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北朝鮮に日本はない#2 レストランのヒョンスクの無邪気な笑い

「ねえヒョンスク。ちょっと聞きたいんだ」。
ぼくの質問に「何ですか」とほほ笑んで首を傾げたヒョンスク(仮名)。彼女は平壌の普通江ホテルのレストランの接待員だった。年齢は20代半ば。2015年のことだ。
「あのさ、正直に答えてね。ヒョンスクの日本と日本人のイメージってどう」と聞くとヒョンスクはぽかんとした顔をした。しばらく考えて返って来た答えは「ないわ」。「え?ないわ?ないってどういうこと?」。ぼくの問いにヒョンスクはことばを選びながらゆっくりと答えてくれたのだった。

2003年のこと。平壌の羊角島国際ホテルのバーで働いていた女性接待員ヨンスン(仮名)の「私は歯を食いしばって半年で日本語を覚えました!」という日本語にどっと場は沸いた。その日本語はおよそ半年で学んだというレベルではなかったのだ。

「彼女、もしかして工作員じゃないのか」とある人は皮肉を浮かべ小さく呟いていたが、語学の才能に関しては日本人よりも朝鮮人の方が優れていると痛切に感じる。韓国人も同様、努力とセンスが全然違う。そして失敗を恐れない。少しくらい間違っていてもガンガン進む。むしろ「私は外国人なんだからヘタなのは当然じゃない。日本人のあなたが頑張って理解しなさいよ」という勢いを感じる。そんな不遜なことを実際に口にはしないが、何とか彼らが伝えたいと思っていることをすくい上げてやろう。そう思わせる一生懸命さがある。

 だから北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国にいる時は、日本に来た韓国人の友だちが日本語を話す姿を見習う。少しくらい発音や文法が間違っていたって知ったことじゃない。理解してくれなきゃ辞書を見せればいいし英語を混ぜたっていい。ジェスチャーでもいい。その熱意でことばは必ず伝わるからだ。

 そうして2015年に仲良くなったのがレストランの接待員、ヒョンスク(仮名)だった。毎朝ぼくがレストランに来ると進んで給仕をしてくれ、今日はどこに行くのですか?と聞き、ぼくの冗談に大笑いし決まって「ああ、おかしい。本当に先生様は日本人なのかしら」というのだった。それがぼくたちの朝のルーティンだった。

 冒頭のシーンの続き。ヒョンスクはこう話す。「だって先生様。日本人って本当にシャイ過ぎませんか。あいさつもしないし話もしない。私のいるレストランに朝食を食べに来るときもスーッと来て、いつの間にかスーッと帰っていくじゃないですか。そもそも朝鮮に全然来ないじゃないですか。そんな人たちにいったいどんなイメージを持てというのですか」。
 
 まさに正鵠を得るとはこのこと。とりなすようにヒョンスクはいった。「でも先生様は別よ。先生様は本当に面白いんだから。先生様のことを悪く言ったんじゃないの」。

 わかってる。わかってるよヒョンスク。ありがとう。

 バー「銀河水」で出会ったママの年齢を思い出した。確か彼女は30代後半だったはずだ。そしてこれまで会った朝鮮人たち。日朝関係について「国と国との関係は悪くても、隣人同士仲良くなれるはず」と答えた彼らは、決まってバーのママと同世代か上の世代の人たちだったことに気付く。彼らが社会に出て働き始めたころはまだ日本人の訪朝者がそれなりの数いたのだ。日本人との接触する機会と経験が彼女たちにはあったのだ。

 中外旅行社の社長によると、2015年の1年間で北朝鮮を訪れた観光客は約10万人という。うち日本人は100人未満。中国経由で入った観光客や訪朝団を含めても1000人には到底及ばないという。ちょっと乱暴な計算になるが、北朝鮮を訪れた外国人のうち日本人の占める割合は1%未満なのだ。

 だから今、ホテルには日本語を話せる接待員がいなくなった。半年間で「歯を食いしばって」日本語を覚えたヨンスンはどこに行ったのだろう。カラオケバーにいた、津軽海峡冬景色を本家の石川さゆり以上の腕前で歌って見せた接待員もいない。今、カラオケバーで接待員が披露してくれる外国の歌は中国の歌だ。

 ヒョンスクの答えにぼくは立ち尽くした。20代のヒョンスクが社会に出たころにはもう日本人の訪朝者はほとんどいなかった。そして数少ない訪朝者もともかくシャイで、スケベな視線は投げかけるものの彼女に声をかけることもない。「日本人と日本のイメージについてどう思う?」という問いへの、ヒョンスクの無邪気な「ない」という答えはぼくを戦慄させた。

 もはや日朝関係は悪化しているという段階にはない。既に透明化しているのではないか。そんな思いを訪朝する度にぼくは強くする。

■ 北のHow to その15
 かつてはホテルやカラオケバーにはひとりは日本語が堪能な接待員がいたものだ。彼女たちにおんぶにだっこで滞在中過ごすことが出来たが、今やそれも望めない。朝鮮語で話すか、英語を話すか、そのチャンポンとジェスチャーと熱意で押し通すか。美貌の接待員を前にしたら、プライドを捨てよう。
 この意味でも接待員、もとい朝鮮人との関係は透明化が進む。

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