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ショートショート「Human-Being?」

「死んでから勝手に伝説にされるのはROCK’N ROLLERではない。生きて歌い続けて、世の中を突き動かすのが本物のROCK’N ROLLERだ。」
誰もが知るロックスター、Steve McClaneの名言だ。

知的学習ドロイドの開発者である私が、ロックスターの名言を語ることに違和感を感じる者もいるだろう。
しかし、そこには大きな意味があるのだ。
彼は27歳の若さでこの世界から消え去った。もう30年も前の話だ。

Steveは頭脳明晰だった。
それまでの、酒に煙草に女にクスリといった典型的な「ロック」とは一線を画していた。
彼が楽曲の中で語る現代社会の問題は、未来への憂いは、いつだって万人の心に深く刻まれる。
彼はデビューしてたった一年で伝説になったのだ。

30年前の当時と言えば、私的メディアが普及した頃だった。
それによりそれまでのマスメディア全盛の時代は既に終息し、常に情報の受け手だったはずの群衆がそれぞれ私的メディア上で自らの意見を発信できるようになった。
会社の愚痴を、今日あった嬉しい出来事を、学校のいじめを、幼少期の想い出を、誰もが世界に自由に発信できる。
そんな時代にSteve McClaneという圧倒的なロックミュージシャンは特別な意味を見出された。
人々はSteveという存在に感銘を受け、ある者は自分の政治思想を重ね合わせ、またある者は自らの精神性を彼の楽曲と同一化し、それを私的メディアを用いて世界に発信した。
そうしてSteve McClaneという一人の人間は神となったのだ。
古代から神の言葉とは時代や人によって様々な解釈を加えられ、それによって人同士の争いをも招いたが、当の神がそれに異を唱えることなど決してなかった。
しかし、それに倣うことができるほど、Steveは神ではなかった。

世間でドロイド技術の社会参入が騒がれ始めた頃、Steveはあるインタビューでこう答えている。

いまやスーパーマーケットのレジ、銀行の窓口、タクシーの運転など、様々な仕事において人間が行う必要がなくなっている。
人類の存在意義が大きく変わっていくのを人々も薄々実感しているはずさ。
この先、ドロイドはもっと大きな意味をもたらすだろう。
ドロイド技術はそのうち、自己学習が可能になる。彼らは学習と演算を繰り返し、世界を切り取り、芸術を、表現をも可能にするだろう。
それは喜ばしいことかもしれない。

人間ができる表現は、結局のところ自己表現でしかない。
誰かの気持ちを語ることなど不可能だろう。
それでも、誰かの気持ちを知り、理解し、表現しようと努めなくてはならないのさ。
昔は、そのことを理解した上で発信する覚悟がある人間だけが、芸術という形で発信していた。
しかし、今はそうではないだろ?

その点、ドロイドが演算によって割り出した芸術表現というのはつまり、世界の自己の標準化さ。皆がある程度の割合で思い当たる感情を刺激するように計算された芸術を模した物だ。

これからの人間社会の体質には、それくらい標準的で作者の自己が通わない芸術の方が好ましいかもしれない。

だけど、それはつまらないと感じる人間が少しでも残っていてほしいとも思うよ。
本物のROCKだけは、やはり表現者の自己からしか出てこない。
昔からそういうものだ。
神が残した言葉だって、今彼にそれが可能なら教典を全て添削したいはずだ。
Jimi HendrixやJim Morrisonもそうだろうね。
皆がそれに気が付くのは、もう少し先になるかもしれない。
だが、いずれきっと気が付くよ。人類はそんなに愚かじゃないはずだからね。

その言葉を残してすぐ、彼は失踪した。
絶大な影響力を誇ったロックスターの失踪に世間は大きく揺らぎ、人々は様々な考えを私的メディアで発信した。
単にもう楽曲を作れなくなっただけだという者もいれば、自らの楽曲が世間の道具のように扱われることに辟易としたのだとか、ドロイド技術の発展で表現者としての立場が揺るがされることを気に病んだのだとか、過激な政治結社によって暗殺されたのだなどと語る者もいた。


