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暗闇を照らしゆく、灯台のような人になりたい



「どんな日々が続いていたとしても、これから幾らでも輝いていける」



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*Episode 0*


はじめまして。noteをご覧いただいてありがとうございます。

私は東京を拠点に活動するアーティスト、Priscilla Lei。トランスジェンダー女性として生きることにも奮闘中。みんなからは「プリちゃん」という愛称で呼ばれている。2016年から5年間、『心に灯す光と色彩のパレット』という創作テーマのもと、"絵画のような写真・フォトアート"の創作活動を行う。

具体的に説明すると、日常を過ごす中で美しい瞬間を撮影した写真に、淡い光と豊かな色彩の”魔法”を施した、絵画作品のような写真のアート。


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私には生涯で叶えたい目標があって。それは、「『心に灯す光と色彩のパレット』というアートを通して、オアシスのような安らぎの時間や機会を一人でも多くの人へ届けていくこと」。

現実は厳しさを感じるときもあるし、何が正しいのか分からなくなるときも起きてくるし、生きづらさを感じることもあるから。内に抱える感情を解放できて、前に進みやすくなる拠り所を色んな形で届けたいのだ。これは5年前にテーマを掲げてから、変わることのないアーティスト人生航海のコンパス・信念。

応援してくださる方のお陰様で、個展の開催や、9月21日(火)には初の著書『心に灯す光と色彩のパレット』を出版と、少しずつ活躍の幅を広げさせて頂き、本当に有難く感じている。


アートブックA5フライヤー表



自分の使命に向かって頑張ることができているのは、紛れもなく私自身の原体験にあった。幼少期からHSP気質という繊細さをコントロールできない日々、将来したいことが具体的に見つからず、夢もコロコロ変わって悩んだ学生時代、そしてトランスジェンダーというコンプレックス。何度も砕け散るような痛みを経験していく中で音楽・写真・絵画といった美しい芸術に触れる時間は傷ついた心を癒し、明日を生きる糧になることを知った。これをきっかけに、「今度は私も誰かを癒していく、希望を届けることができる人になりたい」とアーティストを志したのだ。


このnoteでは「弱くて不器用なりにも、夢や目標に向かって生きている人生物語」をシェアしたい。幼少期からアーティストを志すまでのお話で、約1万字ほどの長文です。私は決して出来た人ではないけども、「紆余曲折な人生であっても、より良い未来を信じて今を楽しく生きているよ」、「私も山あり谷ありだから、何かを抱えていてたとしても一緒に乗り越えていこうね」というメッセージを、お会いしたことがない あなたに伝わると嬉しいな。


長編小説を読むような感覚でどうぞ。



*Episode 1*


私は今、東京にある大好きなスタバにいる。ドリップコーヒーが美味しい肌寒い季節がやってきたので、ふと人生を振り返りたくなったのだ。

1991年生まれの大阪府出身。いつも故郷トークをすると、「プリちゃんは大阪っぽくないよね」「物腰が柔らかくて"はんなり"してるから、京都にいそう!」と周りから言われることが多い。2021年に30歳を迎えた私は東京生活に馴染んでしまい、すっかり関西弁が消えてしまっていたのも理由の一つだろう。

幼少期の頃から内向的で、好きなことや興味関心があるものには、時間を忘れるくらい没頭してしまうタイプ。だから、もしBTSにハマったとしたら、相当なオタクになることは間違いないと予想できるほど。誰かと一緒に遊ぶことよりも、「自分の世界に入り浸る孤独な時間」を選んで楽しむことの方が多かった。居心地よく感じる"おひとりさま"が、アーティストとして生きることにもピッタリ合っているのだと思う。



その背景には、「自分の気持ちを相手に伝えることが上手くできない」という、コミュニケーションの問題を幼少期から高校生になるまで抱えていたからだ。表情・声のトーン・態度から、敏感に相手の感情をキャッチはできるのに、「言葉がうまく出てこない。喉の近くまでやってきたとしても、相手の反応が高解像度にイメージできるから恐くて言えない。」そんなものだから、子供の頃はよく親を困らせていたものだった。

