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若者のすべて/フジファブリック

大好きなフジファブリックの曲達を
語彙力ないながらに、
1曲ずつ思っていることを
投稿していこうと思います。


第15弾は

若者のすべて

若者のすべて=フジファブリック

そう思わせるくらいの
フジファブリックの
夏の終わりの名曲です。
曲の発売日は季節外れの
2007年11月7日になります。


曲について

曲が出来た経緯について
過去のインタビューなど
下記に紹介させていただきます。

上記youtubeはフジファブリックが
両国国技館のライブをした時の若者のすべて
曲前のMCも入ってるのですが、
若者のすべてを作った経緯を語っていて
個人的にとても心に響いていて、
大好きな動画です。

立ち止まって悩むより、
BGMを聴きながら、
歩きながら感傷に浸る方が
得なんじゃないか。

止まってるより歩きながら悩んで
一生たぶん死ぬまで楽しく
過ごしたほうが良いんじゃないか。

それに気づくのに志村さん自身、
26〜27歳までかかってしまった。

そうゆうときにできた曲が
若者のすべてだそうです。


今後のフジファブリックを左右するくらいの曲の歌入れ。時間はかかったけど。名曲の予感。僕個人的にしても。大まじめに、大まじめのことを歌ったのは“茜色の夕日”くらいの感じ。やっぱ俺ってこういう人間だったなーという手応えの一曲。この曲を聴くと泣きそうになる。なんにも変われねえな、俺。たまに偉そうなこと言っちゃうけど。(志村正彦)

東京、音楽、ロックンロール 2007.04.30より


フジファブリックの3年前(4年前?)のシングルですが、“赤黄色の金木犀”という曲を作れて、この季節になって自分自身でもその曲に浸りながら街を歩く。なんてことができることはなんて素晴らしいんでしょう。そういう曲に今度のシングルの“若者のすべて”もなりそう。していきたい。(志村正彦)

東京、音楽、ロックンロール 2007.10.11より


ただ、言いたいのは、この曲、俺が一番好き。まあ、「いや!私の方がもっと好きです!」みたいな人がいてくれたらそれはそれでめちゃくちゃ嬉しいんですけどね。この曲を作れて俺は救われたわ。ほんとに。これからもそうゆうのを書いていきたいです。あと、俺、この曲絶対に店に買いに行く。(志村正彦)

東京、音楽、ロックンロール 2007.11.06より


若者のすべてが出来上がるまでのスパンは長く、
それまでの過程が上記の志村さんの日記に
事細かく書かれていました。


曲を作った本人が名曲だと
絶賛するくらいの曲。
そして、日記見てるファンに
マウント取るくらい(笑)
1番好きだという曲。


ただ、辛口なことを言うと
当時のシングルの発売日は
ミスだったのかなと私は思いました。

当時の日記を振り返りのインタビューで
志村さんはこう語っていました。

4月30日は“若者のすべて”の歌入れです。ここで歌入れしてるのに、リリースは11月って、どういうこっちゃねんって感じですよね。空きすぎじゃないかっていう。シングルをどうするかって話があって、“Surfer King” “パッション・フルーツ”の後、もう1枚アルバムの前に出そうかって話になってて。“若者のすべて”は当時僕、完全にアルバム収録曲だと思ってたんです。僕はシングルがいいと思ったんですけど、スタッフにも「もうちょっとなんか書けるんじゃないか」っていうことを言われたんですよ。「じゃあいいよ!なんか書くよ!」って思って頑張って書いたんですけど、「なかなかできんなあ」って思いつつ、いつのまにか「やっぱりあの曲で!」みたいなことを言われて、メンバー全員顔青ざめて。「夏の終わりの歌なのに、11月リリースって大丈夫なの?」ってところから始まって。そこらへんからちぐはぐになってきたという。(笑)。(志村正彦)

東京、音楽、ロックンロールより


音楽業界の事情はありますが、
こんな裏話があったとは…。


この後、テレビ出演や、ラジオ出演、
雑誌インタビューなどを
フジファブリックはしていきましたが、
当時の若者のすべては音楽業界やファン、
一部のリスナーのみ認知だったと思われます。


私が若者のすべてをちゃんと聴き始めたのは、
2010年のフジフジ富士Qのライブに行き、
ライブ後のエンドロールで
若者のすべてが流れ、終わったあとの
打ち上がった花火が綺麗で、
そんなきっかけで聴き始めました。

藤井フミヤさんがフジQのライブで
若者のすべてを歌ってましたが、
フミヤさんは若者のすべてより、
タイムマシーンを歌った時の方が惹かれました。

原曲は志村さんが歌うほうが
なんだか胸に響くんですよね。



歌詞について

この歌詞が出来上がるまで、
当時かなりの練り直しがあり、
今の若者のすべてになりました。

当時のインタビューにも
志村さんはこう言っていました。


最初は曲の構成が、サビ始まりだったんです。サビから始まってA→B→サビみたいな感じで、それがなんか、不自然だなあと思って。例えば、どんな物語にしてもそう、男女がいきなり“好きだー!”と言って始まるわけではなく、何かきっかけがあるから、物語が始まるわけで。同じクラスになったから、あの子と目が合うようになり、話せるようになって、やがて付き合えるようになった…みたいなね。でも、実は他に好きな子がいて…とか(笑)、そういう物語があるはずなのに、いきなりサビでドラマチックに始まるのが、リアルじゃなくてピンと来なかったんですよ。だからボツにしていたんだけど、しばらくして曲を見直したときに、サビをきちんとサビの位置に置いてA→B→サビで組んでみると、実はこれが非常にいいと。(志村正彦)

