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トンネルがせまるよ

末っ子次女に少しずつイヤイヤ期の片鱗が見え始め、戦々恐々としている。
というのは大嘘で、それさえもかわいい。
ズボンを履くにも靴を履くにも手伝えば自分で履くのよと怒る。
その怒り方も、腰を大きく曲げて顔を突き出し、全力の大きな声を出す。
「いーやあーーーーー」
と威嚇するように怒るさまはまるで動物のようであり、けれどそれは明らかな自我の目覚めであり、成長でもある。
その人間と野生のはざまにいる感じが途方もなくかわいい。
あんまりかわいくて、「もういっかいやって!」と催促してさらに泣かれたりしている。

こんなにかわいいかわいいと余裕な顔をしているけれど、そのうち、「ごはんだよ」にも、「もう寝よう」にも、「おくつはいてね」にも、「オムツ替えようね」にも、「お風呂入ろうね」にも、「おはよう」にも、「おやすみ」にも、なんでもかんでも「いや!」が返ってくることを私は知っている。
そうなるとさすがに嫌気がさす日がやってくることも分かっている。

カウントダウンがはじまってこのかわいいかわいいかわいすぎる眩しい日々がますます輝いて見えるこの頃。

ドラえもんを「もあん」と言う。
ごはんのことを(「ごはんも食べて」って私がいつも言うものだから「ごはんも」までが白米を指していると思ったんだと思う)「ごんも」と言う。
ちがうを「ちゃーうー」と抑揚たっぷりで言う。
イチゴが言えなくてなぜか両手のひとさし指を下に向けてイチゴを表現する。
ミカンを「ぴんかん」と言う。ぽんかんみたい。
ダメが言えなくて「まめ」と言う。寝言でも言ってた。
なにか自分でできたら自分の名前を言いながら片手を天高くあげる。
おはしが使いたい。
あかちゃんマンとポッポちゃんが好き。
でも言えなくて「かんまん」と「ぽぽ」と言う。
絵本はママとふたりで読みたい。
長女と息子が寄ってくると「にーにこない!ねーねこない!」と怒る。
パズルとおえかきが好き。
パズルは「ぱじゅー」になる。
お水を「べーべ」と言う。なぜ。

すべてが尊い。
このままずっといてくれないかな、と勝手なことを思ったそばから後悔して、うそうそ、すくすく大きくなってねと思ったそばからやっぱりさみしくなる。
でも、そのうち本格的なイヤイヤ期が始まって、そして長いイヤイヤトンネルを抜けたそこで待っている娘はきっともう、少しおませで、ボタンだって自分で留められて、ドラえもんのことを「もあん」とは言わなくなっていて、カメラを向けるとすましたお姉さんの顔でポーズをとるようになっているのだ。
想像するとやっぱりさみしい。

いつかイヤイヤ期にうんざりしたり、かなしくなったり心が折れそうになった日のためにこのnoteを書いている。
ああ、そうだ、少し前のあの子はこんなふうにまだまだ半分赤ちゃんで眩しかったのだ、と思い出すために書いている。
そうして長い長いイヤイヤトンネルを抜ける活力にするつもりだ。
というのも、イヤイヤ期がかなり激しめの予感しかしないんですね。
主張強めの傾向がありすぎるんですね。

いつかイヤイヤ期に心が折れそうになっているnoteを書いてたら誰かこのnoteのリンクをコメント欄にはりつけてほしい。
そうしてトンネルを抜けるエネルギーにするから、おねがいね。

また読みにきてくれたらそれでもう。