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燕市吉田地区2|シャッター街を歩く

(「燕市吉田地区1」から続く)

 翌朝、雨は降り続いていた。田中さんは既に出かけているようで、家の中には誰もいなかった。雨音に加え、階段や床を歩くときのみしりという軋みや、ヒートテックやパーカーを重ねても完璧には防ぎきれない空気の冷たさが、空間の静けさを一層際立たせていた。

 始業時間の九時半を迎え、パソコンを開いた。この一台さえあれば場所を問わず仕事ができるのだから、こんなにありがたいことはない。東京から離れているからこそ、その念を新たにする。前日の連絡に返信したり、今日するべきことを確認しているうちは順調だった。一時間ほど経って、次第に仕事が進まなくなってきた。手の指がかじかんできたのだ。ふと気づけば、足先も寒さに固まってきている。まだ十一月も始まったばかりだというのに。

 一階に降り、共用スペースとなっている畳部屋にこたつを見つけたときは、快哉を上げんばかりだった。昨夜は電気が付いていなかったために見逃していたようだ。迷わずこたつにもぐり込む。見回せば、その部屋には本があり、漫画があり、ゲーム機があり、スクリーンがある。気分は一気に正月の帰省だ。それこそまだ十一月も始まったばかりだというのに。

 田中さんの私蔵であろう蔵書から適当に数冊を取り出し、こたつの卓上に積む。それらの本をつまみ食いをするかのように読み、思い出したように仕事をし、集中が切れたら寝転んでまた本を読む。そんなことを繰り返しているうちに、時間はいつのまにか過ぎていった。

 夕方になり、雨がやんでいた。秘かにこの時を待っていた私は、拠点周辺の散策に出かけた。

 空は灰色で、またいつ降り出すともわからない気配だった。

 道をいくつか曲がると、商店街の通りに出た。アーケードが遠く向こうまで伸びている。

 買い物客が増えてもおかしくない時間帯のはずであるが、通りはひどく閑散としていた。幼い娘の手を引く母親、シルバーカーを押す老女、自転車で駆け抜ける青年。そういった人々と、時折出くわす程度だった。

 そもそも大抵の店が閉まっていた。シャッターは下ろされ、そのシャッターには赤錆が広がっていた。いくつか営業している店も年季の入った風合いだった。定食屋の食品サンプルはくすみ、ガラス扉に貼ってある「PayPay支払い可」のシールは色褪せていた。衣料品屋のラックにかかる衣服はよれ、店内は薄暗かった。

 そこにあったのは、寂れたシャッター街の姿だった。

 しかし、そういった一辺倒な認識は、あてどない散歩によって揺さぶられることがあるのもまた事実であろう。

 しばらくメインの通りを進み、十字路で左に曲がったところで、シャッターを閉じた店々の間に、温かげな明かりが灯る店を見つけた。近づくと、それはカフェであるようだった。通りに面した部分は全面ガラス張りになっており、店内が覗けた。客は誰もいないようである。ちょうど寒さが身に応えてきていたこともあり、少し寄っていくことにした。奥から出てきた店主は、四十代ほどの男性だった。眼に力があり、明朗な印象を受ける。

「ホットコーヒーをひとつ」

 そう注文をし、抽出を待ちながら立ち話になった。

 店主の男性は、設計士を本業としているとのことだった。この町で育ち、一度は町を出て、そして戻ってきた。かつては賑わっていて、そしていまも実は個性豊かな人々が詰まっている吉田いちび通り商店街を、ひいてはこの町全体を、もう一度盛り上げたい。そのために、地域の人を繋ぐ場として、このカフェを営んでいるという。

 彼の口から愛をもって語られる商店街は、自分が一見したばかりの商店街とは、まるで違うもののようだった。

 ところで、町おこしの主導者には、建築設計の経験を持つ人が多いように思う。きっと偶然ではないのだろう。増え続ける空き家や商店街という空間をどう使うか。そこには、思考においても、実行においても、建築設計の経験が活きるに違いない。

 しかし、それ以上に建築設計士と町おこしを繋いでいるのは、その思想においてではあるまいか。建物は人間とその外部を媒介する。建物は外部に対する人間の身体感覚に決定的に作用する。昨夜、私が雨を上に感じたように。このカフェが商店街の中にあると感じられるように。だから、建物次第で町と人とが繋がる暮らしを実現できる、と言えるのかもしれない。

 店主のことを知り、次は自分の番だった。

「吉田には何されに来たんですか?」

 店主がそう訊いてくる。

 実は、多拠点で暮らしている中で困ることの一つが、この質問である。仮に「仕事」と返すとする。もちろん実際に仕事はしているわけだが、その仕事と滞在している町には繋がりはない。一方で「観光」と返すとする。おそらく観光もするであろうし、これであればその町との繋がりはあるのだが、観光目的と主張するにしては普段通りの生活をしている時間が長すぎる。ではその「生活」と返せばいいのだろうか。要するに「この町ならではの暮らし」が目的です、と。この答えは前の二つよりも、真意に沿っている。しかしそれを、「この町の人」に面と向かって言うのは、どこか鬱陶しい行為のように思われる。

 そういった葛藤の末にいつも、
「いろいろ、見たくて」
という、ぐちゃぐちゃとした返しになってしまう。ひとことで言いきるというのは、なぜこんなに難しいのだろう。

 二階のカフェスペースでコーヒーを吞んでいるうちに、また雨が降り出してきた。レコードでかかっているビートルズの曲は、やけに細かな部分まではっきりと聞こえた


(「燕市吉田地区3」へ続く)

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