2021年の今こうして、SNSやブログで自分の考えや気持ちを公にシェアしながら、沢山の方と交流できていること。大昔の泣き虫ちゃんからすれば、天と地がひっくり返るほど信じてもらえないだろうね。


大人になってから判明したのだが、HSP(Highly Sensitive Person)という生まれもった気質であること。想像できるイメージが、超美麗なグラフィックで脳内再生されるからこそ、良い面もあれば、それが裏目に出て心苦しむことも日常茶飯事。そう、プリちゃんは小さな頃から「繊細さん」。

運動神経がとんでもなく壊滅的で、小学生の通信簿はいつも10段階評価の「2」だった。スポーツの分野は、今世で全くご縁がなかった人生といえる。その代わり、美術・音楽・技術・家庭科は「9」。目の前に広がる洗練されたデザインや、美しさを感じるアートが昔から大好物だ。モノトーンよりも、カラフルな世界にいつも魅了されていて、頭の中でピンときた何かを一つの形に表現することが楽しい。その他科目は良くも悪くもない。「なんて極端な成績なんだろう」って、いつ振り返っても感じる。



*Episode 2*


中学生の頃。とにかくコミュニケーションが下手な私は、友達が片手で数えるくらいしかいなかった。周りは楽しそうに盛り上がっているのに、一人だけポツンと取り残された感じ。本当は人に興味関心があって、みんなと仲良くなりたかった。でも、どんな風にコミュニケーションをとったらいいのか全然わからない。かと言って、イジられることは嫌だったから、その時は感情的になって返してしまう。「もうええわ」って、心のシャッターをピシャッと閉じては自分の殻に籠る。当時は 冗談が通じない、クソ真面目でもあったのだ。


集団に溶け込むことも苦手だったものだから、ちょいワルでイケイケなクラスメイトに目をつけられ、卒業するまで靴や教科書がなくなるといった、執拗なイジメを受ける。所属していた卓球部でも、仲間外れにされていた部長を庇ったことが仇となって、次のターゲットが私に。部員に話しかけても無視、仲間外れにされる、わざと卓球ボールをぶつけられる。「なんで?」ってツッコミをしたくなるほどだった。更に追い討ちをかけるかのように、一番の親友と思っていた子から裏切りも経験することになり、すっかり私は人間不信に陥ってしまった。人を信じたくても、信じることができない。人生で初めて心の闇を深く味わう。


それでも勉強が好きだったから、不登校にはならずイジメは耐え続けることに。幸いにも暴力を振るわれることは一切なかったので、精神的な心の傷を受けるだけで済んだ。泣きながら下校することは日課に。親や数少ない友人には何事もなかったように平気なフリをして。強がりにもほどがあるけれど、「周りに迷惑をかけたくなかったから」という変なプライドを保つことでしか、自分の闇を守ることができなかった。



*Episode 3*


高校生になったとき。あまりにも中学時代の絶望や悔しさが強く残っていたことから、「人生を好転させたい!」と強く望むように。内向的であることには変わりないのだけど、居心地の良い殻から少しずつ抜け出そうとしていたのだ。「周りが変わることを期待するよりも、自分自身をアップデートしていくほうが、状況はより良くなっていくのではないかな」と、うっすら感じていたのもある。イジメや親友の裏切り以外にも、第一志望の高校受験に失敗という、勉強に対する挫折も初めて経験したことが原動力になった。


勉強そのものは、知的好奇心がそそられるから大好き。けれど、時頭はとても悪いほう。"勉強好きの おバカさん"ってわけ。だから、何かを学ぶときは人より多く時間を費やさないと全く身につかないのだ。ウサギとカメの童話なら、間違いなく私はカメに抜擢される。高校受験の失敗を挽回したかったからこそ、大学受験に向けての対策を入学時から取り組むことに決めた。

