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【短編小説】 嘘と魔法

朝食はチョコバナナだった。起きあがって、台所へ行くと、ミルクチョコレートを鍋で溶かしている、君に声を掛けた。

「誕生日だから、チョコバナナでもつくろうと思って」

そうか、と僕は言った。食卓に溶かされたチョコレートと一口大のバナナのピースが別々の皿に盛られて、並ぶ。君はバナナをフォークに刺して、チョコレートをたっぷりつけて口に運んだ。それをまねるみたいに僕もバナナのピースをいくつか口に運んだ。ミルクチョコレートの甘ったるいにおいが部屋中に満ち始める。甘いものはどうしてこんなにも人を幸福な気分にするのだろう。それは血糖値の上昇による……なんて科学的な見識は今の僕には必要ない。この瞬間、僕が必要としているのは目の前に君がいて、食卓に溶かされたチョコレートとバナナがある、という事実だけだ。開け放たれた窓から朝の陽光と近所の子供たちの声、それに応える母親の声、「早くしないと遅刻するよ!」もう学校に行く時間だ。

昨日、夕食を君と食べながら——僕たちはたくさんの話をした。とにかくたくさんの話をした。それはとても楽しいひとときだった。僕たちはゆっくりと食事を楽しんだ。ヒューガルデンをグラスに注いで飲んだあと、僕たちはメルローを1本注文した。そして、牛肉のタルタル。

「当店はパリに本店がありまして、タルタルはパリで出しているのと同じ味つけ、同じ方法でつくっています」

と店員は説明した。この店がどれだけ格式高いかを物語ろうとしているのだ。僕も自分の店で働くときに、ときたまこの手法をもちいる。つまり、焼き加減がミディアムだったとしても、「ウェルダンです」と言いながら卓上に置けばそれはウェルダンになるのだ。客は満足げにそれを食べる。「やっぱり肉はよく焼くと美味しい」なんて言いながら。僕はその様子を見つめながら、ふしぎだな、と思う。たぶん、僕は料理に魔法を掛けている。僕がウェルダンと唱えればそれはウェルダンになる。この世には、魔法なんてものはない。そんなものは迷信、オカルトの類。しかし、魔法つかいと呼ばれた人は少なからずいたわけだし、魔法もまことしやかに信じられていた。その当時、魔法つかいと呼ばれていた人たちはたぶんこんなふうにして、さまざまな物や人に対して魔法を掛けていたのだろう。

ある人からすれば、僕は嘘をついているだけのように見えるかもしれない。しかし、僕がついた嘘はある意味、「真実」になっている。ここで起きていることはひじょうに複雑でありシンプルでもある。つまり、僕が言いたいのは「嘘」の対義語は「真実」ではないということ。「嘘」と「真実」は表裏の関係にない。「嘘」と「真実」はつねに混濁した状態にある。まるでパレットのうえで2種類の色を混ぜたときに、その混ざり具合によって、無限の色ができあがるみたいに。すべての物事は「嘘」であり、同時に「真実」でもある。


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