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宇宙一美味い林檎はどこにある

何でもかんでも良いから単語の前に「宇宙一」をつけてみよう。

皆が感動するような製品を作ろう、とかほっとするような定食屋をやりたいんです、とかいうのあまり良くない。

それよりも我々が設計しているのは宇宙一早く飛ぶ飛行機である、といった方が「ああ、何かヤバいものができるかもな」となるだろう。地域で一番慕われるパン屋さんを開こうというもの悪くはないのだけれど、それはどれだけいっても上限は「その地域」止まりで終わってしまう。どうせなら勢いでも良いから「宇宙一美味いパフェを出す喫茶店をつくろうぜ」となった方が脳は「バカみたいなこといっているけど、本気でやるとしたらのんびりやっている暇はないぞ」と動き出す。

景気だ。どうせやるなら物事は景気良くやった方が絶対良い。それに「感動する」とか「ほっとするような」とかはその物事を受けた人が感じたことの結果だから”送る側”がコントロールできるものでもない。もしかしたら宇宙一早い飛行機を追求した結果、戦闘機として用いられ戦争を加速させるようになってしまうということもあるかもしれない。結果はだれにも分からない。

でも、景気良くいこう。

景気が悪かったら待っているのは運気の低下だけだ。


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珈琲の淹れ方を半年かけて色んな人に教えてきた。

忘れもしない2014年の7月末日の朝、宇宙一良い香りが流れる珈琲が目の前にあった。飲んでから2時間は珈琲の香りが口の中から消えない、といことを体験した。なぜそうなったのかは未だに思い出せない。ざっと数えて今まで3000杯以上は珈琲を淹れてきたなかで「明らかにこいつは他のやつとは違う。」というのがなぜかあの日にひょっこり出てきてしまった。


人は自分の想像を超える食べ物に遭遇したときには、細かい感想など一切言えなくなる。ただ黙って飲んで、「ああ...美味しい。これは美味しい。」という言葉しか発せなくなっていた。

そのような体験から自分以外の人にも淹れ方を教えたら、どこかで宇宙が顔をのぞかせてくれるかも、という期待も少し込めていた。

あと自分がやってきたことが市場からどのくらい評価されるのか、ということを知りたいということも目的であった。


ひとつ、何かを人に教えるというのは自分の吸収力を引き上げるということが分かった。

この場合自分の持っている知識を人に教える、というよりも自分が実践してきたこと、特に言語化しにくい動作などを教えて人にやってもらうということである。なぜあの人は自分が教えたような動作ができないのだろうかというギャップを解消しようと観察眼がより以前に増して働くようになる。

どうしたら伝わるのか、どうしたら他の人が同じようにできるようになるのか、という追求は想像していた以上に奥が深い。細部だけでなく全体を見続けて、自分を他人に通す、ということがいかに難しいことかを知った。

もうひとつ、価格と価値についての発見について分かったこと。

珈琲の淹れ方のワークショップに値段をつける時や、珈琲に値段をつけるとき何を参考にして良いのか最初分からなかった。でも、価格を設定するということ以上に大切になるのは価格を払ったこと以上の満足感を与えられるか、あるいは良い意味での期待を超えることができたかが最も重要だということが分かった。(当然、相場を超えるような行き過ぎた価格設定はだめではあるが)

例えば珈琲の値段でいうと、ちゃんとした仕事をしているならばそれが500円にしようが700円だろうと大して変わらないということだ。700円を払ったということ以上の出来事や体験が得られたということが次もまた飲みたい、またその店に行きたいという理由になるのだ。それは味に敏感な人にとっては珈琲の味そのものだろうし、場所の力かもしれないし、またそこにいる人なのかもしれない。

過去、投げ銭珈琲イベントというのをやったことがある。

自分が価値を感じたらお金を出してください、というもの。余った小銭を出す人もいれば、1000円出す人もいた。”自分でその価値を決めてください”とひとに言われたとき、案外客観的にそれを決められる人は少ないのだ。そして投げ銭で払った分がその人のが感じている価値ということになると、それ以上の期待を超えるということもしにくくなってしまう。

"あの値段に対してこのサービスは素晴らしい"または”想像以上に良かったなぁ”というギャップがリピートの動機となる。投げ銭によって自分で価値を消化してしまうと、次も来る動機が無くなる。それは互いに良くないのだ。どのくらいの反応があるかという最初の検証段階としては良いかもしれないが・・・。そんなわけでワークショップをやる時には「時間があっという間で楽しかったな。」ということを言ってもらえるように中身を設計していっている。

今年はもう終わってしまうが、沢山の人がワークショップを受けてくれたことに感謝している。

2016年はもっともっと受けてくれる人がいますように。そして、いつの日か誰かの手から宇宙一美味しい珈琲が出現しますように。

取り組んでいることが3年、5年、7年と年単位になってくると夢を目指すのは素敵なことだね、とはちゃんとやっている人には口が裂けても言えないと思うようになった。実現するかもわからない途方もないことに挑むということであるし、夢を追うということは悲壮な決意でもある。

だからこそ景気良く生きて参りましょう。


photo by takeho masuda

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