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アラビア文字圏入門

この記事は『言語学な人々Advent Calendar 2023』に参加しています。

本稿の特色

 アッサラーム・アレイコムです。今回はアラビア文字の初歩的な知識について執筆しました。本稿は複数の言語を学ぼうという前提のもと執筆しておりますので、個別言語を極めたい方はそれぞれの専門書を読んで頂いたほうが時間の節約になります。一方で、中東のニョロニョロした文字について初歩的な知識を得たい方には一定の知見を提供できます。
 本稿では初心者向けということを意識して「①基本的には『ですます体』で書くこと」とします。また「②年代や文字数に関しては参考文献を指すもの以外を除き、引用を含め漢数字で統一すること」としています。

アラビア文字

 文字がなければ言葉は書けません。これは基本的な事実ですが、面白いことに地域や民族によって文字は異なります。その中でアラビア語の文字はよくて知られています。アラビア語はアフロ・アジア語族のセム語派という言語のグループに属しています。文字もアラビア語の特徴に合わせたシステムを合わせ持っています。このニョロニョロした文字を「アラビア文字」と呼びます。私たちの文字と大きく異なる点は主に下記の三つです。

①右から左に書くこと
②単語の頭・中間・終わり・独立したときで文字の形が異なる
③子音重視

 下記で例を見ながら解説します。

“محمد”の読み方


 それでは上記に例を出します。アラビア文字はどのように読むでしょうか。 ①で書いたように左からは読みません。右から読んでいきます。
 次に②です。上記にはいい例が含まれています。それは"m(م)"です。この文字は「ミーム」と言いますが、上記の例にはこの文字が二つ含まれており、形がぞれぞれ異なります。この「م」が独立した形(左右に何も文字がないときの形)になります。
 それでは上記の例の「م」がどれかわかりますか?正解は先頭の丸まった部分と最後の手前にある丸まった部分です。これは②で言及したように書く場所の違いに合わせて若干異なる字形で書かなければならないというルールがあるためです。ただし、「م」の例を見ていただいたように元の独立形の形とはほとんどが大きく変わらないということは覚えておいてください。例えば「م」をつなげて書くとこのようになります:「ممم」。先頭と真ん中と最後で文字をつなげるために少しだけ形が変わっています。ただし、大文字小文字の区別はありません。
 最後に③についてです。このままストレートに右から読むと「MHmd」となります。このままでは何だかわかりません。私たちのよく知っている母音、つまり「ア」とか「イ」、「オ」はどこに書いてあるのでしょうか。実はアラビア文字は「母音はほとんど書かない」んです。「ア」や「ウ」などを表す文字はありますが、他の母音を転写するために転用されたり書かれなかったりします。そのため、私たちのひらがなやカタカナが常に子音+母音の組み合わせになっていることに対し、母音を表すアラビア文字は日本語と比べ相対的に使用頻度が低いと言えるでしょう。そのため、学習者は子音のパターンを覚えて読むことになります。
 答え合わせに入ります。この文字は「ムハンマド(MuHammad)」と読みます。イスラム文化圏で最もポピュラーな人名の一つですね。特にこの③がセム語派の言語の特徴で、子音の組み合わせを重視しています。例えば綴りがアラビア文字で「k-t-b」と書いてあれば、それは何かしら書くことや書物に関わることを表します。日本語の母語話者が「書」という漢字を見て「文字を綴ること」や「何かの本」と想像を働かせることとメカニズムは類似しています。
 実は特徴に挙げていないのですが、「mm」のように子音が重複する場合、重複する子音一文字を省略します。これは少しインチキでした。ですが、この重複する子音を省略する書き方はアラビア文字世界では必ずしも普遍的なルールではないため特徴から外しました。アラビア語の書き方においては普通と捉えてください。

