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かなり、パンチのあるエール:『障害児の共生教育運動』書評

小国喜弘先生が編者である本、『障害児の共生教育運動』を読んだ。

少し前置き。
小国先生、実は私が本当にお世話になっている先生。
私の専攻は教育心理学なのだけど、まあこういう人間なので障害学にも興味があり、障害学関連の授業をわんさかとっている。そのため小国先生にも教わることがとても多かった。

私が障害学の授業をわんさかとっている理由は、もう一個ある。
私自身も発達障害の診断をもらっている身であり、授業は特定の配慮がないとほとんど受けることができない(余談ですが、自分が障害配慮についてどんなことを考えているかについてはnoteにたくさん書いています。後ろの方にリンクを載せておくので、よかったら読んでね)。
しかしこの配慮、先生ごとにだいぶ内容が違う。障害支援に関する制度は大学にもあるのだけど、それは「こういうことをしてね〜」というある種のガイドラインで、最終的な配慮内容は授業の内容を勘案して先生が決めることになっている(最近はバリアフリー支援に関わる先生方や事務員さんたちがかなり奮闘しているようで、ありがたい限りです……)。

そう、もうお察しでしょうが、障害を研究されている先生は本当に手厚い。

「あなたが安心して受講できるように、できるだけ環境を整えたいと考えます」
これは私の障害配慮について小国先生がメールをくださったときの末尾の一言(プライバシーの観点からやや改変)なのだけど、私はこの時期、配慮交渉に難航して本当にメンタルがボロッボロだったので、このメールで安堵で涙がボロッボロになった。別の記事でも書いたけれど、配慮交渉の間ってメンタルがゴリゴリ削られていって、なんかもう「この世に存在していてごめんなさい」みたいな気持ちまでまっしぐらなんですね。
そんなときの、先生からのこの一言にどれだけ救われたことか。

それでもやっぱり十分に登校できるわけではなくて、でもやっぱり学びたいから次の年に先生の授業をまたとって、「前回あんまり行けなかったんだよね」って思いながら配慮のお願いのメールを送ったら「今回もちゃんとサポートはするからぜひ来てね(意訳)」ってメールをいただいて余計涙がだばだばになり、まあそんな感じで大変お世話になった先生なんです。

そんな先生の本が図書館に置いてあったので、読んでみた。
そしたら一文一文メモをとりたくなるような本だったので、こりゃ140字で感想ツイートするだけじゃもったいないなと、勢い余って書評です。
↓この本です。(※ここから買っても私には一銭も入りません。好きなところで買うなり借りるなりしてください)

総評

養護学校義務化に反対した、数々の活動家や専門家の本。
個人の活動に焦点を当てた伝記的な章、障害学に関わるさまざまな立場に焦点を当てたよりマクロ的な章、そして医学や教育学など各学問においての「養護学校義務化」にまつわる動きを論じた章などが集まっている。

……なもんで、とにかく読みやすい
しかも序章と終章だけでもなんとなくの流れが掴める親切設計なので、障害学ちょっと興味あるけど何を読もう〜って人には超おすすめ。それから興味ある章から読んでみると多分面白い。もちろん頭から全部読んでも面白い。
正直本の見た目はめっちゃ堅苦しいのだが(私もちょっと身構えた)、中身はかなり読みやすい。
構成上、めっちゃ読書会向きの本でもあると勝手に思っています。読書会やりたい人いたら声かけてください(Twitter→@raccount0906)。

個人的には、障害に関する闘争の話は文字にして読む方が突き刺さる。
淡々とした筆致で事実を突きつけられると、なんて凄惨なことが起きているのだろうと思う。だって子どもが「ただ学校に通いたいだけ」なのにバリケードで阻もうとする「教育者」がいたんだよ。びっくりでしょ。もはやテロリスト扱いじゃん。

書かれたことにショックを受けた、というのもあるけれど、自分の中で衝撃だったのは、もう何十年もいろいろな闘争が起きているのに、まだ障害学の本を読むと「新鮮な考え方」として驚きをもって捉えてしまうこと。それはつまり、障害学の考え方が全く(当事者にすら!)浸透していない、あるいはその浸透を妨げる別の強固な考え方が存在することを意味する。
この本では繰り返し「発達」という考え方が否定されていた。最後の方の学術的な記述では、近代人権論への批判まで広がっていく。逆に言えば、そこから否定していかないといけないくらい根本的な人権に関する問題なのだと思う。でも私たちの中で「発達」や「近代人権論」ってものすごく強固に根付いている。

6年間東大といろいろやりあって、なんなら当事者研究団体を立ち上げている私ですらそうなのだから、きっと世の中ではもっともっとそういう感じなんだろうな。苦しいね。
実際に第二章では、障害者として運動を行って小学校への通学を勝ち取った人が、学校に通学した感想としてこう述べている。