体育会系並みのハードな吹奏楽部に所属しながら、猛勉強を3年続ける。得意な分野はより伸ばせるように、苦手な分野は先生に”どうしたら更に良くなるか”とアドバイスを受けに行く。休みの日は、自ら書店へ足を運ぶことが日課。参考書だけでなく、モチベーションの上げ方や心理学といった自己啓発本も調達しては熟読。家族とお出かけすることはあっても、移動中に英単語を覚える時間に充てる。(お陰で”歩く単語帳”という異名を授かった)



こうした日々の努力によって、成績は数学と体育を除く全ての科目でオール5に。内申点は五段階評価のうち、4.8を記録。受験にも第一志望の大学に晴れて進めることができ、「なりたい未来を目指して準備をすることで、こんな自分でもやればできるんだ」と、初めて自信を持つことができた体験だった。でも、自信はたった一つの出来事で豆腐みたいに崩れやすいもの。この時の有頂天な私は、大学時代に呆気なく打ち砕かれることになるとはまだ知らない。



*Episode 4*


18歳まで大阪から離れることがなかった私は、大学入学をきっかけに上京。初めての東京生活に淡い夢と期待を膨らませていた。ただ、東京といっても八王子という山梨県に近いところで新しい日常がスタートした。2010年の私は、山手線側に行くことは滅多になかったのだ。

ずっと抱えていたコミュニケーションの問題も、高校3年間で "聞く"に徹したおかげで友人も少しずつ増え、大学生活でも培ったスタイルを活かしていけることに。相変わらず口下手なのは変わらなかったけどね。私のベースとなる部分は、この時代に養われたといってもいい。だから、10年以上経った令和時代においても交流が続く友人というのは、高校・大学時代に出会った人が多いのだ。


ちなみに、アーティストネームでもある「Prius(プリウス)」は、大学の先輩に名付けられたもの。理由が雑すぎて笑ってしまうけど、「好きな車は何?」と聞かれ、「プリウスです」と答えたら、「今日からプリウスで!」と返答。たったそれだけで決まってしまった。人生何が起こるかわからない。2010年から私はプリウスと名乗り始めるようになり、自分ですら本名を忘れてしまうぐらい友人や知人に定着してしまう。priusはラテン語で「〜に先駆けて」「前進する」という意味もあることを後から知り、「自分らしくていいかも」と案外気に入ってしまったから私も採用したってわけだ。


東京暮らしは毎日が新鮮で刺激的。ほんとうに沢山の素敵な人と出会うこともでき、良かった思い出もいろいろ。中でも、大学時代に挫折を3つほど経験できたことは、今に活きる糧となっている。


挫折の一つ。大学では7歳の時から触れていた語学を一番磨きたくて、英語漬けの4年間を過ごす。英語は日本語と全く違うからユニークで面白い。日本にはない海外文化を知る度に、「いつか世界中を周って肌で感じてみたい」と心に決めた。本当は大学時代に海外留学へ行きたい夢を抱いていた。だけど、週4日バイトしながらの苦学生でもあったことから、その淡い夢は早々に断念せざるを得なかった。

身近にいる友人や先輩・後輩たちが続々と海外へ旅立つ中、自分だけは叶うことがない現状。悔しさが募るばかりだった。だけど、「悔しさはバネにできる」という言葉は本当にある。嘆いていても仕方がなかったので、日本にいながらでも、英語学習を続ける仕組みや環境を自分なりに整えることにした。しかし、学習を進めていく中では決して順風満帆ではなかった。いくら勉強していても、思うように語学力が全く伸びない停滞期も経験する。「自分はもう限界かも」と、投げ出したくなるほどの挫折だったが、いつか訪れるブレイクスルーを信じきった。諦めなかった。試行錯誤のおかげで、大学入学時のTOEIC325点は卒業時には875点へ。


"When you put yourself out there and take chances, there's always something to gain no matter the result.(自分の殻を破って何かに挑戦すると、結果はどうであれ必ず得るものがある)"。望んでいた留学は大学時代に実現しなかったけれど、その代わりに今できることを探したことが良かった。挫折は心を強くさせてくれるのね。



