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Movie: 『21世紀の資本』(2017,🇳🇿🇫🇷)(#36)

馬(馬車)から自動車に変わったのは効率の問題だ。今度は人間が馬の立場になる、あっという間に。

映画の終盤、そのような発言がありました。

これは2014年、日本でも経済学書としては異例の大ヒットをしたトマ・ピケティ著『21世紀の資本』の映画版です。

日本では昨年2020年に公開されました。


話は戻ります。

冒頭、馬(馬車)から自動車に変わる時代、たとえばミクロで成功したのはエルメスです。
彼らは馬車の一下請企業でした。
しかし馬車が要らなくなれば、馬具も要らなくなります。
そこで思い切って馬具作りで培った技術を革製品、アパレル製品へと展開していったのでした。

ではマクロではどうかというと、戦争の時代に突入します。
戦争は人類を生命だけでなく、経済の面からも脅かす“自滅行為”です。

1940年代後半、金融政策の一環で、富裕層の資産凍結が国レベルで行われていました。
奇しくもその時代(WW II 後、10年)が一番資産が再分配され、格差のない時代だったといいます。


格差とは“富裕層も”損する可能性を孕む問題


ところで、そもそも格差の何が問題でなのでしょうか?

実はあまり触れられていない気がします。

映画では21世紀、19世紀同様、資本家の時代を繰り返してしまう(突入している)といっています。

もし無策なら、20世紀の戦争同様、世界(特に先進国)が疲弊し、結果的に格差がなくなったときのように、悲劇的な変化が待ち受けているだろう、そんな解釈でしょうか。

要するに、長い目でみたら富裕層も含めたみんなが損する、あるいは損する可能性が高いから問題なのです。

現在、経済活動の占める割合の75%が金融経済で残り25%が実体経済です。
25%の生産性はますます改善されるのに多くが豊かになっている実感はないのではないでしょうか。
実はそれ、日本だけに限らず、世界中で感じている現象なのです。
代わりに、75%を牛耳っている資本がますます豊かになっています。

マルクスの『資本論』では生産力と生産関係の歪みから止揚(アウフヘーベン)して新しい生産関係を生み出していく歴史があるといわれています(=唯物史観)。

その発展過程が以下通りです。

原始共産制→奴隷制→封建制→資本主義→社会主義→共産主義

冷戦中、マルクスを教本としていた社会主義国家の多くが歴史的に崩壊しました。
今どこにいるとか、何が正しいかとかではなく、上がる生産力と増えない賃金(生産関係)などを鑑みれば、資本主義が最善ではないという事実だけは確かなようです。

つまり、そんな過渡期に生きているのです。
決して遠い話ではなく、問題を各々に顧みるべきなのです。

では各々、ミクロでできることは何でしょうか。

月並みですが、それは時代を読む(予測する)ことです。

エルメスが方向転換し、成功したように、危機感を持って備えておかねばならないのでしょう。

本作はそう再確認させる、やや高難易度な一作でした。

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