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理解すること、理解されること。

今回は、僕が過去に書いた日記を
遡った時に出てきたモノを記事にしてみました。

書き起こしてみると思っていたよりも強烈でしたが、
ぜひ読んでいただきたいと思い投稿することにしました。

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世の中は理不尽なのかもしれない。
社会、人間関係が円滑になるように
敏感(繊細)な自分の一部を無理矢理、鈍感にしなければいけない。

多くの人がそうなってしまっていると思う。
いや、そうなるしかなかったのだろう。

1人の人が、人を苦しめ
また新たな“敏感が故に鈍感にならざるをえなかった”人を
生み出しているのだと思う。

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今回は敏感(繊細)な人が抱えている生きづらさに焦点を当てたい。

ありがたい事にこれまで仕事で
多くの人と関わらせてもらった。

その中で、
“敏感が故に鈍感にならざるをえなかった”人たちがいるのでは?
と思うような出来事に何度も遭遇した。

その人たちはどの言葉で機嫌を損ねるか分からない。
周囲は神経をすり減らしながら言葉や表現を選ぶ。

理不尽な事にその敏感な人たちは、
自分が発する言葉、態度には無神経である。
そこに“鈍感になるしなかなかったのか”と感じた。

人の言葉、態度には過敏に反応するが、
目の前の人の感情は気にせず
自分の言葉、態度をストレートにぶつけていく。

この人たちもまた生きづらい世の中を生き抜く為に
変化してきた人たちだと思う。

僕もそんな人たちから痛みを受けた。

その中で、
多くの敏感な人が苦しみ鈍感な世の中に順応していく世界を観た。

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自分が受けた痛みが他人に痛みとされないのであれば、
自分もやっていいと思うのだろう。

これが、他人を無意識に傷つけるサイクルなのではないか。

人の感情には鈍感だ。
その鈍感さが社会の怖い所だ。

その根底には、
「自分もされてきたからこれが当たり前だ」
という考えがあるとも思える。

だが、僕は無視しない。
自分の痛みも理解する。人の痛みも理解したい。

同じ感性を持つ同士、無意識にならずに
他の人にも配慮していける世の中
になれば良いなと思う。

その為には、自分が受ける影響だけを気にするのではなく、
自分が人に与えている影響も気にする必要がある。

自分が人に与えている影響を意識すれば、
“言葉の暴力”
は減る。

自分が傷ついたからこその気遣い、
自分がされて嫌な事は人にはしない。
他人が嫌だろうと思うこともしない。

自分が痛いと感じているなら
“同じ思いをさせない”ことも大切だ。

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