挫折の二つ目。18歳から初めた週4日のバイトは、私にとって悩み多き時間だった。「本当はもっと勉強したいのに。。」という本音を抱えながらも、大学生活を送る上では頑張らざるを得ない。バイトをする必要がない同級生が、心底羨ましかった。何が一番の悩みだったのかというと、職場での人間関係と、仕事のできなささに対してだ。ほんの少しお勉強ができたとしても、仕事上では落第生だったのだ。

頭の中では理解できていても、身体がすぐに追いつかずミスを連発。要領がとにかく悪い。当時は失敗に対して恐れる気持ちが異常だったこともあって、上司からの叱責一つ一つが自分自身を全否定されているように感じていた。心にグサグサと刺さっては、いつも神経をすり減らす。だから、職場での人間関係は頭を悩ますものだった。かなり打たれ弱かった私は、一つの仕事に長続きはせずに職場を転々とするように。荷物の仕分け、イベント派遣、ホテルのフロント業務、個別指導塾の英語講師、スペイン料理店のホール、美容室の清掃・アシスタント、インテリアの在庫整理など。叱られる日々が多くて辛すぎたけれど、働くことや、お金を稼ぐことの大変さを経験することができた。それぞれの職場で色んなタイプの大人と出会えたこともあり、学ぶことはとても多かった。



挫折の3つ目。当時、”これになりたい”という今後の進路が明確に決まっていなかったことも悩みの一つだった。周りには教員や法律家、研究員、大学院進学と、なりたい姿をしっかりと持っている子が多く、私にはそれがなかった。完全に持っていないわけではなくて、アバウトすぎるのだ。比較して焦る気持ちも大きかったのだと思う。「自分は何のために生きていくのか?」「自分は何をしていきたい?」と、自問自答を繰り返すも、欲しい答えはすぐに見つかることはなかった。ただ一つ判明したことは、バイト経験や興味・関心を掘り下げていく中で、「感性を活かす」「1対1のコミュニケーション」「クリエイティブな仕事」は働く上でのキーワードかなと感じていた。

「企業就職よりは、手に職をつけていく方が私には向いてるんじゃない?」と、そこから美容師を志すように。目指す道が一つでも見つかった喜びは、長く続いた曇天に光が射したよう。お世話になっていた美容師さんを、営業前に店で待ち伏せして頼み込み、清掃係兼アシスタントとして約1年ほど働かせて頂く形になった。本当に有難い経験を積ませていただいたが、実際に働くことを通して、表と裏の両面を初めて知ることがある。最終的に、「他のことにも沢山チャレンジしていきたい」と気持ちが変化し、私は振り出しへ戻ることに。穏やかな晴れの日も束の間、気づけば空は曇りで覆われていた。


やりたいことがすぐに見つからないのは当然なのだと思う。選択肢も、知らない世界も星の数だけあるから。でも、そのままにしておくと何も変わることはない。ちょっと足の先を入れてみるだけでも、新しく知ることがあったりする。「きっと試行錯誤を積み重ねていくことで、点の部分が線になるときがやってくるはず」そう、信じて動くことしかできなかった。



*Episode 5*


2014年に大学を卒業してからというもの、これまで約4年半過ごした東京にサヨナラを告げて大阪へ帰省。これまでの挫折経験が自分の中にあるキャパシティを遥かにオーバーしたことで、張りつめていた糸がプツンと切れてしまう。明るい未来や希望を描くことが一切できず、生きることがしんどくて深い海の底に沈みたいほどだった。疲労が溜まっていたというレベルではなくて、頑張りたくても頑張れない無気力な状態。頭は動くけれど、身体が思うように動かせない。人と接することが無性に怖くなる。何もしていないのに、気づけば涙が頬を伝っている。これまでに少しは成長できた面もあるけれど、まだまだ私は精神的に弱かった。そんな自分の未熟さや至らなさを責め続けることしかできなかった。消化できない心の痛みを一人で抱え込むことが多かったので、泣きながらノートに感情を殴り書きしていた。そうすることでしか、気持ちの整理ができなかったから。