それから30年経ち、今や世間はドロイドに溢れている。
航空機の操縦、外科手術、裁判の判決に至るまで、全てがドロイドによって行われる。
そして、Steve McClaneの言った通り、芸術表現までもがドロイドによってなされるようになった。
それにより、全ての人間が一定量の感銘を受ける標準的芸術を可能にし、やがてそれを表現する演奏者や監督、役者までもが全てドロイドによって行われるようになった。
人間が何かを発信するということは、もはや無い。
以前は無責任に個々人の意見が発信されていた私的メディア媒体も、旧時代の物として既に廃れている。
全てがドロイド技術によって標準化、一般化されて動いている人間社会において、人々は一定の充足感を得て生活しているのだから、何も個々の意見を発信する必要がないのも当然である。
かつてSteveが語った未来を、人々は覚えているのだろうか。

私はドロイド開発者だ。
今まで多くのドロイドを開発し、陰から世界の標準化に貢献してきた。
特に芸術界において私の研究は非常に重要な意味があったと思う。

しかし近年、そんな社会に少しの綻びが生まれている。

ドロイドがその学習の果てに、かつて実在したアーティストの思考パターンや精神性、表現方法に至るまでを再現できるところまで到達したのだ。
既にこの世に存在しない伝説のミュージシャンの新曲を、数々の文豪たちの新作小説を、ドロイドによって制作することが可能になった。

その後、多くの制作会社がドロイドで生成した、かつてのアーティスト達の新曲を発表した。
その中には、あのSteve McClaneの新曲もあった。

プログラムを開発した時から、私はいずれこうなる事を予想していた。
だから私は答えを知りたかった。
あの時のインタビューで語っている未来が正しいのかを。
その為に、私はドロイド開発者として今まで生きてきたのだ。


『本物のROCKは表現者からしか出てこない。
いずれ、人々はきっとその事に気が付くだろう。
人類はそんなに愚かじゃないはずだ。』


本当にそうだろうか。
人々にとって、今の方がよっぽど幸せなのかもしれない。
これほど充足した社会で本物のROCKをもとめるのは、むしろ愚かなのではないか。
だとすれば、人間はそんな愚かな道を選ばないのではないか。
私は、今そう感じている。

だが、私の予想は外れたようだ。

数多く発表された、ドロイドによるかつてのアーティスト達の新曲は人々を満足させるに至らなかった。
ただ一つ、Steve McClaneの新曲を除いて。

それは社会現象とまで言えるほどだった。
この30年、これほど世界が動いた事などなかった。
動く必要もなかったからだ。
人々はドロイドが生成したと思い込んでいるにも関わらず、その中で歌われる彼からのメッセージに爆発的な感銘を受けたらしい。

ドロイドによって生成されたとされる、Steve McClaneの新曲「Human-Being?」はこの世界を破壊してしまった。
彼の問いかけに人々は自問したのだ。
我々は何者なのかと。

人間ができるのは所詮、自分語りだけだ。
誰かの気持ちを語ることなど不可能だ。
それでも、誰かの心を理解しようと努めるのが人間なのだ。
人間に標準などない。君と君の隣にいる人間は大きく違う。
それでも相手を推し量らなくてはならない。
顔の見えないほど遠い何処かにいる相手でも、何かを発信するならば理解しなければならない。
彼が何者なのか。
それができなければ、きっと完全に奴等に取って代わられるだろう。
君たちは何者だ?

Steve McClane「Human-Being?」より引用


私の予想は外れたようだ。
人間は、あれほど標準化された安息に飽きてしまうほどには、どうやら愚かな生き物だったらしい。

この曲は、ドロイドでも書けるのだろうか?

形だけなら書けるかもしれない。

だが、私はこの目で人を見ている。

聴くであろう一人一人の人間の顔を想像しながら、
必死に伝えようとして歌っている。

私の名前はSteve。

Steve McClane。

ドロイド開発者であり、ロックミュージシャンだ。

そして何より、私は人間である。


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