「おれの意識が、健全者ペースになっちゃった」

『障害児の共生教育運動』小国喜弘編

ね。当事者でさえそうなんだよね。
いや、当事者だから余計にそうなのかも。「健全者ペース」にずっとさらされて、ずっと批判されて、それで負けずにいられるほど、少なくとも私は強くない。

だからこそこの本は、今は自分のことを間違っているとどうしても責めてしまう私に、かなりパンチのあるエールをくれた。たとえば、第3章のこのセリフ。

「知恵遅れに知恵を貸して何が悪い!」

『障害児の共生教育運動』小国喜弘編

これは何十年か前の話なので、使われている単語にもびっくりするとは思う。今の時代から見たらすごいセリフだ。多分、でも、当時は別の意味で衝撃的なセリフだったんだろうなあと思う。
これは高校入試か何かにおいて障害者が受験しづらい状況を打開すべく論を張った人のセリフなんだけど、なんかもう、その裏にどういうロジックがあるかとかではなく、勢いで、もうこの勢いだけで元気出るよね。強い。

たぶん、私は「健全者ペース」と「そうではないペース」を行き来しながら揺れ続けているのだと思う。まだまだ揺れるだろうけど、少しずつ「そうではないペース」の方に揺れる時間を増やしていきたい。

面白いなって思った点の列挙

「障害の地域モデル」という価値観

「医学モデル」「社会モデル」は知っていたけれど、「地域モデル」は知らなかった。障害者が地域と関わり合っていくことを軸とする考え方らしい。そうなんだ。
自分はいじめに遭っていたので、あんまり人と関わり合うことに良いイメージがないのだけど笑、「いじめに遭う権利も剥奪されている」という感覚があるらしくて。私は(幼少期より変わり者とは認知されていたものの)普通の学校に通っていたし、自分のことを「障害者」と捉えずに幼少期を過ごしていたけど、そのことは恵まれていることなんだろうなって思った。

「ダウン症は殺してもいいよ」を受け入れる当事者親という状況

出生前診断の話。第4章。
ダウン症のお子さんの親御さんで、出生前診断に反対できない方って多いんだって。その状況を本著ではこういう感じで(正確な表現ではないけど)表していた。考えてみたらあまりに悲しい状況だよね。
少し違う話だけど、発達障害と診断されている人でも「こんなに辛い思いをさせるくらいなら子どもを作りたくない」と主張する人は結構いて、それって個人の選択のように捉えられている。でも、「自分と同じ属性なら命ごと生まれてこない方が幸せだ」と感じてしまうって、社会としてはだいぶ、よろしくない。

本全体として言えることだけど、「障害者の幸せのために」「かわいそうだからこういうことはやらなくていいよ」ってどんどんいろんな権利が阻害されていって、ついには生存まで脅かされていることの重みを我々は感じた方が良いなって思う。
養護学校が行き着く先が「ここ」であることが見えているからこそ、こんなにも人々は強く反対してきたのかもしれないなって思った。

支援者にも「利用」される当事者

金井闘争に関する話。第7章。
親や周囲の人、先生とかが養護施設反対の動きの中心となることが多い中、金井闘争は障害者自身が運動の中心になった有名な事例だったらしい。
この事例に関する章では、その意義にも触れつつ、支援者さえも当事者をもののように利用してしまいそうになる状況について記述されていた。

金井闘争では、学校への入学を認めてくれないことに抗議して、本人が自主登校(座り込み的な感じだと私は理解している)をしたみたいなんですが、そのとき本人がトイレに行きたかったのに学校がトイレを貸してくれなかったんだって。その状態も酷すぎるよね。教育それでええんか?って感じなのだけれども。
そのとき、支援者の人が「抗議の意を込めてその場で用を足させようとした」(p.150)そうなんですね。

本人が「恥ずかしいから嫌だ」と言ったことで、支援者の人は自分のやろうとしていたことの凄まじさに気づいた。そこから「本人が何を求めているか」ということを丁寧に話し合うべきだということを意識するようになったそうです。
そう……そうなのか。すごいな…………。いくら抗議のためとはいえ、外でトイレするのは私も嫌だな。でもそうやってきっと過熱していってしまうほど、難しい闘いでもあったんだろうね。そして「支援者でもこうなるのだから、それ以外の人なら尚更だ」という類の形で、人々に当事者を人間として見なくなってしまうことに警鐘を鳴らしていました。

でも、実際よくあるよね。犯罪被害者とかが被害についてツイートするとに「名前を出してぜひ注意喚起を!」「警察に訴えましょう!」ってリプライつける人。善意なんだろうけど、当事者にもっと戦わせようとしている意思も感じる。それが本当に当事者の意図と一緒なのかについては、常に考えるべきではある。