それに加えて、アイデンティティの問題にも思いっきり悩まされた。特に、ジェンダーのことだ。男性として生まれたけれども、性自認は女性という、心と身体が一致していないトランスジェンダーであること。実は2019年にカミングアウトするまで、このことを誰にも伝えることができないでいた。性別や恋愛の話題に触れられることがあっても、お茶を濁すことが私の中で守るべきルール。だから、それまでは男性として生きることを無理して頑張って生きていたのだ。自分だけが知る真実を隠しながら。

2014年当時の私は「自分が何者なのか」という葛藤が心の中で延々と続いていたのと、周りに話したくても恐怖心が強くて話せない状態だったからだ。すぐに解決できない問題に向き合っているときは、「なぜこんなに苦しいものなのか」と毎回強く感じる。学生時代の階段を登っていく過程で、薄々と気付いていたはずなのに、私は"本当の自分"をかなり否定していた。そもそも自分のことが嫌いだったことも大きく影響していたに違いない。認めたいけれど、認めたくない気持ちってあったりするよね。本当の自分を受け入れることができるようになるまで、この時から数年間が必要だった。



不協和音が鳴り響いていた心の救い。それは、母方の祖母と地元にあるカフェの存在。おばあちゃんは、どんな状態でも私の味方でいてくれて、今までの人生経験から大切なことを教えてくれるだけでなく、「頑張れ」を強要しない人。ただ受け入れて、話を聞いてくれる。どれだけ心救われたことか計り知れない。もう一つの救いが、この病み期に存在を初めて知った個人経営のカフェ。天井が高く開放感あふれていて、厳選されたインテリアが並び、コーヒーの香りが漂う店内。つい長居したくなる空間。働いているスタッフさんがフレンドリーで、目に光が放っていない私に対して「羽根を伸ばしてくださいね」と、言葉がけをいつもくださった。凍てついた氷が、ゆっくり溶けていくような温かさだった。光が見出せないドン底であっても、手を差し伸べてくれる人は必ずいる。この日をきっかけに、夏と冬には毎年訪れるサードプレイス(家でも職場でもない、心の拠り所)となったのだ。



*Episode 6*


これらの救いのお陰で、仕事にも再チャレンジできるように。就職先はすぐに決まり、外資系のアパレル企業で販売員として新たなスタート。自由な服装で働くことができ、上下関係に厳しくないフランクで風通しの良い社風。大学時代に経験したバイト先とは職場環境や働くスタイルが全然違っていたため、「環境が変われば働きやすさも変わる」ことを実感する。ただ、スピードとマルチタスクが強く求められる職場だったので、入社してから相当苦労することに。でも、それまでの自分と少し違っていた。すでに抱えていた闇を抜け出していたから。あれだけ苦手としていたコミュニケーションも場数を踏むだけ、昔より改善できるくらいにまで成長していた。自分の弱さを味わい尽くした人は、きっと乗り越えたときに心が少しだけ強くなれるのだと思う。だから、経験することは全て無駄じゃない。


大阪に戻ってきてから約1年半が経つ2015年。仕事の傍ら、趣味で始めたカメラや写真を本格的に始めるようになった。日常にある綺麗な瞬間を見つけては、撮影する魅力に取り憑かれたのだ。そのハマり具合は、記念にフォトブックを作成したり、インスタを始めてカメラ・写真好きな人と交流したり、心の救いとなったカフェで小さな展示をさせていただいたほど。『心に灯す光と色彩のパレット』に繋がる、大きな転機がやってきたのだ。次第に「写真の仕事をやってみたい!」と思うようになり、転職活動に挑戦。たくさん作品を撮り溜めて、ブックやポートフォリオも用意していたことが功を奏し、前撮り専門スタジオにブライダルフォトグラファーとして勤務することが決定。絶望を乗り越えて、2016年から再び東京を舞台に活動していくことになった。