Talking Rock! No.005 2008年2月号より

また2014年の7月に行われた
「ロック詩人志村正彦展」で
山梨県甲府市の図書館での展示で
志村さんが若者のすべての歌詞の
草稿が展示されていました。

私も当時行きましたが、
かなりの行列でゆっくり見るのが
なかなか難しい中、
貴重な手書きの草稿を見れて
嬉しい気持ちと、
かなりフワフワとした気分で、
当時の自分のブログに
「とても面白い」と書いていました…
具体的に書けよと当時の自分に
ツッコミを入れたくなりました(笑)

その時のブログ振り返り記事はこちら↓↓

草稿ではサビから始まりだったり、
季節感が少し違う感じだったのを
朧げではありますが、記憶しています。


下記リンクは当時の展示会での実行委員会の方の
ブログになり、若者のすべての草稿の展示について振り返りを書かれています。


たくさんの方が歌詞解釈をするくらい名曲なので、私が解釈する必要はないですが、
言葉1つ1つが繊細で、
曲を聴くだけで、夏の終わりや、
花火を見ている情景、
何年経っても思い出してしまう物事や人、
傷ついた心を背負ってこれからも
前を向いていかなくちゃという
気持ちを思い起こさせる歌詞だと思いました。


若者のすべてのカバーについて


とにかくこの曲は万人に愛される曲で
数々のアーティストもカバーしています。

1番有名なのは2010年の
Bank Bandのカバーで
ここから若者のすべて
広まったのではないかと思われます。

またBank Bandが結成したきっかけとなった
ap bank fesは一時期開催を見合わせる予定だったらしいのですが、2010年の開催は、なんとフジファブリックがきっかけだったとか。下記リンクより。


その後、藤井フミヤさんや
柴咲コウさん、槇原敬之さん、
anderlust、私立恵比寿中学、
麒麟の川島さんなど、
名だたるアーティストやアイドル、
お笑い芸人までのカバーが音源化や、
ライブで披露した
カバー曲のDVD化がされています。


カバーをきっかけに若者のすべて
どんどんリスナーが増え、
たくさんの人に知られるきっかけとなりました。




志村正彦 亡き後の活動

志村さんは2009年12月24日に
29歳の若さで亡くなりましたが、
現在も山内さん、金澤さん、加藤さんの3人で
フジファブリックの活動を続けています。

3人体制で若者のすべて
初めてライブで披露したのは
2014年の結成10周年の
武道館ライブに向けての
LIFEツアーでした。


結成10周年の節目ということもあり
LIFEのアルバムの曲だけでなく、
志村さんが作詞作曲した曲も
多めのセットリストを組んでいて、
その中に若者のすべても入っていました。


この2014年の節目のライブを皮切りに
3人体制になってからの
若者のすべては現在に至るまで、
フジファブリックのライブで
演奏され続けています。



また、結成15周年には精力的にテレビ出演をし、
2019年8月9日に初のミュージックステーションに出演し、若者のすべてを披露しました。

私もMステを見ていましたが、
両国国技館の時の映像の
若者のすべてを歌ってる志村さんと、
山内さんが歌声が合わさった時の
感動を忘れません。

日本武道館で茜色の夕日
一緒に演奏したみたいな
演出ではないけど、

ちゃんとMステで4人で
志村さんと山内さんが
一緒に歌っているという。
過去も現在も未来も、
一緒にフジファブリックを続けていく
という表れを思わせる演奏でした。

Mステから、フジファブリックを知り、
若者のすべてに魅了された方も
いたのではないでしょうか。


その他にも、
志村さんの故郷、
山梨県富士吉田市では2012年から毎年、
志村さんの誕生日(7月10日)に合わせて、
夕方6時のチャイムを若者のすべてに、

志村さんの命日(12月24日)に合わせて、
夕方5時のチャイムを
茜色の夕日に変えています。


また富士吉田市を走る富士急行の
下吉田駅の列車接近曲にも、
両曲が歌声ごと使われています。


そして、極めつけは…
なんと音楽の教科書に若者のすべて
載ることになりました。下記リンクより。

これは凄い…。
個人的に音楽の教科書は、
井上陽水さんの少年時代のイメージでしたが、
時代によって教科書も
変わるんだなと実感しました。

フジファブリックが
名曲の若者のすべてを歌い続けたこと。
それが今回の結果に
繋がったのかなと思いました。



詰め込みすぎなところがありましたが、
いかがだったでしょうか。

個人的には、志村さんが亡くなった後に
若者のすべてを評価されるのは
多少辛いとこはありますが、
志村さんの記事にも書いてある通り、
曲を書いた本人よりも
この曲が好きな方がたくさん現れたら、
志村さんは若者のすべての曲を出して
良かったと救われるのではないでしょうか。

これ読んで、伝わらなくとも、
たくさん曲を聴いてくださって、
新たな発見が生まれて
聴き継がれたらとても嬉しいです。

また次も気まぐれで1曲ずつ紹介と
思ったことを投稿したいと思います☆


最後に

私が2019年に富士吉田市を訪れた時に撮影した動画を下記にリンクします。素人撮影ではありますが、夕方6時のチャイムの若者のすべてを聴いて、
胸に響く方が少しでも多く増えますように。

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