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6月角を曲がれば夏

すっかりふぬけている。

5月頃からなんだか妙に小忙しくて、6月になると大爆発みたいに忙しくなった。
お仕事もそうなんだけど、その他もろもろもが6月にぎゅっと凝縮したみたいに押し寄せた。
子どもたち周辺のあれこれとか、経理にまつわる云云かんぬんとか、小学校の役員仕事のもろもろとか、とかとか、みんな揃って「いついつまでに、これそれを」を差し出してくるので、悲鳴を上げる余裕さえないほどだった。
ただひたすら脳裏に「寝てる場合じゃない」という単語だけが、電流を放つみたいにピシピシ音をたてて主張していた。

お仕事が増えるのは大いに結構で、ありがたいことなので、よいのだけど、タイミング悪くほんとうにいろんなことが重なって、どれもこれも私じゃないとままならない部分を多く含んでいたんだった。
夫と状況を逐一共有し合って、これまじの支え合いだね、と実感できるほどに夫は家庭のセーフティネットを担ってくれて、途中一回、馴染みの中華料理屋さんの餃子を大量にテイクアウト、つまりドーピングをして、毎日鉄材を飲んで、亜鉛も飲んで、養命酒も飲んで、コラーゲンも高ポリフェノールチョコもぶっこんで、もう駄目だというときには、いつか母がなぜか送ってきたニンニクエキス玉のようなものを飲み込んで、ひたすらゴールを目指していた。

最後の力を振り絞って、疲労の限界が視界をひゅんと横切ったのも見ないふりして、這うように生きていたある日、なんと言うことでしょう、暑いのかな?3人揃いも揃って眠りが浅い夜がやってきた。
窓を開けたり、エアコンをつけたりとんとんしたりして寝かすんだけど、どうにもままならない末っ子。やけにぐずって泣くので長女が「眠れない」と悲しそうな声を出す。だんだん寝室がざわざわしているのをうっすら感じ取った真ん中が何かしらをごにょごにょ言って、誰かの腕を探す。
真ん中は眠りが浅くなると腕を触りたがる癖がある。たいてい私の腕で事なきを得るんだけど、この日は末っ子のケアに忙しい私だったので、あろうことか悲しげな声をひんひんあげている長女の腕を触ろうとした。
かなしいときになんか知らんけど腕掴まれて、ますます不愉快な気持ちになる長女。やめてよう、と今にも泣き出しそうな声を出す。

あいやーあいやーとベッドの上を右から左へ夫をまたぎながら、世話をやく。
長女と真ん中を引き離し、真ん中に私の腕を握らせて、またまたぎゃんと泣く末っ子に舞い戻って、トントンして、腕を求めて宙を掻く真ん中のもとへ舞い戻る。みんな寝たと思った頃にまた、末っ子が泣くを繰り返し、ほんとうにほんとうに忙しい夜だった。

ものすごく試されてるな、と思った。

*

翌朝、これはもうやばいやつだ、と確信した。
全身が泥みたいに重い。人間の身体の70パーセントは水分です、という文言が実感を伴ってやってくる。頭がちっとも働かない。なにをするにも頭ここにあらず、という感じ。「水筒」「ごはん」「いってらっしゃい」みたいな単語だけが降ってきて、それに身体を無理やり従わせるようなムード。
この時点でかなりの危機感は持っていた。
生来の不注意が、竜巻のようにエネルギーを増幅させて、天下無敵の不注意になる自信があった。
夕方のお迎え祭を超えられないと確信した。

その日は火曜日、長女と真ん中を15時にピックアップして、長女を習い事へ送り届けた後、真ん中をまた別の習い事へ。そのあと、末っ子をお迎えに行ったら、真ん中のお迎え。というスケジュールだった。

これは車ぶつけるパターン。
そう、知っていた。私は知っていたのだ。全部知っていた。なのに。

*

もう昔の私じゃない。こういうときは仮眠を取ろう。これ以上の負債を産まないためにほんの少しだけ眠ろうじゃないの。
午後から少し横になった。とても懸命だった。
なんだけど、疲れているときって気が立っていて、どうにも寝付けない。
そして、ようやく少しウトウトしたところへやってくる生協さん。
元気な声で「こんにちはー!」清々しい。

はいはいと対応して、えっとこれは冷凍、これ冷蔵、と冷蔵庫を開けたり閉めたりしていたらやっぱり目が覚める。
でも、寝ないとだめだ。もう同じ轍は踏まない。
かつて、疲労困憊を押し通して、何度車を擦ってきただろう。妊娠中や産後はほんとうにひどいものだった。
さあ、満を持して目を閉じる。私は寝るのだ。寝て回復して、健やかな身体でお迎え祭に乗り込むのだ。

ぎゅっと目をつぶって、なんとか寝付くことができた。
アラームを止めて、さあ、と立ち上がろうとするんだけど瞼が落ちる。二度目のアラームが鳴ってしばらくした頃、はっと我に返った。
時計を見たら15時を少し過ぎていた。
間に合わない。ひとり遅れると全員がなし崩しで遅れてしまうというのに。
飛び起きて、猫に挨拶をして、車に飛び乗った。
発車。と、ともに鈍い音。なにか踏んだんかしら、と思ったけどうちの冗談みたいに広い庭は水遊びした後のペットボトルとか、子どもがなにか作ったあとの材木とか、丸太とか、飼育ケースとか、バケツとか、それはもういろんなものが落ちている。
ひとつやふたつ踏みにじったって、敷地内だもの、知るものか、という気持ちだった。だって私は今、お迎えに行かなければならない。

*

私を待てなくて通学路を歩いていた真ん中と、校門前で律義に待っていた長女をそれぞれピックして、長女のランドセルをいったん置きに帰宅して驚いた。

家がえぐれていた。

どれ、と車を見れば、スライドドアにおしゃれな模様。

私はバケツも、材木も、丸太も飼育ケースもペットボトルだって踏んでいなかった。ただ、家をえぐっていた。
こんなことあるのかしら、何かの間違いでは、と思った。

だって、私はきちんと自分の不注意が引き起こすであろうことを、予測して、ちゃんと予防に努めたというのに。なんてこと。あんまりだ。

悲しみに暮れて、でもどこかで、そらそうだよね、という思いもあった。
私には私が足りない、そんな6月だったというだけのことだ。

*

翌日、夫がとても速やかに、保険の手続きをしてくれた上に、ひと言だって責めたりもしないで、ただ「しゃーないしゃーない」と朗らかに言ってくれて、なんていい人なのかしら、と思った。

とここまで書いて気がついたんだけど、あの夜泣き合戦のど真ん中でキッと覚醒して共に戦ってくれていたらもう少しまともな朝を迎えていたのでは。

それもまた、いまさら言ってもしゃーないのだけど。

*

そんなふうに泣きっ面に蜂だった、6月。
ようやく、諸々の出口が見えている。
出口が見えると気が緩んでしまうのが人の性で、とたんに眠気がものすごい。やるべきことがまだポロポロとあるというのに。
ゆるんだ気持ちに鞭打って、あと少しあと少し。


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6月をあと2日ほど残したあたりに書いたやつ。
読むほど疲労がかさむ気がして、熟成させてしまった。
ちなみに、車は無事に修理を終えたのだけど、家の外壁の建材が廃盤らしく、お直しが難航している。いつか直ると信じている。

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