*Episode 7*


ブライダルフォトグラファーといっても、当然アシスタントから。今まで感覚でしか撮影していなかったこともあり、「露出」や「f値」といったカメラの基礎知識の学びを深めつつ、先輩フォトグラファーに付いて仕事のサポートに費やした。休日はインスタで繋がったフォトグラファーやモデルさんと作品撮りや、ロケ地巡り。修正といったレタッチや、スタジオ撮影するためのライティング(Lighting)、和装・ドレスの衣装知識や撮影時の整え方など、覚えることは多岐に渡る。朝から夜までカメラや写真しかやっていない日々は、これまでにはなかった充足感を満たしてくれた。また、海外のお客様からのメール対応や、ロケの同行通訳と学生時代に培った語学力も活かしていくように。苦しかった過去の日々は、いつも未来のどこかで活きてくる日がやってくる。

アシスタントとして奮闘していたある日。実績とキャリアがある上司に狭い個室に呼ばれ、「プリちゃんの写真は、売れない写真!」と対面で直接罵られることがあった。あまりにも鋭い伝え方がショックすぎて会社へ2日間ほど行けなくなってしまう。技術が劣っていたのだと思うし、商業写真のお決まりからすれば、足りない点が多かったのかもしれない。でも、写真が大好きな私にとっては、全否定されたような感覚だったのだ。悲しみや悔しさといった感情がグルグルと混じる。この心の傷は自分の中で癒えるまで数年長引くことになるけれども、とにかく当時は根を深く張っていこうと決めた。



そういった苦悩は、嬉しい出来事がカバーしてくれることもある。それはアシスタント経験を積み、晴れてブライダルフォトグラファーとして勤務できるようになったこと。スタジオでお客様の大切な節目をはじめて撮影させて頂いたことは、今でも忘れはしない。心の内側では緊張の連続だったから。撮影終了後、幸せいっぱいの2人から「素敵なお写真を私たちのために残してくださって、本当にありがとうございます。」と、照れ笑いな表情で感想を直接伝えていただいた。あの喜びは、相当大きかったことを覚えている。「仕事を通してお客様に喜んでいただけることは、こんなに嬉しい気持ちになるのね。」


あれだけコミュニケーションに悩んでいた私も、接客というお仕事を通して随分鍛えられることになった。受け身ではなく、相手のタイプを見極めながらリードしていく必要があったからだ。ラッキーだったのは、職場の人間関係がダントツで良かったこと。叱咤激励される時もあるけれども、基本的にアットホームで人柄が良いフォトグラファーやメイクさんばかりだったこと。人生の節目を祝うプロだから、人柄が良いのは当然なのかもしれない。人間関係が良いと感じるようになったことは、これまで散々悩んできた過去の体験があったからもしれない。そう考えると、また少し成長を実感することができたみたい。

ご結婚されるハレの姿を、スタジオ撮影させていただく充実した日々。一期一会の撮影は、さまざまなドラマが毎回あって本当に有難い機会だった。お二人から幸せのお裾分けを頂いていることもあって、私自身も「またとない撮影時間を、楽しんでいただけたら」と意欲的に。その一方で、私の心の中では新しい悩みが芽生えはじめるように。それは、ブライダル写真に特化するのではなく、アーティストとして作家性を深めながら生きていきたい気持ちが強まっていたこと。2016年1月から「絵画のような写真・フォトアート」の創作を始めて以来、テーマである『心に灯す光と色彩のパレット』を追求してみたくなったのだ。



*Episode 8  :||*


そもそも私は美大出身ではない。「どうしたらアーティストとして活動できるのか」、想像が難しい未知の世界だった。当然、芸術関係のコネクションだって全くゼロ。「どうやって実現させるのか知らないけれど、いつか個展もできたらいいな」という夢物語だけは持っている。この先、かなり険しい道のりであることがイメージしなくても予想できる。それでも、どちらか一つしか選ぶことができない二つの道が目の前にあるとすれば、いつも心の声に耳を研ぎ澄ましてみる。そして、未来にワクワクする方を選んできた。どの道を選ぼうとも、大変なことはセットでいつも付いてくるものだから。決断するときは不安でしかないけれど、可能性を信じながらできることを一つ一つ実践していけば、きっと道は拓けていけるだろうし、応援してくれる人も現れるはず。そう考えてみれば、次に進むべき道は心の中で定まっていた。


