見出し画像

『スレドニ・ヴァシュター』と我がバファリンへの信仰

イギリス文学の『スレドニ・ヴァシュター』は、過保護な伯母に育てられた主人公がこっそり小屋でイタチを飼い、そのイタチをスレドニ・ヴァシュターと名付けて、神として崇めるという内容です。

短編なので読みやすいのですが、内容はなかなかにえげつない。主人公は伯母のことを心の底から忌み嫌っているという設定で、彼がスレドニ・ヴァシュターに願うことは、伯母の破滅……、もっと直接的にいえば、彼は伯母に対して、あのババア早く○なねーかなと思っていました。

この物語は20世紀の初頭に作者のサキさんの短編集に収録され、その後イギリス文学の傑作として語り継がれるわけですが、20世紀も週末に差し掛かり、バブルも弾けてきた頃の日本国の大阪府の北の片田舎、ひとりの少年がとある石を見つめていました。

少年は内気な性格で、近所に住む女の子たちの、ドブ川に平気で飛び込んだり、田んぼの畦道で飛び跳ねるカエルさんを虐待したり、どこの誰が置いたのかわからないボロボロの車のボンネットに乗ってボコボコにしたりする遊びについていけず、家の裏にある月極駐車場で車の観察をすることと、その駐車場で珍しい石を探すことが生き甲斐だった。

少年は、近所の女の子たちに対して、憎しみや怒りは全く抱いていなかったものの、疎外感は覚えていた。とはいえ、もうドラえもんが机から出てこないことや、アンパンマンが顔を分け与えてくれないことくらいはわかる程度の知恵はすでに付いていて、それがなおのこと少年を孤独にさせた。

……と、海外文学の和訳っぽくかっこつけてみましたが、実際はそこまで悲惨なわけではなく、普通に女の子たちと遊んでいて、とりわけ憎んではいませんでした。

カエルをいじめたり車のボンネットに乗ったりするのはいけないことなので、ついていけない部分があったのは事実でしたが、自分も漢を見せなければと、ドブ川に飛び込むくらいのことは普通にしており、靴はいつもボロボロ。

当たり前ですが、ドブ川に落ちている石は大抵はクソ汚いです。人類の欲望によって汚染され、破壊された自然の姿を見て、自分はなんともいえない辛い気持ちに……なるほどに頭が良くなかったので、クソきったねえ石だなあとしか思わず、だんだん、このクソ汚い場所にいて何が面白いのかという気分に。

わかりやすく泥だらけで真っ黒な石。藻のようなものがくっついているためか緑がかっている石。茶色なんだか黄土色なんだかわからない石。汚い石ばかりを見ると、心まで汚くなってしまう。

などと悟りを開き、いつの間にやら女の子たちのそばから抜け出し、なんとなく自分のヒーリングスポットのようになっていた月極駐車場へと赴いていました。

そのいちばん端っこは近所の中古車修理店が借りていたスペースで、ナンバープレートのない半壊した車がいつも駐まっており、ボンネットの上にはタイヤやヘッドライトなどのパーツが置かれ、このあたりのイカれたガキどもに荒らされないようにするためなのか、周囲を大量の石で囲っていました。

どこから持ってきたのかはわかりませんが、ドブ川のものとはまるで違う、白っぽい石たち。別段に美しいわけではなかったはずですが、ついさっきまでヘドロのそばにいた身としては、とてもキラキラしたものに映った……のかどうかは記憶が定かではないのですが、何を思ったのかその石を家に密かに持って帰り、「バファリン」と名付けました。

とある医薬品と同じ名前ですが、なぜその名前を付けたのかはさっぱりわかりません。その石の半分は優しさでできていたのかどうかも不明です。

海賊が宝を離島に隠すように……、というよりも、お父さんがヘソクリを額縁の裏に隠すように、家の裏の物置スペースの洗濯機の裏にこっそりとバファリンを置きました。

ここなら誰にもバレないだろうと。当時は信仰などという言葉は知らないはずですが、それに似たような感じのことをしました。

しばらくバファリンのことは誰にも言わず、再び近所のアグレッシブな奴らに振り回される日々は続いたのですが、ある時期を境に、女の子たちはあまり暴れ回らなくなります。

それは彼女らがゲームボーイというものを手に入れたからです。そして、ゲームボーイの中でポケモンを強化して戦わせることに夢中になり、ドブ川への興味を失っていったのです。

自分もまた同じくポケモンにドハマりしたので、現実世界の石にバファリンという名前を付けるよりもバーチャル世界の石でポケモンを進化させることのほうが重要だと思うようになり、それからは靴が汚れることもなく、心が汚れることもなく、みんなが幸福になりました。

きっとあの日に洗濯機の裏に置いたバファリンのご利益……なのかどうかはわかりませんが、もしかしたら151匹のポケモンたちが我らがスレドニ・ヴァシュターだったのかもしれません。


サウナはたのしい。