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ただそう願う

ぼくは、風俗に行くことにした。
その日ぼくは、友人とあるイベントに参加するために、秋葉原に行っていた。慣れない土地ということもあり、想像以上に疲れたが、時を忘れてイベントを楽しんでいた。    
ふと窓から外を見ると、すでに街には夜の帳が下りていた。時計を見るとすでに22時を廻っていた。
「そろそろ、閉店かな。でも、閉店後に裏のエレベーターから降りられるから大丈夫だよ」
何度も店に通っており、この土地にも慣れている友人が言った。
ぼくたちは、閉店するまでひたすら遊ぶことにした。
しかし、この後、自分の選択を責めることとなった。
「オレは、明日のイベントにも参加するから、ここで夜を明かすよ」ぼくは、彼のそんな言葉を予想してはいなかった。
どうしよう。困惑を隠せない。
「そこのエレベーターを降りると出口の前に降りられるよ」
彼が奥のエレベーターを指差して言う。
ぼくは、ひとりで帰ると言う選択をした。
そのエレベーターは、ショッピングモールによくあるそれとは異なり、小さくレトロなものであった。
また、閉店時刻であるため、下階に行くものしか運行していなかった。
階層を示すボタンには、一階とは別にB3の「万華鏡」という風俗店の名前があった。 
ぼくは、迷った。
寒い中、慣れない街を歩くよりは、風俗店に行って事情を話した方が良いのではないかと。
しかし、駅に向かうことにした。
たったひとりの都会の夜は、いつもよりもどっと寒さを感じる。
たくさんのネオンが街を照らしてはいたが、ぼくにはそのどれもが空虚で殺風景な、冷たいものにしか思えなかった。駅へ向かう道すがら、浮浪者や酔いつぶれたサラリーマンやガラの悪いお兄さんを見かけた。
当時のぼくにとって、その街並みは恐ろしいものであった。
やっとの思いで駅に着くと、駅の時刻表は、その日の運行が終了したと言う事実をぼくに突きつけた。
ぼくは、途方に暮れた。
あの街に戻り、どうやって夜を明かせばよいのだ。
そこで、冒頭に戻るのである。
ぼくは、風俗に行くことにした。
再び乗ったエレベーターは、さっきよりも暖かく感じられた。
これは、寒い外から帰ってきたからだろうか、それとも他に何か。
ぼくの体は、心地よく暖まった。その心地よさは、ぼくの溜飲を下げ、瞼を閉じた。
しばらくして、目を開けるとB3の万華鏡という風俗店の前に到着していた。どうやら、この短いエレベーターに乗っている時間、ぼくは眠っていたようだ。その日の寝床に対する不安と、少しの下心を持って彼の地へと向かった。
そして、ぼくは、人生で初めて風俗に足を踏み入れた。
しかし、エントランスに立つ女性の姿を見て、ぼくの下心は一瞬にして消え去った。
「いらっしゃいませ」
彼女は、弱々しい、しかし美しい声で客であるぼくを迎えた。
 そこにいたのは、ぼくと同い年くらいで、病弱そうな、真っ白な肌の今にも消えてなくなりそうな女性であった。
彼女は、とても美しかった。
ぼくは、突拍子もなく「君も娼婦なの?」と訊いてしまった。
この質問をした後、深く後悔したのを、今でも同じように思い出すことができる。
ぼくがそう口走ってしまうほど、彼女はその店に似つかわしくなく、儚げであったのだ。
「いや、私はただの受付です。父がこのお店を経営しているのでそのお手伝いをしていて」
彼女は、可笑しそうに笑いながら、ぼくに言った。
「そんな質問をされたのは、初めてです」

ぼくと彼女は、夜が明けるまで、ずっと話し続けていた。彼女は、ぼくの事情を知るとひとつ部屋を貸してくれると言ったが、ぼくはこうして話していることがとても心地よかった。
ぼくは、彼女に恋をしており、彼女もまたぼくに恋をしていた。
明くる朝、ぼくは彼女に必ずまた来ると約束した。そして電話番号を書いたメモ渡して店を立ち去った。

ぼくは、地上に上がるエレベーターで奇妙なものを見た。壁にかかっている時計が2年前を示しているのだ。その時ぼくは、時計がずれているだけだと思った。
しかし、エレベーターに乗ってしばらくたつと、夜中に乗った時のように体が暖かくなり眠りについてしまった。ふと目を覚ますと、その時計は今日を指していた。

その後、ぼくは彼女からの電話を待った。
しかし彼女から電話がかかってくることはなかった。
月日は、ぼくから彼女との思い出を、少しずつ奪っていった。
あの出来事から二年、ぼくは彼女のことをすっかり忘れていた。

あの場所でまたイベントが開催される。それを友人から知らされたのは、去年の冬のことだ。
ぼくは、あの出来事のことを思い出し、友人に話すことにした。すると彼は奇妙なことを言いはじめた。
「あのビルの地下には、風俗店なんてなかったよ。風俗店は3年前くらいに潰れてゲーム屋さんに変わったよ」
ぼくは、彼の言葉を聞き当惑した。
しかし、全てに合点がいった気がした。
あの出来事があの日の二年前であるのならば、あの時計にも、彼女から電話が来なかったことにも納得がいく。
4年前に奇妙な電話がかかってきたことがある。その声は、とても美しく、なんだか消えて無くなってしまいそうであった。
それが、彼女と出会う前のぼくへの彼女からの電話だったのだろう。
それから、ぼくは彼女を探した。やっと見つけた彼女は、土の中にいた。彼女のお父さんによると、ずっとひとりの男性を待ち続けて、三年前に亡くなってしまったそうだ。彼女は、寂しそうではなく、いつ来るかとずっと楽しそうであったという。

ぼくは、居た堪れなくなって、その場を立ち去った。
気がついたら、ぼくはあのエレベーターに乗っていた。
どうか、もう一度だけ、彼女のもとに。
ぼくは、ひたすら願っていた。
願っている間に、また眠りについてしまった。
気がつくと、ある病院の屋上にいた。
そこで彼女は、車椅子に乗って空を見上げていた。
彼女は変わらず美しく、しかし前よりも儚げだった。
ぼくは彼女に近づいていった。
彼女は、ぼくに気づくと「待ってた」と一言だけ言った。
涙が止まらなかった。彼女をぎゅっと抱き寄せた。

ぼくは、
このまま一緒に消えて無くなりたい 
ただそう願った。


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