広がるアラビア文字

 アラビア地方には古来より南アラビア文字と呼ばれる別のアラビア文字も存在していたようですが、アラム文字を祖とするナバタイ文字がおよそ三世紀頃にシナイ地方を介してアラビアに入り、四世紀の終わりか五世紀の初め頃に新しいアラビア文字が生まれて、イスラム教の勃興とともに古いアラビア文字は全て駆逐されたとされています[世界の文字研究会(2021) p.116]。預言者ムハンマドが啓示を受けて信仰を説き始めたのが西暦六一〇年頃とされています。イスラム教はアラビア半島に広がり、預言者ムハンマドやその初期の信者たちが暮らしたアラビア半島から世界へと広がりました。それに合わせてイスラム教の聖典『クルアーン』の文字としてアラビア文字も世界に広がるようになりました。現代でも『クルアーン』として認められるのはアラビア語で書かれたものだけで、他の言語に翻訳された『クルアーン』は注釈書とみなされます。

(ウスマーン写本(七世紀頃の『クルアーン』の写本) ウズベキスタン 論者撮影)

ペルシャ語の例

 アラビア語以外にもアラビア文字を使い続けている言語があります。その代表例がペルシャ語です。ペルシャ語はアラビア語がアフロ・アジア語族というグループに所属していたのに対し、インド・ヨーロッパ語族のイラン語派というグループに属しています。全くアラビア語とは異なる言語です。ちなみに、英語もインド・ヨーロッパ語族ですのでペルシャ語は英語の遠い親戚と言えるでしょう。「アラビア文字を使う英語の家族がいる」と覚えておいてください。
 しかし、ペルシャ語はアラビア語とは異なる言語と言いましたが、ペルシャ語の使用者にとって、子音重視のアラビア語用の文字は使いずらいものだったのでしょう。また、ペルシャ語にはアラビア文字にない子音がありました。そのような事情が煩わしかったのか、ペルシャ人たちは後世においてアラビア文字に新しい文字を加えて、三二文字とし自分たちの言語をより正確に書けるようにしました。この文字を「ペルシャ文字(1)」と呼びます。
 黒柳[2002, p.9]によれば「九世紀になってイラン東方地方、ホラサーン地方にイラン系民族地方王朝、ターヒル朝やサッファール朝が樹立されると次第に近世ペルシア語が芽生えた。しかしイラン人は最初から現在の三二文字を用いたのではなく、アラビア語の文字の二八文字だけを使ってペルシャ語を表記した。…現存する十一、二世紀の古写本ではペルシャ語考案の追加の四文字は使用されておらず、十三世紀頃から次第に使用されるようになった」とのことです。

現代ウイグル語の例

 アラビア文字やペルシャ文字の普及により、今まで口頭だけであったさまざまな言語も文字を持たない言語もアラブ人やペルシャ人の文字を借りて書くようになりました。また、従来アラビア文字やペルシャ文字で書いていた言語が文字改革でさらに自分たちの言語を書きやすいようにすることも起こりました。例えばウイグル語です。ウイグル語は中世にペルシャ文字で書いていましたが、アラビア語の表記法を真似ているので、[a][e]以外の母音は表示されず、ウイグル語を表記するには不便なものでした。しかし、一つの文字に対して一つの文字があてられるなど、少しずつ改良され、現在のアラビア式ウイグル文字のような表記体系となって、一九二〇年頃まで使用されていました。その後、文字の切り替えが政治的変換からあったものの、一九八二年には再びアラビア文字へと回帰しました[阿依(2023), 11p]。本稿ではこの文字を暫定的に「ウイグル文字(2)」と呼びます。

まとめ

 さて、ここまでアラビア文字が広がる歴史の概略を見てきました。本稿ではその文字体系が広がる世界を「アラビア文字圏」と呼びます。下記にアラビア文字圏の三言語のアルファベットをまとめました。独立形のみでまとめています。

