように目立たない方が良いので、目立たない緑色で、食べられにくいように硬くてあまり甘くないのです。” 

https://www.kodomonokagaku.com/hatena/?a1953e2a16951e11a20169274af94fc5 より

そうか、一般的な果実ならイメージしやすい。りんごやバナナは、若いうちに緑色で固く、食べごろになってくると赤や黄色になって存在を知らせるべく目立つようになる。

実はこれを読んでも最初は、冒頭のかぼちゃのこととなかなか頭で結びつかなかった。だが、よく考えてみるとかぼちゃも完熟になれば皮が黄色くなる。ゴーヤやピーマンなんかもそうだ。人間としては普段未熟の状態で食べるのが普通になっているものも、完熟状態になればやはり黄色や赤の鮮やかな色へ変わるのだ。

身近で野菜を育てているわけではなく、スーパーでだけ野菜と接していると、こういうところがにぶくなっていくなぁ、と思う。

* * *

ということは、かぼちゃの深い緑は、「まだ熟れる前だから動物たちに見つかってはいけないわ」と、自然界に紛れて身をかくすための、まさに森の色だったともいえるのではないだろうか。

そしていざ熟れてその実がわれたりしたら(完全な想像なので正しいかはわからないが)動物たちにあますところなく見つけてもらえるよう、鮮やかな黄色の果肉。その果肉が成熟するぎりぎりまで、森の緑色で隠す。

なんとはなしにふと手を止めたかぼちゃの皮と実の美しいコントラストに、実はそんなストーリーがひそんでいるのかもしれない。そう考え出すと、いよいよ料理どころではなくなってくる(笑)。

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それ以外にも、最近は夏になって娘にナスブームが訪れているため、ナスを大量に切っていて「ああ、これもまた皮と実のコントラストが美しいなぁ!」と思ってしまったりする。

写真とか撮りだしちゃって、……料理しろよ(笑)。

でもナスの色って、こんな暗い、黒に近いような紫色で、自然の中では目立たないのでは。え、なんで?ナスも熟れると黄色くなるのか……? 

うぅ、気になる、気になるぞ……。

結局好奇心には勝てず、料理の手をとめて検索してみる。すると、Yahoo!知恵袋で気になる記述を見つけた。

“まず、日本以外で栽培されているナスには紫色でないものも結構あるそうです。白とか黄色とか緑とか。

それはさておきまして、黒に近いくらい濃い紫というのはそれほど果実の色としては稀じゃないんです。日本の自然においてもシャリンバイとかヒサカキとか。実は鳥に食べてもらって種子をばら撒くタイプの果実は赤と黒に近い濃い紫の2つが圧倒的に多いんですね。最近この理由を京都大学の方が研究しています。人間の目は3原色で色彩を感じていますが、鳥の目は4原色で色彩を感じており、鳥の色覚をコンピュータシミュレーションでモデル化すると、木の葉の緑を背景にしたときに鳥にとって一番コントラストが強く目立って見えるのが赤い木の実と黒い(濃い紫)木の実なんだそうです。”

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10113950 より

おお、そうなのか? そうなのか…? でも知恵袋の情報は玉石混淆であるし、本当かしら。でもこの書きぶりはとても信頼感がある。

気になって、さらにソースに近い情報はないかと検索していたら、2001年に京大の方々が「鳥類の色覚と鳥散布果実の色との関係」という論文をあげているのがみつかった。おお、根拠のない話ではなさそうだ。だが、肝心の論文の中身は閲覧できず。

せめて何かヒントをと思っていたら、「第4回種子散布研究会『鳥の色覚と果実の色彩戦略』」なる、会合のレジュメのようなものを発見。先の論文のメンバーであるひとりは、こちらのメンバーにも名を連ねていらっしゃる。よしよし。以下はそのレジュメからの引用。

まず、「はじめに」の中に何気なく入っている記述に、わくわくしてしまう。

鳥の目に世界はどのように見えているのだろうか。視覚を頼りにエサを探す鳥にとって、果実がどんなディスプレイをして、自分を目立たせているのかは重要な問題である。”

なにって、そういう学術的な方々が、「鳥の目に世界はどのように見えているのか」「果実はどんなディスプレイで自分を目立たせているのか」というテーマについて、膨大な時間を費やして熱意をもって研究されていることに、尊敬とロマンの念を抱くのである。

ひとの健康や安全に直結する分野の研究も大変重要だと尊敬、敬服しているのだが、なんというか、こう長期的な歴史をひもとく研究にはそれとはまた違った尊敬とロマンをぼうっと、感じてしまう。

そして「はじめに」はこう続く。

“自然界には赤や黒の果実が多いが、一方(ヒトの目には)あまり目立たない色彩の果実も多い。(中略)だが、こうした人が目立たないと思っている果実には、鳥の目には目立って映るのではないだろうか?”

まさにこれである。

わたしがナスを切っていて感じた疑問を解決するときが、ついにきたか!?

……と思ったのだが、残念ながらこのレジュメの中には直接的にその回答となる記述は見つけることができなかった。おそらくその場で配られた資料や口頭でのプレゼンなどにはあったのかもしれない、と思う。

けれど、“鳥類が4原色に基づく色覚メカニズムを持つ”という記述はあったし、「はじめに」の文でも黒っぽい色が鳥の目に目立って見えるということは示唆されているし、この背景があれば、私個人としては、先のYahoo!知恵袋の回答者さんの情報を信頼したいと思う。

* * *

なんだか、話が自分の想像すらも越えて発展してしまった。

ほんとうは、そういう「何気なく毎日見ている身の回りのものって、改めて見直してみるとめっちゃおもしろいよね」という、いつもの感じで終わるかと思っていたんだが。

以前、大根を切る手を止めてこんなことを考えたときみたいに。

でもまあ、たまにはその理由や背景にせまってみるのも悪くない。

それにはそれの面白さがある。逆になんでもかんでも検索せず、ぼやっとさせておくままの余白も、個人的には愛すべきだと思っているけれど。どちらもあってよいかなと思う。

とりあえず思うことは、野菜を切るたびにいちいち変な方向へ興味が飛んでいって(ときどき戻ってこれなくなる)自分は、主婦にもなりきれず、キャリアウーマンからもほど遠いところにいて、いったい何になったらいいんだろうか。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。