「悪」ってなんやろなぁ ~ 定義を考えてみる

やぁこんにちは。
るんるん衒学的モードです。


私、「悪」って↓のように定義したら
分かりやすいんじゃないかなって
思ってたんですよ。

  • ある概念の元において、その概念の自滅を招くが故に、存在が許されないもの


そうすると、次のようなパラドックスに
いい感じの限定条件を付けることができるかなって。

  • 不寛容への寛容

  • 他者の自由を奪う自由

  • 排他的な正義

私は↑に挙げた矛盾は、
例外として不許可とすべき、という考えです。
許すと大本の理念が壊れてしまうから。

というよりは、
だからこそ冒頭の定義がでてくるのですけど。


「悪」=無に還ることを宿命づけるもの。

でも、今日ふと思いました。
この定義に従うと、

「社会」って、永続してしまうなぁって。

もちろん現実の社会は、
あらゆる視点からの、
それこそ人の数だけの悪が
蔓延っていると思うのですけど。

一旦、そういうのは置いておいて。
「悪」が定義に従い、
「最初から」存在を禁じられた世界。

それを考えてみると、
なんか、

「んんー?」

という違和感があります。

私は、現代社会は、
一度消えてしまってもいいのではないかと
実は思っています。

社会とは、誰のものでもない。
だから上手く回っているうちは便利です。

けど、だからこそ
誰も責任をとらないし、そもそもとれないから。
そこに参加している人間たちの
キャパを超えるような規模は、
少なくとも、私には利さないって思います。

社会が人のためにあるのではなく、
人が社会のためにある、
という結果になってしまう。


そう考えてみると、
「悪」が生まれるのは必然で、
その負のエネルギー、
概念存在を破滅に向かわせるそれは
物事が自然な姿に戻るために起きる、
自然現象。

定義によって作られた、
人工の永続なんて、
いびつでしかないですね。

早い話、エセポジティブと同じ匂いがします。


系、世界、概念。
それごと破壊する可能性のある「悪」。

それでもなお「悪」とは言えないかも
しれないですね。

自滅も、自傷も、その意味がある。
悲しみや怒りもまた、あるがままで居られなかったがゆえ。
意味があるものを、
私は「悪」とは呼びたくない。

そんな気がしました。
自由と寛容については、私は好きなので、
今の私の定義でもいい気はしますが。


突き詰めると神とはなんぞや?
に行き着きそうな気がしますね。

でも、私は多分「なんか定義微妙でつまんなーい」
と言いたいだけなので。

おわり。

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