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運命に定められた破滅への誘いー悪女入門(鹿島茂)

悪女と聞いて、あなたはどんな女をイメージするだろうか。

純粋無垢ですという顔をして実は大胆な女?
それとも見た目からしてフェロモンのようなものがむんむんと出ている女を想像するだろうか。

本書はいわゆるフランスにおける、
ファム・ファタルーー
その出会いが運命の意志によって定められていると同時に、男にとって「破滅をまねく」ような魅力を放つ女を指すーー
を取り扱う。

フランス文学を女子大で教えている著者が、2003年の雑誌FRaUでの連載内容をまとめたものだ。

内容は全11講。

第1講 アヴェ・プレヴォ『マノン・レスコー』
第2講 プロスペル・メリメ『カルメン』
第3講 ミュッセ『フレデリックとベルヌレット』
第4講 バルザック『従妹ベット』
第5講 デュマ・フィス『椿姫』
第6講 フロベール『サランボー』
第7講 ユイスマンス『彼方』
第8講 ゾラ『ナナ』
第9講 プルースト『スワンの恋』(『失われた時を求めて』第一篇第二部)
第10講 アンドレ・ブルトン『ナジャ』
第11講 バタイユ『マダム・エドワルダ』


昨今のMeToo運動など近代フェミニズムは活動を活発化していて、本書と現在では少し感覚の違いはあるが、嫌な気持ちがしなかった。
フェミニズムがどのようにこの近代資本主義の中で変容してきたかも踏まえて、男と女の欲望をフランス文学、現代社会になぞらえてシンプルに語っているからだろう。

フランス文学には、今の時代のフェミニズム的観点から見るととんでもないような話もある。ただ私は個人的にあらゆる性自認が存在しても、大前提に肉体としては男がいて女がいるし、女がいて男がいる。という考えではあるので、共存には根本的な違いを知ることが必要不可欠であると思う。

貞淑に見えるマノン型や、見た目も中身もとびきりの女王タイプのファムファタルであるカルメン型など、それぞれが色々なパターンのファムファタルがいる。
しかしその存在は相手の男性との関わりに依存する。すなわち相手がいて、自分が成り立つということであり、ファムファタルは他の男から見ると普通の女でも、ある男にとっては破滅を招く危険な女であるという。

"イメージ動物たる男は、あるがままの女ではなく、自分の心の中の女に向かって欲情するものだからです"

"相手の物語を見抜き、あいての物語に入り込むことができるかどうか"


どの女のタイプにも共通して言えること、それはこの点を理解しているかどうか、らしい。

女の生き方には、様々な種類がある。
近年、自分自身を解放する生き方をする女性が増えてきている。解放するほど、男性の目を通した理想の女性像からはかけ離れてゆくため(男は自分の心の中の女に向かって欲情する、すなわち本物の自分を愛しているわけではないと悟る)、別れる。
このような男女関係の結末が増えている。
もちろん、それもひとつの生き方だ。

しかし本書はもはやそれも踏まえた上で、"女は男にどう自分を魅せるかをコントロールできる生き物である"と伝えている。
もちろんそれをするかしないかは本人の自由だから、押し付けられる必要はないのだけれど。

私は少なくとも、自分で選んだ相手に対しては、【緩急をつけながら、自分をいかに魅せるか】というのは恋愛のひとつの醍醐味だと思うので、本書はなかなか面白いものがあった。

本書に登場するのは、ごく自然な振る舞いでファムファタルとなるフランス文学の女性たちだ。彼女達から学べることは多いが、そうでない女がそれを意識的に行うには、なかなか体力も気力もいるのである。

こうありたい自分を望むことは簡単でも、そのような自分であるには相当な努力が必要だからだ。

いくら好きな相手でも、相手のイメージ像に常に合う自分ではいられないだろう。

ただ、それをわかっていても、自分を魅力的に見せたいと思う気持ちが男女関係を豊かでいて面白みのあるものにしてくれるのかもしれない。

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