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「日本の、心よ」

唐突に寒くなってきて、布団から出るのが厳しい季節になりました。

人間もクマやリスを見習って冬眠したほうが良いのではないか、と感じる今日この頃ですが、現代社会がそれを許してくれないので、仕方なく起きています。

本当は、いつでも寝たい。

信号待ちの2分間も、レジ待ちの1分間も寝たい。しかし、基本的に立ちながら寝ることは難しいし、そのあたりの歩道に少しでも寝転ぼうものなら、周りの人に体調不良なのかと心配されそうだし、最悪の場合は警察を呼ばれてしまう。

寝る自由のない現代社会に強い憤りを覚える。もっと寝させろ。もっと人民に寝を与えよ。我々はもっとメーデーの日に寝る権利を主張するべきであるし、各政党は睡眠について真摯に取り組むべし。

だいたい政治家というものは、毎日のように国会での会議中に寝ているのだから(※偏見です。たぶん、みんながみんなそういうわけではありません)、日本の将来を考える前に、人間にとって必要なものは睡眠であるということを理解しているはずである。

たとえ国の今後を左右する大切な会議であっても、睡魔には勝てないのである。国会で培ったその経験をなぜ政治に反映しないのか。

東京都練馬区にご在住の一般の小学生である野比のび太さんは、現時点で祝日がない6月にぐうたら感謝の日を制定するというマニフェストを立ち上げられた。

それを見習い、世はもっと怠惰へと目を向けるべき。リゲインを飲んで24時間たたかう時代は終わったのです。チルアウトを飲んで12時間だらけましょう。

そこで銭湯である(いつものパターン)。

温浴施設というのはいいぞ。なにせ、全員がだらけている。全員がだらけるために来ているので、自分がどれだけだらけていても怒られないし、目立たない。

街の銭湯だとヌシみたいな常連客がいて、特に女湯だと細かいマナーを注意されがち、という話も聞きますが、自分は未だにそれはほとんどありません。注意されている人もあまり見たことがない。

まず、知らん人に話しかけられるということがあまりない。「こんばんは」とたまに挨拶をされることはあるが、その程度で、それ以降はお互い別に行動して、「さようなら」も言わずに勝手に帰る。

名前も素性もよくわからんが、そういう、見覚えのあるひと以上お知り合い未満みたいな、関係ない関係性(?)の方が2人いる。

ひとりは、いつもサウナか水風呂にしか入っている小柄なお兄さん。日サロに通っているのか、めちゃくちゃ色が黒い。

とにかくサウナにばかりいて、浴槽に浸かっているのを見たことがない。いわゆるサウナーなのだろうが、せっかくそこに風呂もあるのに使わないのはもったいなくないか?などと貧乏性の自分は思ってしまう。

まあ実際、大東洋などのサウナ専門施設は広くて種類も多いけど、2500円という普段使いするには厳しい値段設定だし、サウナ込みで620円のここならリーズナブルに楽しめる。

それに、この付近には他にサウナ付きの銭湯がない。なので、ここでサウナに入り浸る理由はわかるのだが、しかし、本当に風呂には入らなくていいのか?

などという私の勝手な心配をよそに、お兄さんはひととおり整った後に、腰に手を当ててフルーツ牛乳を一気飲みするという、まさに街の銭湯の醍醐味を楽しんでおられる。この間などはばったり同じ段のロッカーを使っていたりなどしたが、話しかけることはついぞなかった。

なにせ、左腕に立派な彫り物を為されている。そこだけのワンポイントだし、もっと全身に気合いの入った絵画を背負っていらっしゃる方々も何度もお見かけしているので、今更そのくらいで驚きはしないが、だからといってお近づきになって友好を深めたいとも思わない。行き摺りのまま、お互いにさっぱりした夜を楽しむのがいちばんの幸せである。たぶん。

もうひとりは、たぶん50代か60代のおじさんで、フレディ・マーキュリー氏のようなダンディな髭を蓄えておらえる。上の顔の髭の量も多いが、下の顔の髭の量も多い。

ちなみに、女湯は知らんが、街の銭湯で下の顔をタオルで隠す男性というのはほとんどいません。

というか、下の顔を隠している時点で確実に初心者だとバレる。かくいう自分も、銭湯に通いたての頃は隠していましたが、だんだん隠すほうが恥ずかしくなってきて、俺のあらびきBIGフランク……いや実際には鶏つくね串くらいの代物ですが、男湯に入るための勲章を堂々と見せつけてやるようになりました。

下の顔はともかくとして、このおじさんもまたサウナーである。前述のお兄さんと違って普通の浴槽にも入るが、おじさんが好むのは低温のスチームサウナのほうです。

だいたいどの施設でも、人気があるのは高温のサウナのほうで、サウナイキタイなどの専門サイトのクチコミで取り上げられるのもこちらのほう。

世のサウナーの多くはアツアツのサウナを好むので、ぬるいスチームサウナはスルーする人も多く、ガラガラに空いていることが多い。

しかし、スチームサウナならではの利点もあります。低温なので、熱いのは苦手だという人でも無理なく入れるし、アロマなどの香りを漂わせていたりもするので、心地好い空気を楽しめる。

その心地好い空気をお楽しみの最中、おじさんは私のほうを見て、頷きながらこう言いました。

「日本の、心よ」

そう、銭湯は日本で生まれた文化であり、江戸時代から現代に至るまで、日本のあらゆる人々の心を癒してきた。士農工商も貴賤も関係なく、彫り物を為された方も一般家庭の方もニートも小中学生も、別け隔てなく迎えてくれる。

人間は裏切るが、銭湯は裏切らない。銭湯は裏切らないが、人間は裏切る。

わけでして、確かに「日本の、心」というおじさんの意見には同意するものの、溢れかえる蒸気の中でのこのつぶやきに、どう返してよいやらわからない。

「ええ……」

とだけ呟いて、その後しばらく無言の時間が流れました。いちおう一度は会話(?)をした以上、スルーするのも変なので、スチームが出るごとに謎に頷き合いながら。

その後はずっと別行動。最後に浴室から出ていく際にちらっとあたりを見回してみると、おじさんはジェットバスに腰を当てて、静かに目を閉じて寝ておられた。

これが日本の、心よ。

サウナはたのしい。