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疎遠になってしまうと、思い出が美化され過ぎだったのか?と思ってしまう。

仲が良くて好きな友達がいた。
大学の同級生だ。部活を4年間一緒にやって来た。

最初はそんなに仲が良い訳ではなかったが、段々と仲良くなって行った。部員の退部が続き、少ない人数の中で関わりが多くなった事や大変な事を乗り越えて来たから距離が縮まった気がした。

卒業後も1年に1回は遊んでいた。だがコロナ禍に突入し、気軽に会いに行ける雰囲気では無くなった。彼女も多分、こんなご時世で会おうと言ってくるタイプではなかったから、私はその期間会いに行かなかった。

年賀状のやり取りはあった。
しかし、去年は私が出した年賀状を見てから返信した様な年賀状が来た。「年賀状ありがとう」と書いてあったからだ。
私は、私には年賀状を出す気が彼女にはなかったんだと悟った。

結構ショックだった。結構好きな友達だったから。思えば、私が依存し過ぎていたのかも知れない。彼女がいれば、他の友達いなくてもいいや位に。
彼女から疎遠にしたい空気を感じとって、拒絶された様な気がして心がえぐられた。

大学時代とは違ってそれぞれの人生・生活がある。人生のステージに変化があり付き合う人も変わって行く。仕方ない事だと思いながらも、ずっと仲が良いだろうと迷いなく信じ込んでいた自分がいた。
改めて人の気持ちは変わる、あてに出来ないものだと感じた。

今年は年賀状は出さなかった。彼女からも当然来なかった。

私の完全な片想いだった。勝手に期待して、勝手にフラれたみたいな気持ちだ。

最近はサァーッと冷めて来た。
そんなに執着する事なのかな?無理にまた仲良くなろうとかもういいや、彼女と過ごした時間を自分や他の人に使えばいいんじゃないか。
疎遠になった人をいつまでも未練たらしく思っていても仕方がない。

多分、結婚したとか連絡が来ても、素直に祝えるかと言うと多分違う。
「そっちから疎遠にしといて、自分が幸せな時だけ連絡してくるの?」とか多分思う。自分が女々しい。友情の賞味期限が切れたと言う事か。

部活での思い出も、彼女が同級生部員の退部を止めていた時「部活に来ない人を無理に引き止めても良い事にはならないし、辞めてもらった方がいいのでは」と心の底で思っていた。当時は仲良かったから、彼女に言うの遠慮していた部分もあった。

辞めたいのに説得して無理に引き止める部活の空気も、今考えればどうなん?って感じる。ずっと続ける事が本人にとって良いのか分からないし。

部活動全体に対しては、もう卒業するのに海外の姉妹校にまで連れて行かれて発表(伝統芸能系の部活)する羽目になったのは勘弁してくれと思ったし、その後に先生(伝統芸能の師匠)の会の手伝いがあるからよろしくと言われた時はイラッとした。
もう卒業なんだけど。もう現役生だけで良くない?人数少ないからっていつまでもかり出すのヤメてくれ…と思ってた。
理不尽な事もなかった訳じゃ無い。

共通の思い出が美化され過ぎていたかの様に感じた。
別れた相手への美化と言うか魔法が解けたみたいな?感じか。
冷めたってこう言う事なのか。

私に問題がないとは言えないと思うけど、付き合いたいと思ってもらえなかったら仕方ない。

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