理想論と、それでは守られない当事者

これは↑の続きの話。自分の現状の悩みにクリティカルヒットした点。
マイノリティが「当事者」というものについて話をするとき、多くの場合「本人だけではなく、関係者全員が『当事者』である」というスタンスをとりがちである。当事者研究とかは特にそうだと理解している。そうでないと「誰が当事者で、誰がマイノリティなんだ」という不毛な議論に陥ってしまうというのもあるし、純粋にいろんな人がそれぞれ「当事者」として語ることが新たな扉を開いていく側面もある。

しかし、「当事者」の意見は、往々にしていとも簡単に抹殺される。
まず単純にマイノリティだと数的に不利だし、権力も発言権も弱い。「障害児」にいたっては
①数的に不利
②子ども
③現状権利が踏み躙られている

のトリプルコンボ(というか多分それ以上にある)から、余計に意見が届きにくい。
「全員当事者」という考え方は、理論的には正しくはあるけど、少なくとも現時点では現実には即していないことを理解するべき。ということを言われて、ああ私の「全員当事者」という単語に対するうっすらとした警戒心は、決して私のわがままなんかじゃなかったんだなって思った。

養護学校の立場から、養護学校義務化を批判する

第8章。これについては、特に印象に残っていた一節があるので紹介します。

「判別と選別でつくられた養護学校の中で抱く『ユートピア』は、『神話』にすぎない」

『障害児の共生教育運動』小国喜弘編

内容は「学校はどうあるべきか」ということに関しての模索なわけで、学問的に参考になるなって感じだったんだけど、そこの裏の本人たちの葛藤、立場の難しさなどを想像しながら読んだ。
学校全体として、自分たちの立場を脇に置いて養護学校について最善を論じて、その中で最も自分達がすべきことは何かを模索できるというのは、ものすごい勇気だと思う。

目が見えない人にどう理科を教えるか

第9章。個人的に一番鳥肌がたった章。
理科は図や実験が多い教科だと思う。それをどう目が見えない人に教えていくか、という試行錯誤の過程が描かれていて、言葉を選ばずに言えば、かなりドキュメンタリーチックで多くの人にとってとっつきやすいと思う。
これもよかった一節を紹介します。

「(目の見えない子に目でしか変化を感じ取れない実験を教えるのは、)目の見える子に分子や原子を教えていくのと全く同じ」

『障害児の共生教育運動』小国喜弘編

この先生はさまざまな思考のあと、「科学ってそもそも、見えないものを捉えていく取り組みなんじゃないか」ということに行き着く。そして「実際に視覚で認識することはできなくても、他人が目で見たことを言葉にして伝えることで、目の見えない人でも『見え』るんじゃないか」という仮説を立てます。
これ、マジで鳥肌。理科を実際に結構しっかりやっていた時期があるから余計に鳥肌だった。その顛末はぜひ実際に読んで確かめてほしい。なんなら30分くらいのドキュメンタリー映画になっていてもおかしくないエピソードだと思う。

「近代理性批判」「近代人権論批判」

私は障害学をこれまで学んできて、「有用性に基づいた価値判断が障害者を圧迫している」という理解を持っていて、近代人権論とかはむしろそういうのから人々を解放してくれるものなんだと思ってたので、この点については割とびっくりした。
まだあんまり理解できていない(そもそも本著の中でもさらっと触れられていた程度)ので、ちゃんと調べてみたいなっていう備忘録。

合理的配慮がかえって分断を生む面もあること

合理的配慮という単語は次第に有名になってきていると思う。自分もだいぶお世話になりました。
しかしこの配慮がかえって分断を生みうる、という話。
この本で論じられていた「共生」は、とにかく「分けない」ということを大切にしていた。「分ける」ということが差別を生むという軸に立っている論が多かった。でも合理的配慮はむしろすごく細かく「分ける」ことが根本の思想にある。それと共生の相入れなさ。
私は合理的配慮というものが素晴らしいものだと信じてここまで過ごしてきたけれど、でもそれもそうだよねっていう感じもする。
時期もあると思う。私は大学に入ってから自分の障害に診断がおりたから、なんというか、「分けない」時期を経験してきた。これが最初から分けられていたらだいぶ違うかもしれない。
どうすればいいんだろうね。これももうちょっと考えてみたい備忘録。

あとがき

小国先生と執筆者の皆様、素敵な本をありがとうございました!

本当に読みやすくて、でも読み応えがあって良い本なので、この書評をきっかけにして誰かが手に取ってくれたらすごく嬉しいな。
そして障害者の教育に興味を持ってくれる人がいたら嬉しいです。


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