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映画『ホテル・ムンバイ』感想

予告編

R-15+指定


 アマプラ月替わりセール対象作品

 今月中はレンタル・購入がお得なんだとか。

 本文中で「来年に東京オリンピックを控えて~」などと述べてはいますが、例の如く公開当時(2019年)の感想文ですので、ご容赦ください―。


靴の片っぽ


 2008年、ムンバイ同時多発テロ——。正直、当時のことはあまり覚えていません。なにせ子供の頃の話なので。

TVのドキュメンタリー番組を見たことがある程度で、それも随分と前の話。この事件のことをすっかり忘れかけてしまっていたのは、おそらく僕だけじゃないはず。この後も凄惨なテロ事件が幾つも起きていて、それらを受け止めきれずに目を背けたり、ニュース映像だけじゃ実感が湧かなかったり、記憶を上書きしてしまっている人も多いはず。風化させてはならない事件を、とてもリアルに描き出した作品です。



 「人々の勇気が……」「奇跡の脱出劇を……」という文言が宣伝で散見しているせいで勘違いしちゃいそうですが、決して単純なお涙頂戴的なものではありません。

 テロ事件を題材にしたり物語の一部に含めた作品は幾つも観たことがありますが、死の恐怖を増幅させるためにたっぷりと間を使い、場合によってはスローを用いて描くのは、観客を煽るためだけのただの演出。現実はそんなに生易しいもんじゃないってことを本作は教えてくれる。

人間の尊い生命が何の躊躇も、理解する間も無く終わっていく……。それはテロリストが彼らを人と思っていないから。銃口を向け、狙いを定め、カメラのピントが銃身から標的に移り、引き金にかける指のアップや顔のアップ、撃たれる側の悲鳴や走馬灯のようなドラマなど、映画やTVドラマ、漫画、ゲーム等でお馴染みのエンタメチックな演出など皆無。見つかれば撃たれる。殺した後の余韻なども無い。過去に観てきたドキュメンタリーを彷彿とさせるリアルさには痺れます。


 テロリストが第四の壁(観客の方向)に銃を向けて発砲することで脱出時の臨場感を克明にさせたりするのも印象的。しかも物語の終盤になって初めてそんな映像を見せられるから、より一層緊張感が増します。ネット上にもあがっていますけど、事件当時の防犯カメラ映像を目にした時のショックにも届く程の衝撃でした。

本作が構築するリアルさは既に充分ですが、映画館のような音響設備のしっかりした空間で観ればなおさらです。実際に現場に居合わせていると観客に錯覚させるレベルのクオリティのため、覚悟は必要かもしれません。自分が当事者になった時、果たして彼らのように勇気ある行動が取れるのか、逃げ出してしまうんじゃないだろうか。テロという正義の無い事態に直面した時に自分はどうするのか。そんな難題を突き付けられている感覚になるかもしれません。



 映画の冒頭、勤め先のタージマハル・ホテルに向かおうと家を出る主人公・アルジュン(デヴ・パテル)は靴の片っぽを落としてしまう。本作が徹底的なリサーチ、取材の上に成り立っているのは本編を観れば一目瞭然というか容易に想像が付くことですが、実際のところ、この靴のことまではわかりません。でもこの靴の片っぽが、アルジュン含め、あのホテルに取り残された人々の象徴になっている気がします。

「お客様は神様」だと言ってホテル客のために命を懸けるホテルスタッフ……、愛する我が子のために決死の覚悟を決める旅行客……。一刻も早く逃げ出したいはずの環境の中でも危険を顧みず他人を想い遣る者ばかりで胸を打たれますけど、本当は皆、死にたくない。生きたいに決まっている。その理由こそ、家に置き忘れた靴の片っぽ。どんなに何かに身を捧げていても、誰もが片足を突っ込んでいる場所がある。そこへ帰るんだ、という信念が観客の心を奮わせるに違いありません。

逆に言えば、だからこそ無慈悲にも終わっていく命に胸を締め付けられるわけでもある。この心の揺れ動きこそ、ただの再現ドラマではなく素晴らしい映画であるという何よりの証拠なんじゃないかな。



 島国の日本に暮らしているからか、どうしても疎くなりがちな宗教問題への認識を改めさせられます。テロが起きた際にメディアが悪用されるかもしれない……、巻き込まれた人々の混乱が防げたはずの悲劇を引き起こしてしまうかもしれない……、という啓発に繋がるような場面もありました。来年に東京オリンピックを控えているから、というわけではないですけど、これは観る価値ありの一本です。


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