見出し画像

直き心「人徳」と「仁徳」

「人徳」と「仁徳」

直き心・人徳・仁徳


「徳」と「聴」の文字の組立の原義を
調べその旁は「直き心」と知りました。

辞書によると「徳」の語は、
立派な品性や立派な人格。恵む。
有り難く思う。もうけ。
と在ります。
漢和辞典『新字源』に、
「徳」は旧字体として<>、
異体字(古字)として≪≫が載っています。

「徳」の旧字の「德」の字は、
その前身が「彳」と「悳」により
形成された「憄」という字とされる。

「直」と「心」をタテに重ねた「直き心」
の「悳」の字を[とく]と読みます。

「悳」に「行なう」の意を持つ「彳」が
加わって「徳」という字が生まれました。
 
この「直き心」は、
『論語』の子罕(しかん)」に記されてある、
「意なく、必なく、固なく、我なし」
を踏まえた誠実で素直な心を指します。 

「意」は、思い込み。
「必」は、無理押し。
「固」は、固執。
「我」は、我儘。

「勝手な心を持たず、
  無理押しをせず、
  執着をせず、我を張らない」
という柔軟な思考と客観性を保ち
「直き心」を行い続けて「徳」を積んだ人を
人徳者、或は有徳者と言い、
私見でその人の固人の持つ「人徳」、
その仁の心である「仁徳」と解します。 

「直き心」は、真理を愛する心で、
直は「すなお」の意で、
正直・実直・率直・撲直などで、
直往邁進(ちょくおうまいしん)して
の為にを奮うのもとされています。
※【直往邁進】
ためらわず真っ直ぐに進んで行くこと。
従って邪なこと、卑怯なこと、
緩慢なこと、優柔不断なことを嫌う。

心が直くで、正しいものは、
言うことに嘘偽りがない誠実さ
素直さ・真摯さ
に当たると解します。

元来、嘘と言うのは、
自分の悪事を隠すためか、
体裁を飾るためか、或いは
不当の利益を得るためなどに、
その方便として言うもので、
一時はそれで通れることがあっても、
決して何時までばれないで済みません。

また、一度嘘を言ってしまえば、
それを隠すために第二の嘘をつき、
第三、第四、第五と際限なく嘘を
言うようになってしまい人々から
相手にされなくなり、その結果、
周りの人々から見放され孤立したり、
いじめに走ったり、或は人間として
あるまじき犯罪の起因になったり、
自分が嫌になり世間から離れたり、
大切な命を自殺に追い込んでしまう
結果にもなり兼ねません。

「人として成してはならない過ちや
 いかなる悪事も嘘から始まる」
と古から言い伝えられる様に、
そのようなことをする人の元を正せば
嘘をつく習慣によると考えられます。

我達は、自分の都合などで些細なことでも、
決して嘘を言わぬように心すべきです。

古より「嘘も方便」と言われている、
相手を思いやってつく嘘は、
「表裏一体」即ち裏表のない心で、
表は嘘でも、その裏側に相手への慈しみや
思いやりが隠されている「仁徳」と解します。

但し、自利、利己とも言える、
保身のためにその場凌ぎや自分自身
への言い訳でつく嘘は「嘘は方便」
でなく「嘘は自他からの逃避」
と捉えて良いのではないでしょうか。

「徳は本(もと)なり、
 先ず徳を積むことに努める」

日本文明の
[国柄探訪][日本思想][皇室の祈り]に、
この直き心について以下の記載がありました。

「直き心」 [以下抜粋転載]
国家を「和らげ調える」ためには、国民の
一人ひとりが「直き心」を持たなくてはならない。
他人を押しのけても自分だけ豊かになりたい、
とか、競争に勝つためには手段を選ばない、
というようなとげとげしい心では、
社会の波風はおさまらない。

自分のことよりも
周囲の人々への思いやりを大切にする、
とか、多少遠回りになっても正しい道を
歩んで行こう、と言う心持ちを多くの国民が
持つ時に、国は「和らげ調えられる」

