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過去の恋愛大決算② ホーリー編〜登る山を決めろ!学校では教えてくれないこと〜

バレンタインウィークは過去の恋愛大決算をしていきたいと思う。今の自分がこれから素敵な恋愛をしていくために。

昨日に続き、今日は20代に大阪と東京をまたいで一緒に時間を過ごしたホーリーの話。

ちなみに、昨日の桃ちゃんを紹介してくれたのがホーリーだ。ちょっと複雑。

桃ちゃん編はこちら
恋に恋した東京ラブストーリー
https://note.mu/polepolelife/n/n3f9b42dc62d8

最終的に付き合うという男女の関係にはならなかたけど、一緒に過ごす中で、人生や仕事の成功哲学をたくさん教わった人だ。

今も、人生や仕事に迷った時は、

「登る山を決めろ!」

と力強く優しい言葉をいつも思い出すのだ。

ホーリーと出会ったのは、大阪の北新地のクラブだった。和製ジョニーデップな九州男児な男だった。

当時最初の仕事を辞めて、転職活動という名の、モラトリアム期間だった。

とはいえ、生活もあるし、健康保険だ年金だと、失業者には結構痛い金額が出て行く。組織に属して働くありがたみを今更ながら感じた。

できれば、東京に転職したかった。資金を貯めなければいけない。

前の職場の知り合いのつてで、新入社員研修のTOEIC講師を2週間集中でして、残りは手っ取り早く生活を安定できる、時給が高い夜のバイトをまた始めることにした。

北新地は、大阪の繁華街だ。

北新地は初めてだった。何軒かまた面接に行く中で、なかなか学生時代のようには行かないなと、帰ろうと街を歩いている時に、マスターに声をかけてもらった。

そのお店のママは埼玉出身で、サバサバした人だった。ノルマもないし、12時きっかりで帰れるので、お世話になることになった。

そんなある日、ホーリーがやってきた。

背は高くなく、小柄。いつもセンスのある服装でやってきた。聞いたところによると、大阪と東京にも拠点がある会社の社長だった。

第一印象は、和製ジョニーデップのような、背の低い竹野内豊のような。結構かっこいいと思った。

だけど、お店の女の子たちはつくのは嫌がった。

めちゃくちゃ怖いのである。

怖いというか、厳しいのだ。あんまり喋らないんだけど、なぜか新地のおねーさんに笑いを求めてくるのだ。まあ、関西だからなのかもしれなかったが、猫なで声とか、そういうものは通用しない。何か面白い話をしないと、すぐにっチェンジだし、無言ですぐ帰るとなってしまう。

何人かチェンジさせられていた。だから、女の子たちはちょっと敬遠していたのだ。

その日、たまたま人出が少ない時に、ホーリーがやってきた。ママから、1人でお願いねと任されてしまった。Oh, my god!である。

本当に、ああ、どうしよう。。。と冷や汗をかいてくる。無言の圧力というか、なにか笑いをとらねばという変なプレッシャー。芸人か!!

とにかく、普段聞き役が多かったけど、思いつくままにひたすら喋った。自分の失敗話とか、もう芸人ばりに必死で話した。正直なんの話をしたかまでは覚えてない。

そうこうしていたら、いきなりぶっははははと笑いだしたのだ。

「お前おもろいなぁ!」

と。

これでよかったんか。ふぅ、

ひとまず、すぐに席を立って帰ることはなく、ようやくママが席に戻ってきてくれ、最後は上機嫌そうに帰っていった。

それ以降、毎回指名してくれるようになった。どうやらお気に召されたようであった。

後からわかってきたが、仲良くなると、結構向こうからも話してくれた。照れ屋で硬派な九州男児なのだ。

そうこうしているうちに、東京での就職先も決まり、お店も辞めることになった。

また東京来る時にお会いしましょう!と伝えて。

そうして東京での生活に慣れ始めた頃、急に連絡が来て、銀座におるから来ないかと言われて、回らないお寿司をご馳走になった。

それから、普通に東京にきている時には、よく連絡をくれて、色々なお店に遊びにいった。

最初は高級料理店だったが、もうお客さんという関係でもなくなっていたので、有楽町のガード下や、新宿、渋谷の横丁、赤提灯に居酒屋からバーまで、気兼ねなく話せる場所が多かった。新宿歌舞伎町や2丁目、ゴールデン街にもよく連れていってもらった。毎回が冒険みたいだった。色々な体験を一緒にし、大笑いした。

