誰もが間違えるからこそ寛容たれ【思索】
人は誰もが間違える生き物です。
もしも、人は何一つ間違えず完璧で一寸の狂いもなく正しく生き、人の気持ちを尊重できるパーフェクトヒューマンしかいない世界だとしたら、世界そのものが必要ありません。
あえて完璧な人間・完璧な世界を想像してみると、絶対にありえないし、必要がないと考えることができます。
つまり、人は誰しも間違える生き物だということは誰しもが知っているし、当たり前です。
それなのに、他人の失敗には怒りを覚えます。
自分に迷惑が掛かって面倒だから、怒りたくなるのでしょう。
ですが、この世界は間違うのが普通の世界です。
それは誰しもが首を縦に振ると思います。
ならば間違いに対してどのようなアクションを自分に課すのか? が重要になっていきます。
『誰もが間違うからこそ寛容たれ』
なんでもかんでも笑って許すということではありません。
寛容とは、『失敗』に対して怒りではなく解決策をぶつけろということです。
「そういうこともあるよね。誰しも間違うことがあるよね」
と、物事を捉えられるようになると人は他人に対して寛容になります。
噛み砕いて言えば『他人の粗相にたいしていちいち反応するな』ということです。
もちろん、時と場合によります。
その状況判断は、自分自身の心の器にかかっています。
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