見出し画像

映画『いつかの君にもわかること』感想

予告編
 ↓


押しボタン式の横断歩道


 本作は、実話から着想を得て作られたという映画。余命僅かのシングルファーザーが、幼い一人息子のために里親となる家族を探すという物語。もうこのあらすじというか、いつだったかに目にした予告編だけで泣きそうになった覚えがあります笑。そして本編もね、ちょ、マジ涙腺やばば……。

 気を取り直して本題にいきます。冒頭、様々な家屋の窓が映されます。それぞれの窓越しに映る人々の姿は、主人公ジョン(ジェームズ・ノートン)が息子マイケル(ダニエル・ラモント)のために色んな家族像を想像していること、或いは観察していることを予期させます。
 ジョンが窓拭き清掃の仕事をしているという設定もあり、その後のシーンでもいくつもの家屋の窓が映されますが、そこも同様。彼は時折、仕事に取り掛かる前に少しだけ窓の様子や部屋の中の様子に目を向けることがあるのですが、そのほんの少しの間(ま)が、彼自身が何かを考えていることを教えてくれます。

 こういった窓のシーンに限らずですが、彼が想いを巡らせていたり、何か日常の一コマを切り取っただけのようなシーンがあったり、本作にはいくつもの余白のような瞬間があるような気がします。先述した内容と同様、ジョンが何かを考えていることを想像できるのもありますが、それ以上に、観客夫々にも何かを考えさせることを誘発するような余白だとも思えるんです。それによって本作で描かれるジョンの葛藤——何が正しい選択なのか——を、より強く想像することに繋がっていくんじゃないかな。

 

 まだ「死」も理解できていない息子に、自身(父親であり、たった一人の家族)との別れ、そして見知らぬ他人と新しい家族になるという二つの変化を同時にさせなければならない。そんな中で「最善」や「正しさ」を追い求める。おいそれと理解できた気になどなれませんが、だからこそ、真剣に考えながら鑑賞できる、深くゆっくりと感情移入できる、そういった余地が必要だったのかもしれません。
 里親候補となる家庭をいくつも回り、その度に頭を悩ませ、生活のために仕事もこなし……。そんな日々の合間に描かれる親子の様子を眺めているだけでも、ずーっと考えさせられてしまう。演者陣の抑制のきいたお芝居もとても素敵でした。

 

 自身の死期を悟り、残された息子のために奔走するという姿は、悲しく思えてしまう節もたしかにあるものの、とても美しい姿のようにも思えます。とはいえ、ただただ立派なだけの人物として描いていないのもとても良かった。
 いや、もちろん、ジョンはとても立派な人物なのですが、なんて言うんでしょう……。残りの人生をかけて最愛の息子のために行動するという「強さ」と同時に、色んな場面で「弱さ」も窺い知れるからこそ、ジョンを一人の人間として、一人の父親として見ることができる気がするんです。

 窓拭き清掃の仕事をしている自分を卑下したり、一人になった時に雄叫びを上げながら車に八つ当たりしてしまったり……。劇中でショーナ(アイリーン・オヒギンス)らソーシャルワーカーの人たちも口にしていたように、たしかに例外的な事例なのかもしれませんが、こういった弱さ、もとい、人間らしさが描かれることで、ジョンという人物を特別視せず、一人の人間として捉えられる。だからこそ、観客も思いを馳せられる、感情移入できる。完全に理解できるなんておこがましいことは僕なんかには言えませんが、ジョンの気持ちを想像することができるようになる。

 


 クライマックスで二人が押しボタン式の横断歩道を渡るシーンはとても印象的でした。実は序盤にも二人が横断歩道を渡るシーンが描かれていたのですが、その時はジョンに促されてボタンを押していたマイケルが、今度は自発的にボタンを押しにいく。序盤のシーンではジョンに腕を引かれながら歩き出していたのに、今度は自分から横断歩道を渡り出す……。本当に、あまりにも小さな変化。「成長」と呼ぶほどのものかもわからない程度の変化。でも、本作の物語、その短い間だけでも見つけられたこの小さな変化は、タイトルにもあるような「いつかの君」が、いつの日かは訪れることを想像させる。

 たとえば、サッカーをする息子を親が見ている等々。劇中、幾度も他の家族の様子を眺め見るジョンの姿が描かれていました。そういった光景は、子供の成長を感じられるような瞬間の一つ。他の親子像を描くことで、ジョンが経験できないものであること突きつけているようにも見えてしまいました。でも、横断歩道でのマイケルの姿からは、ジョンの日常の中にもそういった瞬間があることを教えられたような気がします。日々の一瞬一瞬が、かけがえのないものであるのだと。

 実は物語の中盤くらいにも、横断歩道のシーンがあります。それはジョン親子とは特に関係のないもの。仕事帰りに車を運転していたジョンは、赤信号で停止する。その目の前を、小学生くらいの少年が一人で押しボタン式の横断歩道を渡るだけのシーン。
 特にモノローグや回想も無い、場面と場面を繋げるためだけの、移動や時間経過のシーンかと思えなくもないですが、この瞬間があるからこそ、先述のクライマックスでの横断歩道のシーンが活きるんじゃないかな。それこそモノローグや回想といった説明はありませんでしたが、いつかマイケルも一人で渡れるようになる日が来るのだと想像できてしまう。

 


 ネタバレ回避のために詳細は割愛しますが、その後のラストカットも良かった。状況こそ違いますが、まるで横断歩道を渡るときに手を繋いでいるような、上からの目線——ジョンの目線——でマイケルを見下ろす画角。もう漏れなく色んな想いが込み上げてくる、素敵なラストカットでした。


#映画 #映画感想 #映画レビュー #映画感想文 #コンテンツ会議 #父子家庭 #養子縁組 #養子 #里親 #いつかの君にもわかること

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?