見出し画像

五感と痛覚の相違点と痛覚の役割

 五感には、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚があるが、この五つの感覚で分類できない感覚がある。それは、“痛覚”すなわち痛みである。なぜ、痛覚は五感で分類できないのか?痛みは五感ではなく、快や不快といった感情とする説もあるが、自分の考える限り、それは「痛覚は器官毎の唯一性がないから。」と考える。
 説明すると、視覚は目から得られる感覚で目から視界や色を判別する。聴覚は耳から得られる感覚で、音を判別する。嗅覚は鼻から得る感覚で臭みなどの匂いを判別する。触覚は肌から得る感覚で、ここから温度や触感を感じる。味覚は舌から得る感覚で、甘みや苦み、酸味を判別する。このように、それぞれの感覚は五感が独自に感じることができる感覚である。しかし、痛覚はどうだろう。紫色は見ると痛みを和らげる効果があるというし、聴覚過敏によって、耳が痛くなることもある。アンモニアや塩酸は嗅ぐと、鼻に痛みが走るし、触覚は誰に強く叩かれたり、注射で針に刺されると痛みを感じる。味覚は辛味が痛みの一種だと言われている。このように、痛みはどの感覚を通しても感じることができるため、特定の器官を指して名づけることができなのだ。だからこそ五感に分類されていないと自分は考える。平衡感覚も五感には分類されないが、三半規管が司っているので、これも特定の器官に基づいている。
 なぜこのように、痛覚はすべての感覚で感じることができるのかについてだが、痛覚はある種の危険を知らせてくれるセンサーの役割を担っているという説があるが、自分は痛みがあることで、生をよりよく感じることもできるとも考えている。痛みはある種の生命が生きていく上で持っている緊張感や危機感の具現化のようなものと自分は考えている。それがなければ、今の幸せを享受している状態のありがたみを忘れてしまうからかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?