自分の価値観が揺らいで思うこと

このnoteを開いていただきありがとうございます。

前回の記事で自分の価値観が変化して、それが日本にいた頃の人からすると「迷走」と捉えられてしまうことがある、という内容を書かせていただきました。

その記事はこちらから

これが起きることにはマイナス面とプラスの面があると思っています。今回はそれについて書かせていただきます。

自分の価値観が揺らぐ上で怖いことは、自分は価値観の変化に気づいていないことです。

自分としては変化のない当たり前の日々を過ごしているのに、その中に変化をした部分が客観的にはあるということになります。そして時としてその変化が悪い方向に転ぶことがあるのです。

ここで変化した側ができることは、変化した自分も自分である、という風に相手に受け入れてもらえることが最善だと思います。ただ中身が変わった他人と関わることに相手が抵抗感を覚えてしまうのも事実だと思うので、久しぶりに話す相手との会話の時は「自分の価値観は大きく変わっているのかもしれない」と思うことが、相手の抵抗感をなくす上では大切なのかなと思いました。


ただ価値観が変わることは悪いことばかりでもないと思っています。

環境が変わって自分の価値観も変わったということは、自分が新しい環境に順応できたことの証明だと思っています。

自分の価値観が日本での普通から外れたとしても、それは留学先の「普通」に順応できたということです。結局どこで過ごそうと過去のものに固執して変化を拒むよりも、自分が過ごす新しい環境にどれだけ順応できるか、の方が大事になると思っています。

なので、これを書き進めていても思うことですが、確かに自分の価値観は揺らいだのかもしれないですし、変化したのかもしれません。ただ、それは自分が環境に順応できる人間であることの1つの証明だとも思っているので、そこまで悪いことだとは思わないようになりました。

日本にいる人からその変化を指摘されたり、それを「迷走」と捉えられてしまうことが自分の感情においてプラスに働くことはないですが、そのマイナスの感情を越えるだけのプラスの捉え方ができるようになったかなと思いました。

長井間の自分の感情整理にお付き合いいただきありがとうございました。

次回からは近況報告に戻らせていただきます。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

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