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キャリア・心理・哲学・福祉 4分野の洞察とたわごと

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キャリア・心理・哲学・福祉 4分野の洞察とたわごと

最近の記事

余白を考える

以前「スペクトラム」という記事で 色素の濃淡が移り変わるような変化について述べたが それとは別に ものごとには質的な変化を遂げる瞬間がある いわば 生卵がゆで卵に変化する分岐点だ 人はいくつかの顔をもち 同時並行的にそれらの役割をこなす それらが程よいバランスであれば 相互作用としてのリフレッシュ効果もある しかしそれらのバランスが崩れたとき 一つの役割ばかりが肥大しすぎしたり 役割のページが増えすぎた時 ページをめくる指先もままならなくなると たちまち心が固くなること

    • ライフサイクル理論から考察する

      暮らし・命・生活・人生 英語では全て 同じ「life」だ 東洋的な感覚では 命→心臓 もしくは、spirit 何となく崇高で 身体の中に含まれているイメージがある しかし 「life」というと 身体の外側に存在する 現実的な世界観をも包含している ◇ 以前 ある研究者が 「命は時間」 「時間は命」 とスピーチされているのを聞いた 確かに、「寿命」「天命」「余命」など 命と時間は関連が深い その感覚でいくと 命とは、私たちの身体において スタ

      • こども心のアイデンティティ

        「清濁併せ呑む」ということわざがある 清流も濁流も 最後は全て海へと流れ込む、という観点から 清流も濁流も 分け隔てなく受け入れる、心の広い人を例えている これは、ライフキャリア という視点で考えたとき 人生は長い物語だと捉えたとき かなりしっくりくることばだと思う 「清流も濁流も分け隔てなく」 というのは 心情的にはなかなか難しいと思うけれど 視点を引いて 山頂から見下ろしたとき 飛行機の窓から眺めたとき あらゆる川は なだらかな大地に貼りついている また

        • 木漏れ日の美しさ

          木漏れ日が好きだ。 その理由をうまく説明できなかったのだが 最近になってようやく わかるようになってきた。 ◇ よく人を太陽に例えたりするけれど 自分自身のことをそんな風に感じたことは一度もなく 太陽のような眩しさには 圧であったり 時に痛みのようなものまで感じてしまう それでも水面越しに太陽を眺めて つまり自分は水の中にいるとき 水中に散らばり、揺れる光を見るのは好きだった 直接的な太陽は痛いけれど 間接的な太陽は優しい 木漏れ日というのは 光と影のコントラス

        余白を考える

          「自分自身になる」

          「自分自身になる」 ウィリアム・ブリッジズの書籍に出てくる言葉だ。 「自分自身」とは具体化に何を指すのだろう。 アイデンティティ 自己概念 ego 本来の自分… ここでは ありのままの自分 と捉えてみたい。 あまりに唐突だが 「自分」を「地球」に見立てるならば くっきりとその輪郭を認識できるのは 日の当たっている現在地だけ。 地球の反対側 深海 マントルから核に向かう部分 もしくは、太陽系の中での 星の並び位置 こうした目に触れにくいあらゆる部分も 全部「地

          「自分自身になる」

          「捨て力」

          心理学者のコリン・チェリーに提唱された 「カクテルパーティー効果」というものがある 「人はパーティーのような騒々しい場所でも、 離れていても自分の名前などはきちんと拾える。 つまり、意識の水面下で、人は常に周りを監視している」 といったもの 一方、生理心理学の授業では「注意」の視点から 「パーティーのような騒々しい場所でも、必要な情報以外は、すべて捨てることのできる人間の能力」 という形で取り上げられた。 私が上記との対比について質問すると 先生いわく、 「実際に聞こえ

          「捨て力」

          思考と向き合うことは、感情と向き合うことより、自分軸への近道だと思う

          心理学やカウンセリングを学ぶなかで 「自分自身の感情に耳をすます」 「感情を受け入れる」 的なことを言われる。 「私は今、悲しんでいる」 「私は今、焦っている」 それにより 「今ここ」 「あるがままにの私」 「客観的に自分をみつめる」 ことにつながるとか。 実際に行ってみると 「私は今、悲しんでいる」 …「そうでもないかも」 「私は今、焦っている」 …「そんなでもないかも」 …………「そもそも私、何やってんだろ」 もしかしたら、これも 「客観的に自分を見た

          思考と向き合うことは、感情と向き合うことより、自分軸への近道だと思う

          スペクトラム

          素敵に年を重ねている人 器が大きいと感じる人は 自然体の方ばかりだ。 自分自身に 無理な矯正をかけることもなく 良いも悪いも、ありのままを受けとめている。 「自己信頼」や「自尊感情」は 人工的に手を加えない 野ざらしの環境の中で どこからか飛んできた種のように ある日突然芽を出すのかもしれない そして クローバーやカタバミが根付くように ゆるやかに地面を覆い 自分自身の中に定着してゆく ホームセンターから買ってきた種は 水や肥料を与え、手をかけ続けることで ようやく

