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ニーチェの言う『笑い』とは 【ニーチェ事典】

『ツァラトゥストラ』にちりばめられた笑いはその特質がかなり一貫している。まず破壊と否定の武器としての笑いの機能がみられ、それが一転して精神の解放をもたらし、快活ではれやかな肯定的境地を示す創造の笑いとなる。

『縮刷版 ニーチェ事典』 P700

先日紹介した
創造の時代に必要な『大いなる健康』には
肉体的健康+4つの要素がありました。

「勇気」
「試みる精神」
「新鮮な本能」
「笑い」

この4つです。

この中の「笑い」についての説明が
冒頭に引用した部分です。

「笑い」の要素には
2つあることが説明されています。

①破壊と否定の武器としての笑い
②精神の解放、快活ではれやかな肯定的境地を示す創造の笑い

①では破壊と否定…という物騒な言葉が
使われていますけれども…

これは人間を縛る価値観を
笑い飛ばすというニュアンスです。

『大いなる健康』においては
自分を呪っているかのような
押し付けられた価値観は
笑い飛ばしてしまう必要がある、ということです。

そして、その後に
②精神の解放、快活ではれやかな肯定的境地を示す創造の笑い
に、至るということです。

この笑いは、幸福そのものの境地と
言っていいと思います。

特に①の「笑い」
自分を縛る呪いを笑い飛ばす「笑い」は
なかなかに難しい
のではないでしょうか。

一つ、アプローチをかんがえるとしたら
客観的にみて、その滑稽さを知る
ウケてみる
ということが挙げられると考えられます。

こちらの記事で紹介した
鶏の例のように

に対して私たちは

タマゴを沢山生むと良い
よく太ってくれた方が良い
鳴かずに静かにしてくれた方が良い


こんな風に思います。

私たちからしたら
あたりまえのことですよね?

でも、これらを
鶏の視点に立って考えてみたらどうでしょうか?

鶏は、こんなこと気にしてませんよね。

あくまでこれらは
鶏自身とは関係のない
「外からの価値観」でしかない

からです。

自分が縛られている価値観は
自分ではない、外からの期待でしかない

もし、自分でそう思っているとしても
それは、外から押し付けられて
そう思うようになってしまっただけです


タマゴを沢山産めないことを
悩む鶏などいないのに

なぜ、私は他人の求める姿に
なれないことを悩む必要があるのでしょうか


それこそ「笑い」飛ばしてしまうべきことです


「大いなる健康」に向けて
自分を縛る呪いを、笑い飛ばすことから始めましょう







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