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映画『二重のまち/交代地のうたを編む』感想を書いてみる。

こんにちは、QoiQoi大橋悠太です。
今回は前々から気になっていた映画『二重のまち/交代地のうたを編む』を観てきたので、感想を書いてみたいと思います。

どんな映画?
『二重のまち...』は瀬尾夏美さんが書いた書籍のタイトルで、それを元に映像作家・小森はるかさんが映像化した映画です。
あらすじと作品説明はこちら↓↓↓

2018年、4人の旅人が陸前高田を訪れる。まだ若いかれらは、“あの日”の出来事から、空間的にも時間的にも、遠く離れた場所からやって来た。大津波にさらわれたかつてのまちのことも、嵩上げ工事の後につくられたあたらしいまちのことも知らない。旅人たちは、土地の風景のなかに身を置き、人びとの声に耳を傾け、対話を重ね、物語『二重のまち』を朗読する。他者の語りを聞き、伝え、語り直すという行為の丁寧な反復の先に、奇跡のような瞬間が立ち現れる。

本作は、東日本大震災後のボランティアをきっかけに活動をはじめ、人々の記憶や記録を遠く未来へ受け渡す表現を続けてきたアーティスト「小森はるか+瀬尾夏美」によるプロジェクトから生まれた。『二重のまち』とは、かつてのまちの営みを思いながらあたらしいまちで暮らす2031年の人々の姿を、画家で作家の瀬尾夏美が想像して描いた物語。陸前高田を拠点とするワークショップに集まった初対面の4人の若者たちが、自らの言葉と身体で、その土地の過去、現在、未来を架橋していくまでを、映像作家の小森はるかが克明かつ繊細に写しとる。
(映画公式サイトーイントロダクションより引用)

実は、自分たちの作品を作っていく中で福島の何が描けるんだろう。
僕らが語れることは何があるんだろう。と表現者としての挫折の中にいた自分たちに「『語りづらさ』や『当事者性』と向き合う」というヒントを与えてくれたのが、瀬尾さんと小森さんでした。
「なるほど、こういう風に考えて現地で活動なさっている方々がいるのか」と思って目からウロコ。
そういったこともあり、いつか映画や作品にも触れてみたいと思っていました。

今回ようやく映画を観る事が出来たので、さっそく感想を書いてみたいと思います!

映画を見た大橋の感想

復興の嵩上げ工事が進む陸前高田のまちを歩きながら、そこで暮らしている人々のお話を聞く4人若者達。
このまちの事をまだ何も知らない彼らが、このまちの記憶や記録をたどり自分の当事者性と向き合っていく、そういう話でした。
画面の中で何か大きな現象がおきたり、観客の感情を大きく揺さぶるような演出はほとんどありません。
ただ淡々と若者たちが、想像もできない被災の体験やこのまちの記憶を聞いていく。
そしてその時何を思ったのか、なぜそう思ったのかを自分と対話しながら紡ぎだしていきます。
時折朗読される『二重のまち』の物語、2031年のまちの下に眠る故郷を想う誰かの心の物語が、このまちへの想像を喚起させました。

映画を見ながら、福島に行って初めて現地を見て、話を聞いた自分達を見ているようでした。
だからこそ、映画の中の4人が「無理なんだよ? 無理なんだけど、ここで聞いた話のそのままを誰かに伝えたいんだよな」と言ったその言葉に、僕は心の中で共感の嵐でした!

「そうだよな、余す事なくお話を聞いて揺さぶられた自分の感情ごと全部伝えられたら良いのに」って本当に思ったし、同時にそれが出来ない自分は「じゃあ何なら伝えられるんだ?」という終わりなき問いに足を踏み入れることになりました。

映画のラストで4人は私には何が出来るかを考えます。
明確な答えなんてない。でも彼らのまなざしは、想像を絶する被災体験を伝え聞いてただただ驚き絶句していた頃とは違い、このまちで聞いたことを少しでも伝えていこう。その為に考えようという、明確な意思が宿ったまなざしに変わっていたと思います。


僕らQoiQoiも直接被災体験をした訳でもない、外からきたよそものです。
でもそんな自分たちでも何かを伝える事が出来ないか、自分事として語れるものはないのか、と探した結果「原発」というテーマと向き合うことにしました。
その根底にあるのは、被災の体験や記憶・記録というモノの「いつか自分事として語れなくなる時が必ず来る」ことへの危機感です。


