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レイとわたし



私には5歳の息子がいる。
名前はレイ。

数日前、レイとふたりで保育園に向かう朝のこと。いつもの田舎道を通り、朝から暑いくらいで窓を開けたりして、BGMはなしだった。それでその日は赤信号で止まった時、息子がおもむろに言ったんだ。

「ママ見て!牛さんが乗ってるよ!」

言われるまま隣を見ると、大きなトラックの荷台に黒い牛が何頭か。口を縄で縛られ、暴れないように短い鎖のようなもので繋がれていた。おそらくどこかに運ばれて、これから食用のお肉にされてしまうアレだった。窓を開けていたからか、私たちのすぐ隣、一番近くにいた牛は黙ってじっとこちらを見つめていた。耳には番号の書かれた黄色の硬紙がバチっとはめ込まれていて、たまに縄を振り解こうと首を振るような仕草を見せた。その黒い牛を見てレイが言ったんだ。

「ママ、かわいそうだね。牛さん達はどこにいくのかな?」と不安そうに顔を曇らせて。

だから私はたまらず言った。
「そうだねぇ、悲しいねぇ。これから楽しいところに行けるといいけど」

すると続けて息子は言う。



「人間って、いじわるだよね。」と。




そうだねぇ。そうなんだよね。



私はその時、トラックの前席に座る2人の男性が楽しそうに笑うのをぼぅっと見ていた。もう一度牛の瞳を見ると目が合った。信号が青になり進み少しすると、どこからともなく瞳の奥に涙が滲むのが分かった。それを息子にわからないように、欠伸をしたフリをしながら考えたが、私にはその涙の理由がよく分からなかった。

何も知らずにバーベキューの牛肉を美味しい!と食べている私のことを息子は知らないし。いつか自分もそうしていたことを知ってしまう時、どんな気持ちで受け止めるのだろうとか。はたまた本当にあの牛達が人の手によって、切られたり焼かれたり死んでいくことを想像したら悲しくなったのかもしれない。自分にはどちらにせよ目を瞑りたくなるような悲しいことだと思った。それに本当に怖いのはそんなことよりも、いつもは当たり前のように忘れて当然なんだから。という態度だった自分じゃんかと、涙が乾いていった。



それから夕方、保育園からの帰り道。
近所にできたばかりの、あたらしい動物病院の前を通りがかった時、息子が言ったんだ。

「ママ!レイくん分かったよ!
朝の牛さん達はここにきたんだよ!」
「たぶんお怪我を治しにきたんだねーー」


と。ホッとしたような、満足そうな顔をして私に言った。私は、そんなわけ無いと分かっていたけど「そっかぁ!それならよかったね。」とだけ伝えた。
本当にそんなわけ無い。けど、「本当にそうだと良い。」と、ちゃんと思っていたらまた目頭が熱くなった。私の頭の中には安心した息子の顔と、あの黒い牛の縋りつくようなじっとした瞳が交互に浮かんできては、西陽が眩しくて目を細めた。もうそのまま目を閉じてしまいたくなるようだった。



この世にはどうにもならない不条理のようなものが、あちこちに落ちている。その中で私も生きているし、息子も生きていくし、牛や鳥は死んでいくのだろう。
本当に汚いのは誰なんだろうね。
この世界で汚れて生きていく。その中でも、優しさだけは失くさないでいい。そう自分にそっと呟いた。そっと呟いた。

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