夜の世界には、色々な人生経験を持った人がいる。それぞれの事情、売れっ子の人のプロ意識、社会の偏見に負けないくらい明るく生きている人。みんな違って、みんないいのだということを、私は夜の新宿での体験を通じて学んだ気がする。

まさに学校では教えてくれないことだった。

そんな時、東京で初めて転職した会社を、色々な事情もあり、半年で辞めることになった。さて、どうしようか悩んでいる時に、人生の大先輩であるホーリーに相談した。

その時に言われたのだ。

「登る山を決めろ!決めたらただ登るだけだ。」

そういって、ぽつりぽつりと、若い頃の話をし始めた。

福岡から大阪に働きに出て、町工場で働きながら、18歳の時に、社長になりたいと思ったそうだ。そこからは、寝る間を惜しんで、経営について学んだそうだ。

そうこうしているうちに転職し、出世し、自分で会社を立ち上げた。

自分の中で決めたことを何があっても死守する。それぐらいの覚悟が必要だ。

自分がどの山に登りたいのか、それをまず決めればいい。

登り切ったら、また次の山が見えるかもしれない。

さすが、社長になる人はやっぱり器が大きいなと思ったものだ。

まだその時は次に何をしたいのかまだわからなかったが、まずは登りたい「山」を見つけようと思った。

そうこうしているうちに、またまた知り合いのつてで、新しい就職先が決まった。

それからも、たまにふらりと、東京いるからと連絡が来て会うことが続いた。

そんなある日、ホーリーがいつもとちがう様子で、帰りに送ってもらった時に、家によっていかないかと誘ってきた。

いつも会う時は男女の感じではなく、赤提灯で気楽に飲む友達のような感じだった。一時期期待したこともあったが、何も言われないし、私もそういう感じじゃないのかなと思っていた。

もちろん、ただの友達とは違う。でも、友達以上、恋人未満のような。

それであり、人生の師匠のような。仕事自体の話はあんまりしなかったけど、成功者としての哲学はたくさん語ってくれた。今思えば、何かのセミナーで成功者の体験を高い講演料を払って聞くような話ばかりだった。

そして、その頃にはまた、銀座での夜のバイトを始めていて、ホーリーが連れてきた桃ちゃんに夢中だった。

ホーリーのことは人として好きだったが、男性としてはもう見れなかったのだ。タイミングだったのか。やっぱり何かが違っていたのか。

そこに何かのすれ違いが生じてしまった。

「ホーリーのことは尊敬しているから、そういう関係とは違う」

そういった時、少し切なそうな顔をしていた。

なんだか私もモヤモヤした気分で、帰り道のタクシーから覗く、新宿の街をぼーっと眺めていた。

それ以降、連絡をしてくれることはなかった。

友達を失ったようなもの寂しさがあった。

とにかく、20代の若い頃に、素敵な大人の人たちから学んだことは、今30代になって、本当の意味がわかってきた気がする。

ホーリーの人生や仕事の成功哲学は最高に実践的だたけど、恋愛の戦略はちょっと違っていた。

もっと早く、私が意識していた時に、言葉で表してくれたなら違う結末になったかもしれない。

それでも、登る山を決めろ。決めたら死守しろというホーリーの言葉は、いつまでも私の胸の中に刻まれている。迷った時に、指針となる言葉だ。

恋愛とは少し違うかもしれないけど、尊敬する家族みたいな。今思えば、大切な人だった。

新宿の夜のネオンを見るたびに、ホーリーのことを思い出す。

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