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決意してから数年が経ち、2021年の私はアーティストとして現在活動している。振り返れば、「あの日あの時に決断できて良かった」って本当に心から思う。もちろん、挫折や失敗のオンパレード。詳しいことは、続編のEpisode 9以降で綴っていきたい。ただ、これまでも挫折や失敗を沢山経験していたこともあって、落ち込むことはあっても前向きに進んでいくことができるように変化していた。


信じられないことに、夢物語だった個展『心に灯す光と色彩のパレット』は、これまでに東京・横浜・大阪・京都にある9箇所で計8回開催。それだけでなく、初の著書となるアートブック『心に灯す光と色彩のパレット』の出版もさせていただいた。

これらの結果は決して私が凄いのではなくて、描く夢に対して応援や協力をしてくださる皆さんと出会うことができて、初めて叶えることができたもの。それがなければ、絶対このようなことは起きていない。無名のアーティストなのに、可能性を信じていただけること。本当にありがたいことだからこそ、私はこれからも向上しながら、一人でも多くの人に夢や希望を届けることができる人になりたい。


創作する作品や、アートブックに添えている言葉たち。これまでに悩んで、もがいて、苦しんできた体験があったからこそ生み出すことができた。もしマイナスな感情を経験していなければ、作品も言葉も生み出すことができなかったと断言できる。早め早めに、必要なタイミングで経験させていただいたことが結果的に良かったのかもしれない。

だから、過去に経験したことは決して無駄ではないし、悲しみや苦しみを誰よりも味わった人は、同じ悩みを抱える方に手を差し伸べることができる温かい人になっていくのだと私は思う。


「泣きたいときは思いっきり泣いて、笑いたいときは思いっきり笑う。感情をそのまましっかり味わえば、自然と心が整いやすくなって、より前に進んでいける。乗り越えていける。独りで抱え込まずに、誰かを頼ってもいい。立ち止まって休憩する時間もあっていい。大丈夫。」


自分の真実は、内側にしかないと思う。だから、周りにどう言われようとも、大切な心の宝箱に入れてある夢や目標の素晴らしさを信じてあげよう。一番の味方でいれば、あらゆる困難もクリアできるし、応援してくれる人も向こうからやってくるし、希望の光は見えてくる。


目立つことがなかったとしても、今できることに全力を尽くしているだけで、十分頑張ってるし、尊いのではないかなぁ。陰ながら未来の活躍を応援してくれている人は、あなたの周りにいるからね。どんな日々が続いていたとしても、これから幾らでも輝いていけるから。


#心に灯す光と色彩のパレット


長々と人生を振り返っていたら、すっかりドリップコーヒーが冷めてしまっていた。



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アートブックA5フライヤー表

【祝出版】優しい時間を味わうアートブック『心に灯す光と色彩のパレット』発売中


「悩みながらも前進し続けているあなたに、心の癒しや潤い、言葉のエールを贈りたい」

読み終わりには、優しくて幸せな気持ちで満たされて欲しい。明けない夜はないように、病めるときも健やかなる時も寄り添う、友人のような存在になりますように。


◇9/25 お取り扱い店舗様◇

梅田 蔦屋書店


東京を拠点に活動するアーティスト Prius Shota (プリちゃん)、
2021年9月21日(火) 国際平和デーに、初の著書『心に灯す光と色彩のパレット』を出版。

300人以上がクラウドファンディングで応援しあって出版が実現した、
【写真のアートと言葉で、心癒されるアートブック】。


淡い光と豊かな色彩が無限に美しく拡がる、『絵のような写真のアート』85点と、ほんのり前向きになれる言葉たちが掲載。巻末には著者Prius Shotaについてや、作品と個展の裏話つき。

好きな音楽をかけたお部屋で、温かい紅茶やコーヒーを飲みながら読書にふける。スマホやパソコンといったデジタルデバイスから一旦離れて、「穏やかな気持ちになれる、贅沢な時間」を味わってくださいね。


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