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建築批評とは小説であった。

西倉美祝さんのNoteを見て、建築批評の話は確かに分かるところがあると思いつつもこれまでの建築批評について擁護したい部分も出てきたので、ついでに記事を書いておこうと思った次第です。詳しくはこちら。

ここで書かれる建築批評とは私は日本語で書かれた日本の建築に関する批評のことと受け取りました。なので以降、批評について問うているところは日本人によって、あるいは日本語で書かれたものを指すことにします。

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 そも、批評というのは外来語であって、私たちにとってなじみのなかったものであったことを言わなくてはならない(通過儀礼)。ゆえに行為としての批評はできていたとしても本質的に問うという行為にはなかなか至れない。しかし、西洋の語彙が日本に来て100年以上が経とうとしている今日において、批評という言葉は日本の国土にあるいは文化によって醸造されて批評という言葉の日本人らしい言葉の輪郭、身体性を新たに帯びつつあってもおかしくはない。

 近年ではある意味ラショナルと呼んでもいいほどに、歴史的に言うなら、Violet-le-duc によるゴシック建築の再解釈やJohn Raskinの建築の七燈のような立ち位置の本の役割のように、日本における文化の再解釈、合理化、あるいは金銭につなげていくというような資本主義的な考え方に近づいて行っている。その中に、建築批評もまた迎合されて行って、西倉さんも書いているように、役に立つ建築批評が求められるような要請が、多くの地域で発生するようになったということがこの記事が書かれるようになった発生要因であると私は受け取った。

 建築批評に関することで、西倉さんも書いているが、批評がつまらなくなった。という文言は私もよく聞く話ではある。私は、批評する対象がここ数年で変わってきたのだと考えている。1980年代でもなく、2000年代でもない。今現代の流行はその大きな時代の括りにも該当しないまったく新しいトピックであるということ。それは環境や、ランドスケープ、健康的、グリーンアーキテクチャなどである。過去の話題と全く異なる内容であるから、以前から建築批評を眺めてきた、あるいはその流れを知っている学生などからすれば、そういう話題にならずつまらなく感じてしまうことも、これもおかしくはない。昨今の時代の流れは加速する一方であるから。

 ただし、過去の建築批評が役に立っていなかったかというとそうではなく、これらもまた世間に要請されてできた文章であることには変わらない。日本においてすべては需要と供給によって成立していて、そういう美辞麗句がもてはやされる時代もあったという記録として、過去の批評の体系であったということを書いておく必要がある。というか擁護したい。

 今の建築批評の方向性が、CAD、BIMそして環境や地域的コミュニティの育成、発足。あるいは一般向けでりかいしやすいものであるとするのなら、過去の建築批評はある意味、小説であったと言ってみたい。その意義は、レトリックによる建築行為、あるいは造形の神話のような物語だったのではないだろうかということ。特に建築形態ー今風に言うなら建築物の外観に関する議論ーが主な話題であったし、そういう建築に関する言語を使うことで手紙のように扱われ、設計者同士の意思表示の確認となったり、合言葉のように建築用語が使われることで、設計者も楽しく読むことのできる雑誌の一コラムとして書かれていた側面もあると考察する。例えば、上記で記した、Violet-le-ducやJohn Raskinについて一例を出したりすると、これは一般には建築史を追っていないとでてこない人名ではあるために、「おまえ、やるじゃ~ん」といった具合に分かる人に刺さる面白さを提供することができる。といった具合。そういう建築を用いて語られる読み物としての娯楽の属性をたとえて、表題にあるように建築批評は小説であったのではないだろうか、としてみた。

 少なくとも建築科を出た人間ならわかると思うのだが、磯崎新や丹下健三、黒川紀章、数々の雑誌に掲載を行ってきたメディアの中心の中で語られる建築はただの入れ物、背景なんかではなく、読んでいて楽しいし、こういう神聖さを持たせてもいいという許容差にもつながって、わくわくが止まらなかったし、もっとこういうものを読みたいと当時の私は思っていた。今も変わらないのだけれど。少なくとも、西倉さんも書いているが、建築物とは芸術作品のように視線の先に注目されるような主体などではなく、行ってしまえばシェルターであることの域を出ないようなものであるから、それらを批評の対象として語られている事実は素晴らしく注目に値する。批評があることで、建築は機械や道具と芸術の領域を行き来することができる。

もちろん、過去の建築批評がはびこっていた時代に、現在問われようとしている批評が最近浮上してきたということではなく、彼らは質実剛健。真面目に、お客さんと向き合ってきたと考えてよいと思われる。建築の造形神話が崩れたことによって、あるいは文化の成熟に伴う、説明責任のあり方としての建築批評が新たに求めれられるようになった。真面目な人ほど寡黙であった日本人は、まじめな人間ほど、責任を果たし饒舌になっていっただけともとれる。

 また建築の造形神話やコアな建築に関する議論の場はメディアや公共の人の目に見えるところでするものではないという先人たちからの学びともとれる。これらに関する議論がされていないという訳はないと邪推ながら考えている。それらの趣向の心変わりのような変遷をたどってみると、建築設計士のネットや公共に対するリテラシーが単に上がったともいえそうである。
 何がともあれ、これから問題提起として提示されてくる建築批評のトピックに関しては動向を追っていくのは楽しみではある。それらは実生活に直に影響するような、実用的で無駄のない議論が増えるために、見るのもつらいような批評が多く現れてきそうであると私は考えている。1980年代に書かれていたような抽象的である種神話のような議論はあと数十年すると再度勃興しそうではあるので観測を行っていきたい所存である。

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