見出し画像

不公平から平等へ

ズボシホスカ

不公平だと感じた時は中学自体の頃である。その時、バスケットボール部に所属していた。(以降バスケ部と略)私の部活は校内でもとても走ることが大切であるとされていた部活だった。だが、バスケ自体はとても楽しく卒部まで辞めはしなかった。しかし、一つだけ今でも忘れられないことがある。それは、「連帯責任」という言葉だ。私は、この言葉を許さない。なぜなら、私のバスケ部は誰か一人が遅刻してきたら「連帯責任」だから、みんな走るという理不尽かつ不条理なルールがあったからだ。何故、1人だけが悪いのに私まで走らされなければならないのだろうと思った。また、学年の中で誰か一人が悪いこと、に飴を持ってくるなどといった行為をした場合、学年集会が開かれる。そこで、無意味な時間と理不尽な理由で時間を拘束され無駄な時を過ごすことが私には耐えがたかった。今、大学生になって社会は1人で生きていくものだと実感している。成績だって同じだ。成績なんて、自分の努力だけが反映されていく。都合のいい時だけ、「連帯責任」とかいう狡猾な決まり文句だけを使う人間は私は断固として否定する。この社会は、不公平から平等に近づけるべきだと思った。平等であれば、不公平のような仕打ちは受けず悪い事をした人間だけが怒られる。私は、そのような世の中を望む。
だから、私は不公平なことは許せない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?