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透明人間になりたかった14歳とウェス・アンダーソン

保育園からメンバーが殆ど変わらない、小さな田舎で自由に過ごしていた私にとって中学校は苦行の場でした。

入学して最初に感じた違和感は、クラスの半数以上が初対面なのに
見えない上下関係が勝手に作られていたこと。
大人びてる新しい友達に合わせて変わっていく小学校の友人たち。
私は周りの変化について行けず明らかに空回りしていました。

面白くもない、スポーツ万能でも美人でも秀才でもない。 
不器用で悪目立ちばかり。
失敗しても笑い合っていた旧友と些細なことからすれ違い
陰口を言われている事に気が付きました。

それから自分の行動、服装、持ち物、髪型。変って思われないかな?悪口言われないかな?と常に周りの目を気にするようになりました。
誰の視界にも入らず、誰にもバカにされず、気にも止められない透明人間になりたい。
そんなことを考えていた頃私が自由になれる場所は市内に1軒だけある
レンタル店でした。月に2回母に連れてきてもらい好きな映画やCDを選んで借りて帰る。大切で大好きな場所。

陳列されたDVDの棚からウェス•アンダーソン監督の「ザ・ロイヤルテネンバウムス」を見つけて即座に手に取りました。当時好きなアーティストがお気に入りの作品に挙げていたからからです。


(あらすじ)かつて天才と呼ばれていた
テネンバウムス家の3人の子どもたち
大人になった彼らは問題を抱えて生きていた。
家族を崩壊させた張本人でもあり死期が近いという父「ロイヤル•テネンバウムス」の呼びかけにより再び一緒に暮らし始めることになる。

まさに未知との遭遇でした。
絵本から飛び出してきたかのような街の風景、家のセット、お洒落なフォントやファッション。1つ1つ芸術性に溢れています。

それに反してこの家族はローテンション。
みんなどこかズレていてお互いを信頼していない。
そんな家族の再生物語をウェス作品独特のシュールでコミカルな視点で描かれています。
この雰囲気、中学生には「?」の部分が多くて。

「あー!面白かった!」もしくは「感動した!」どちらにも当てはまりません。だけど、決してつまらないわけではなく何故かまた見たくなる。頭から離れない。初めての感覚でした。


誰にも理解できないであろう自分の感情を誰かに話すこともなく、高校生になっても 社会人になっても、ウェス監督の新作が公開される度にチェックするようになりました。

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(インドの風景が素敵なダージリン急行家事をしながらよく観ています)

ウェス作品を観て気が付いたのは、彼の映画の主人公たちは自己肯定感が高い。でも実際はダメな所もたくさんあってとにかくクセ者揃い。
それに頑固だし無謀な計画立てるし、周りも巻き込んでめちゃくちゃにするけれど何故か最後はフッと心が温かくなる。
″他人の目なんて気にするな、人生は短い"とあの頃の自分に伝えてくれていたのかも。

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さて、私の暗黒の中学時代ですが1つ良かったことは「学校が嫌い」という
共通点で集まった友人に恵まれた事です。
みんな好きなものは違う。得意不得意がある。協調性は大事だけど、自分の気持ちを押し殺して全てを周りに合わせる必要なんてない。
当たり前のことを当たり前に受け入れて友情を築いていくのは簡単なようで難しい。


彼女たちとの気楽な関係は今も続いています。そのうち1人とは社会人になってからも、度々一緒に映画を観に行くようになり他の友人も呼んで自宅でDVD鑑賞をするとこもありました。

ウェス作品を誰かと話せる日が来るなんて。
「透明人間にならなくても大丈夫だよ。」
あの時の自分に教えてあげたい。

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