このように国内を
「和らげ調えてしろしめす」ために、
天皇は国民の安寧をひたすらに祈る
「直き心」の体現者でなければならない、
というのが、皇室の伝統であった。


古から天皇の持つ直き心を「大御心」と呼んだ。
昭和20年9月27日に昭和天皇は、
占領軍司令官ダマッカーサーと会見し、
「私は、日本の戦争遂行に伴う
 いかなることにも、また事件にも
 全責任をとります」
と述べた上で、こう語られた。
「戦争の結果現在国民は飢餓に瀕している。
 このままでは罪のない国民に多数の
 餓死者が出るおそれがあるから、
 米国に是非食糧援助をお願いしたい。
ここに皇室財産の有価証券類をまとめて
 持参したので、その費用の一部に充てて
 頂ければ仕合せである。」

以下「奥村元外務次官談話記録より」
これを聞いたマッカーサーは、
次のように反応したという。
それまで姿勢を変えなかった元帥が、
やおら立上って陛下の前に進み、
抱きつかんばかりにして御手を握り、
「私は初めて神の如き帝王を見た」
と述べて、陛下のお帰りの時は、
元帥自ら出口までお見送りの礼をした。

昭和天皇の「直き心」は、
マッカーサーの心を揺り動かしたのである。
[以上抜粋転載終り]

昨年平成天皇が、
60年ぶりに訪英された際、
話題となり知らされた
「強き人格には、先ず人を思う」
の御言葉も、この「直き心」が
脈打っていると受止められます。

そしてこの「直き心」は、
現在の少子高齢化社会、震災復興、
今後のインバウンドでり世界中の
多くの方々への「おもてなし」の為にも、
私達日本人が身に着けなければならない
日本の和の心」でもあると思います。

『素直さ』と『謙虚さ』

松下幸之助氏は多くの著書の中で
「素直になりなさい」と教えています。

全てを受け入れる、
赤ん坊のような素直な心になれば、
不満は消え、心が豊かになること
であると記しています。

そうすることにより、
物事の真実が見えて力強く成長できる。

では、
この私心に捉われない素直な心(=直き心)
になるためには私達はこれから
一体どうすればいいのでしょうか?

【素直とは何か?】

(以下、松下幸之助氏著書「道をひらく」より引用)

謙虚の心を忘れぬことである。
順境でも、逆境でも、素直に受け入れる。
そうすると、力強く成長できる。
私心に捉われないということは、
遜るようになります。
これが素直な心の基本と言えるのです。

【全てに学ぶ心】

(以下、松下幸之助氏「素直な心になるために」より引用)

素直な心というものは、
すべてに対して学ぶ心で接し、
そこから何らかの教えを得よう
とする謙虚さを持った心です。

全てを受け入れるということは
既にお伝えしました。

しかし、
受け入れるという気持ちで接する
のではなく学ぶ気持ちで接するのです。

その心であれば謙虚になり、
積極的に受け入れようという心になります。

一つの考え方に囚われず、素直に考えを
変えることも出来るようになります。

【素直な心を養うためには】

一日で素直に成ることは出来ませんから、
まず、素直な心に成りたいという強い願い
を持ち続けることが必要です。

毎日、素直に成りたいと強く思い、
それを1万日続けると、結果として
素直の初段に成ると言われています。

ただ思うだけでなく、
一日が終われば客観的な視点から
反省を行ない、日々成長を心掛けます。

たった一日で素直に成れることは出来ません。
謙虚の気持ちを忘れず、日々精進することです。

【耳を傾ける】(傾聴)

素直な心というものは、
誰に対しても何事に対しても
耳を傾ける心である。

順境や逆境など大きな状況の受け入れも
大事ですが、人からの意見に対しても
謙虚に受け入れなくてはならない。

人間は一人の考えでは誤りが出たり、
気づかないことが多い。

それを自覚し、謙虚に意見を受け入れ
成長しなくてはならない。
即ち、寛容の精神です。

【価値を知る】

素直な心というものは、
良いものは良いものと認識し、
価値あるものはその価値を
正しく認めることの出来る心である。

意見の受け入れ方も色々あります。
「余計なお世話だが、まぁ参考に」
という受け入れ方ではいけないのです。

意見を言ってくれて「ありがとう」、
この感謝の気持ちで受け入れ、
良いものは良いと認識出来る心を
持たなくてはなりません。

【素直な心を手に入れたら】

素直な心が働いたならば、
為すべきことを正しく知り、
それを勇気をもって行なう、
という姿が生まれるようになる
私心にとらわれず、
なすべきことは頑固として行なう。
そうすると、真の勇気が生まれるとされる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?