          スペクトラム

          愛を考える

          テキストマイニングによる歌謡曲の歌詞分析によると 30年前までは常に 「恋」というワードが上位に入り 「愛」は圏外 けれどここ10年程で逆転し 「愛」が上位 「恋」は圏外になったという。 どちらも、英語では同じ「love」だ。 震災後の「つながり」を重視した風潮 最近の若者の恋愛の質の変化 SNSの普及でいつでもお互いが「接続」できて 「すれ違い」が減ったこと 様々な要因はあると思うが とにかく 時代は 「愛」 に傾いている。 私個人の感覚を並べたてると 恋

          愛を考える

          アイデンティティを学ぶことは必然だった

          両親の最期を看取ったあと なぜだかエリクソンの第8段階の発達課題「統合 vs 絶望」が頭から離れなくなり そもそも「統合」とは何かと考えたのが学びのきっかけだった。 そこから現在、成人のアイデンティティを研究するに至っている。 そしてある時ふと思い出したのが 「世界にはこんなにたくさんの人がいるのに、どうして私は私なんだろう」 私は就学前、5~6歳のころ この考えに取りつかれて、夜眠れないことが度々あった。 考えれば考えるほど怖くて 気が遠くなるような感覚に包まれて

          アイデンティティを学ぶことは必然だった

          学びの意味

          大学院でのまなびも1/4終わったね。どう? 友人から言われて、早いものだなぁ、と改めて思う。 授業はおおむねオンラインで 対面を好む主指導の先生がらみで週に3日は通学したが 大学内のWi-Fi環境が不安定なこと 我が家のリビングの方が快適だったり 夕食の準備をしながら学習できる等の理由で、院生室にもそう長居はしていない。それは他の院生も同じだ。 ちなみにゴリラの研究をされている 京都大学の山極教授は 「人間は、視覚と聴覚だけでもコミュニケーションをとったと錯覚できるが、

          学びの意味

          幸福感とは①

          もともと、両親を相次いで見送った私が 人生の終末期を間近で経験し、この際ふとよぎったエリクソンの第8段階「統合 対 絶望」といった概念にこだわって 「統合」とは何だろう。 「統合と絶望」なんて、人生の締めくくりに両極しかないのはおかしい。 ならば、「統合」するにはどうすればいいのだろう。 といった疑問から始まった院生生活。 そこから派生した「幸福感」というキーワード。 またそこから「ウェルビーイング」につながり 今は「成人期のアイデンティティ」にも足を突っ込み始めている。

          幸福感とは①

          オンライン化と豊かさと

          イレギュラーな形でスタートとなった院生生活。 不慣れなオンライン化に戸惑っているのは私たちみたいな学生ばかりではなく 先生方も、日々変化する状況に奔走されている。 大学では主にMicrosoftのTeamsが活用され 科目毎にグループを作成、その中でオンライン授業や資料の提供・共有がなされている。 初めこそ全てが不慣れであったが 回数を重ねるごとに、主にオンライン上に顔をさらすといった心理的負担も軽減されていく。 今後、中間発表等もこの形式で行われ 小さな四角い画面の

          オンライン化と豊かさと

          情緒的豊かさとは、感性が磨かれている状態

          院での研究計画では「情緒的豊かさによるところの主観的幸福感」として進めてゆく予定であった。 が、コロナウイルスによるこの状況下において 「情緒的豊かさ」を味わう感覚というのは、とにかく目の前の「命や生活」を守るエネルギーに、ほとんど打ち消されてしまうだろう。 何事においても、環境のもと、優先順位は入れ替わる。 例えば戦時中やその直後の日本でも、人間の「心」を丁寧に見つめ、扱う余裕なんてなかったはずだ。 ***** 現代は文明が発達している。 洗濯板に代わって洗濯機

          情緒的豊かさとは、感性が磨かれている状態

          オンライン化がすすむなかでも、泥臭さが好き

          コロナショックを受けて、また、今後のウイルス対策に向けて ますますオンライン化がすすむことは予測できる。 我が子のことにしても 学校の休校において、オンライン化学習の整備を進めていくことは、当然の流れだと思う。 実際私も今回、テレワークを経験したし 夫についても、いつでも在宅ワークができるよう、周辺準備が進められているそうだ。 そのような中、それでもやっぱり人間と人間が直に触れ合える距離感だとか 生の声を受けるといった感覚は かけがえのないものだと思う。 以前NHKの

          オンライン化がすすむなかでも、泥臭さが好き

          とりあえず、日本風に置き換える

          食の欧米化が、日本人にこれまでにはない生活習慣病を及ぼす。というのは、だいぶ以前から言われている。 例えば代表的なのが牛乳。 アジア人やアフリカ人には、もともとこれを分解する酵素が備わっていないとか。 昨今流行りの「地産地消」には、やはりちゃんとした意味があり もともとその土地で育ち、長い年月をかけ、遺伝子的にも組み込まれ馴染んできたものは やはりその土地で育った人間の身体にも一番馴染むそうだ。 同様に、文化、宗教観、その他もろもろの感覚も その土地に根付くというか

          とりあえず、日本風に置き換える