語りたくても語れなくなる時がくる

僕らが取材を重ねていく中で、現地の人の中にも被災の状況、賠償金や放射能被害によって分断され、一緒くたにして語ることのできない数多の体験や記憶というモノがありました。
埼玉の僕にとって福島のおばあちゃんは被災者だけれど、福島中通りのおばあちゃんからしたら浜通りの人こそ被災者で、浜通りの人になかでも浪江や双葉・大熊と比べたら……という風にどんどんと自分に語れることなんて、と全員が「語りづらさ」を感じている。

しかし本当にそれでいいのでしょうか?
体験や記憶の継承は時間との闘いでもあると思います。
戦争体験にしかり、いつか直接体験した人は一人もいなくなって忘れ去られていく、震災にしても何百年前に被災した人々の石碑は残っていたが、被災してようやく警告だったのだと気が付く。
それは過去の人達が必死に伝えようとしていたものだったのではないのでしょうか。

今は技術が発達し、映像や写真でたくさんの資料が残せるようになりました。震災の日の報道やテレビの映像もYouTubeで探せばたくさん出てくる。
しかしそれは資料として重要なものだけれど伝えたことにはならない。
その資料を通して今に生きる人へ訴え続けたり、そこから得たものを自分事として誰かに何か伝えようとして表現しなければ、いくらくっきりと記録されていても誰にも届かず忘れられていくと思うのです。
そういう過去と現在と未来をつなぐ橋渡し的な存在が、必ず必要になってくる。

この映画では被災体験も、それを伝え聞いた若者たちの口から語られます。
「どうして直接体験者が語らないんだろう?」と思う方もいるかもしれないけれど、僕は「ああ、これはこの先いつか来る未来のための表現なんだな」と思いました。
誰も被災体験を語れなくなる未来。いつかくるその時に「誰かに伝えたい、伝えなければ」という想いを持って目の前に誰かに語ることが、体験や記憶を継いでいくという事になるのではないか、と思いました。


最後に、僕が取材の中で一番記憶に残っている言葉を紹介して終わります。
それは震災後、放射能汚染で被ばくしてしまった牛たちを今までずっと飼い続けている「希望の牧場・ふくしま」の吉澤さんがおっしゃっていた言葉です。
希望と言うのは、よその誰かが与えてくれるものじゃない。自ら考え、自ら行動し、自ら見つけ出すものなんだ
僕はこの映画を観て、未来への希望を感じる事が出来ました。

皆さんももし近くの映画館で上映していたら、観てみて下さい!
感想語り合いましょう!

ではまた。

QoiQoi 大橋悠太



『SCRAP AND…?』配信決定!!

[Scrap and]映像版フライヤー

日程:4/29~5/5まで
2021.4.29 AM0:00公開
(アーカイブ視聴 5/12 23:59まで)
チケット料金 ¥1,500 [税込]
※視聴チケットの販売は5/5 23:59までとなっております。

チケット販売ページURL↓↓↓
https://qumomee.toos.co.jp/products/scrapand

「震災の当事者ではないけれど、この世界の当事者ではあるからーー」
2019年より取材を重ねている東日本大震災をテーマに、東北の被災地や原発問題の当事者性を取り扱った演劇作品『SCRAP AND...?」
新型コロナウイルスが影響で感染拡大防止のため公演中止となった今作を、舞台記録配信版として満を辞して公開する!

〈出演〉
神代樹里菜
のりほ
吉次匠生
大橋悠太

〈スタッフ〉
音楽•録音 うー
撮影•編集 稲川悟史
宣伝美術 カネコモネ
写真撮影 かとうはるひ

【QoiQoiよりコメント】
初めて被災地をこの目で見た衝撃。
話を聞いていくうちにどんどんと塗り替えられていく認識。
変わっていく場所、変わらない場所、もう二度と帰れない場所。
そんなこの10年当たり前に存在してきた現実を、ちょっとだけでも皆んなで想像して考えてみれたら嬉しいです。
沢山の挫折や失敗の果てに僕らと共に成長したこの作品を是非観てやって下さい!

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