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見えぬけれどもあるんだよ


ここ何年かで、ものづくりにはまった。

ガラス細工や染物、織物やハンドメイトアクセサリーなど。でも、私は大雑把人間だし、手先が器用なわけではない。




小学生・中学生の頃、図工や美術が大の苦手だった。

どうしてそうだったのかはぼんやりとしか覚えていないけれど、工作をしても絵を描いても人よりも終わるのが遅いし、他の子と比べて先生に褒めてもらえなかった覚えがある。

ド不器用ゆえ何度やってもうまくいかないことが度々あった。それでも一応言われた通りの流れでやり、流れからはみ出すこともなかった。だから一生懸命さは伝わったようで、怒られることもほとんどなかった。



どうして苦手だったのか今になって考えてみると、「ほどほどにできるけど飛び抜けて上手でも下手でもない」ということに要因があったのだと思う。

つまり、一番印象に残らないというか、なんともオイシくないぼんやりした立ち位置にいた。先生や友達に取り立てて褒められることも、貶されることもなかった。

「なんてかまってちゃんだったんだ」と振り返れば思うけれど、それでもぼんやりと、見ていてほしかったなあ、とは思う。

もちろんそんなことはないんだろうけど、製作が終わらなすぎて居残りになり、先生がちょっと眉をひそめたような、困った顔をしてこちらを見つめている場面が、今でも鮮明に思い出される。

そんな感じで中学生になり、高校生になり、高校の芸術選択では書道を選び、大学生になり、おとなになった。



私がおとなになってものづくりが好きになった理由はいろいろある。し、子どもの時と比べて要領を得たことも大きいかもしれない。そして、先生やクラスメイトなどまわりの目を気にしなくてよくなったことで、純粋に「つくることが楽しい」と思えるようになったことも。





層としては厚い、案外普通(に見える)の子の方が、見えないものをたくさん持っているんじゃないかな。

その中で、たとえば同じことを褒めるときも、たくさんのおとなから声をかけることで、子どもは自信を持って、ちょっとずつやり方を学んでいけるんじゃないかな、と思っている。



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