図1.三言語の文字の並列図

 この図は参考文献を元にアラビア文字の並び方に合わせてウイグル文字とペルシャ文字を揃え空白を加えた図です。アラビア文字からどの程度文字が変わったのか見やすいようにするためです。
 ここからわかるように、第一にアラビア文字の二八文字+補助記号のような役割のある三文字からスタートしました。第二にペルシャ文字はアラビア文字をベースとしながらも自分の文字を独自に加えて使用するようになりました。第三にウイグル文字は正書法を改正しペルシャ文字をベースとしながらも自分の言語に不要な文字は削り落とし、文字の読み方を変えてさらに新しい文字を加えました。例えばペルシャ語で「h」を表していた「ه」が母音とされ、代わりに字形の異なる「ھ」が「h」として採用されました。こうすることにより、現在ウイグル語においては元来、子音重視だったはずのアラビア文字が完全に改革され母音も併記するための文字体系に作り変えられました。

アラビア文字圏の言語の学習順番について

 今までアラビア文字圏の展開を三言語の例を用いて見てきました。ここでわかるのが、アフリカから中東に広がるアラビア語、イランで使われるペルシャ語、中央アジアや中国で使われるウイグル語は地理的に隔たりがあるものの、言語間の文字の共有性がかなり高いことがわかります。つまり、アラビア文字圏の文字をどれか一つでも覚えれば、他のアラビア文字圏の言語に応用ができ、学習速度を高められるのです。また、古典を読む際にも重要です。イスラム哲学の著作はもちろんのこと、アフリカ世界の理解においても重要な役割を果たします。例えばスワヒリ語の伝統文学においてもアラビア文字とその変形文字が使用されていました[西江(2009), p.336]。
 もちろんどれから始めるべきかは学習者の自由です。私はアラビア語から始めました。しかし、最初から三言語を学ぼうと言う考えは毛頭なく、アラブ人の知人ができたからアラビア語を勉強し、テヘランに行くことになったのでペルシャ語を勉強し、ウイグル人と交流ができたのでウイグル語を勉強し…と計画的ではありませんでした。
 しかしながら、振り返ってみるとイスラム教や歴史上の関係で世界のアラビア文字圏やイスラム教の国の言語は多かれ少なかれ、アラビア語やペルシャ語の借用語を採用していることが非常に多いです。そのため、イスラム世界を広く眺めたい方にはまずアラビア語かペルシャ語でアルファベットを覚えていくことをお勧めします。
 また、現在はアラビア文字圏でなくてもアラビア文字圏の権威が残っている地域もまだあります。例えばトルコ語やトルクメン語などテュルク諸語という言葉を話す旧アラビア文字圏の国々や地域では依然としてイスラム教の影響が強いため、イスラム教の聖典の語句などをアラビア文字で書いて掲示しているところもあります。また、日本でも東京の代々木上原にあるモスク「東京ジャーミー」の礼拝堂に足を踏み入れれば天井にアラビア文字が刻まれています。
 アラビア文字圏は私たちの生活とは程遠いと感じるかもしれませんが、一度足を踏み入れればその深遠な文化の広がりと歴史的な広がりに興味を持つこと間違いありません。大学で学ばれている方は気軽にアラビア語やペルシャ語の授業に出席してその世界を除いてみてください。本論がそのきっかけとなれば幸いです。

(クフナ・ウルゲンチのモスクの掲示物 トルクメニスタン 論者撮影)

参考文献・脚注

1.阿依サリタナ『ウイグル語』学術研究出版 2023
2.依田純和『アラビア語別冊(文字編・文法表・語彙集)』大阪大学出版会 2021
3.黒柳垣男『アラビア語・ペルシャ語・ウルドゥー語対照文法』大学書林
4.竹内和夫『現代ウイグル語四週間』大学書林 1991
5.竹原新・ベベナム・ジャヘドザデ『ペルシア語』 大阪大学出版会 2020
6.世界の文字研究会『世界の文字の図典』吉川弘文堂 2021
7.西江雅之『アフリカのことば アフリカ/言語ノート集成』河出書房新社 2009

(1)「ペルシア文字」とすることもありますがここでは引用も含めて「ペルシャ文字」で統一します。また、「ペルシャ」という表記も同様とします。
(2)この「ウイグル文字」という呼び名は本稿での暫定的な呼び名であると理解してください。一般にウイグル文字というのは古代のソグド文字の影響を受けた文字体系のことを指すため現在のウイグル語の文字のことを「ウイグル文字」とは呼びません。


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