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映画『ファースト・カウ』感想

予告編
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鳥には巣、蜘蛛には網、人には友情


 白状すると、どなたの言葉だったのか、テロップに表示されていた名前をド忘れしてしまいまして……汗。観終わってから調べたところによると、どうやらウィリアム・ブレイクという詩人なんだとか。

……何の話かと申しますと、本作の冒頭で流れるテロップの話。彼の格言(?)が映し出されるんです——「鳥には巣、蜘蛛には網、人には友情」——。非常に意味ありげというか、ド頭に提示しているというだけで、この言葉の含蓄するところは大きそうに思えてきます。とはいえ、まだ何も描かれていない冒頭の段階。特に考え過ぎるようなことはせず、頭の片隅に置く程度に収めていました。

 


 西部開拓時代の未開の地が舞台となる本作。元料理人のクッキー(ジョン・マガロ)と中国系移民のルー(オリオン・リー)が、その地に初めてやってきた牛からミルクを盗み、ドーナツを作って一攫千金を狙おうとする物語。そんな本作は、観ていてとても心地が良い。
 いや、どちらかというと「個人的に好きな感じ」の方が適当かも。作品全体を通してセリフによる説明などがほとんど無く、各カットもじっくりと映されていくので、登場人物たちの振る舞いや細かな表情の変化などをじっくりと眺められます。

 

 また、映像自体も独特な雰囲気があって素敵でした。“なめる”とまでは言わないかもしれませんが、人物等々、被写体の手前に何かが置かれていたり、どことなくボヤけているような瞬間があったり、或いは全編に亘ってあまり明るくない光景が多かったり……etc. 様々な事情でもって、本作の映像を自然とじーっと見つめてしまいます。「今この人は何を考えているんだろう」「何をしようとしているんだろう」みたいな感じ。鑑賞中の、この「よく見ようとする」という行為が、まるで相手の事を想像する・考える、延いては慮るといった、クッキーとルー二人の心情と呼応するような気がして、これもまた「心地が良い」などと思えてしまった理由の一つだったのかもしれません。

  物語の造り上、「最終的にどうなるのか」が何となく想像できてしまうのですが、それでも本作の面白さに変わりはありません。そこに至るまでの道程、主人公二人の機微が窺い知れるような物語。

 恥ずかしながら、ケリー・ライカート監督の映画は本作が初めての鑑賞だったので、もしかしたら同氏の監督作はどれも同様なのかもしれませんが、とても落ち着いた筆致で描かれていた印象でした。

 


 未開の地に連れてこられた一頭の雌牛。つがいの雄牛と仔牛も居たものの、来る途中で死んでしまったのだとか。そんな雌牛と、一攫千金を目論んでミルク泥棒を働く主人公二人の存在は、どこか経済に関する「牛のたとえ話」を思い出させる。まぁ僕自身はあまり政治的ジョークには詳しくないんですけど。

 ミルクを “搾り取られる” 乳牛の姿からは、〈労働者〉という存在を連想させられます。そしてそんな雌牛からミルクをくすねる二人の姿は、その牛の所有者である仲買商(トビー・ジョーンズ)と彼らの関係性の縮図かのよう。一方で、そんな有力者だけが唯一有していて、尚且つ主人公二人にとっては一攫千金に繋がる存在という意味では、雌牛は〈富〉をも連想させ得る。
 このように、たった一頭の雌牛が、〈労働者〉と〈富〉という二つの象徴のどちらにも見えてくるから不思議です。余白が多いというか、考えながら観られる余地がある本作の性質も相俟って、観る人それぞれ、或いはシーンそれぞれによって、色んな捉え方ができるんじゃないかな。

 


 そんな彼らの物語がどう転がっていくかは実際にご覧になって頂くとして。本作の一番の魅力は、クッキーとルーの友情にあると思います。各々の個性を活かし合い、共に一攫千金に向かって動き出す。そんなあらすじは、どこか熱い展開を予期してしまいそうですが、相変わらず本作はとても静かなまま。でも、たとえ無言の中にあっても、互いに役割を自然とこなし出し、知らず知らずのうちにバディ感が醸成されていく。そういった小さな動きというかお芝居を眺めるだけでも心地が良い。

 

 後半、二人が散り散りになってからの展開も素敵。はじめはお金のためというか、稼ぐことがきっかけの繋がりだったのに、離れ離れになっても何だかんだ互いが互いのことを想い合う。もちろん二人とも良かったのですが、個人的にはルーの行動が印象的。
 たとえばボートに乗るシーン。言葉が上手く通じない先住民を相手に、ボートに乗せてもらおうと必死の交渉。それぐらい慌てて逃げようとしているのかと思いきや、向かったのは彼らの住処。このシーンでのボートが「上手(かみて)→下手(しもて)」という動きだったのですが、それがルーの状況や心情を表しているように思えたんです。冒頭シーンの船や、雌牛を連れてきた船の「下手→上手」という動きとは真反対だったために、「戻る」や「帰る」みたいなことを連想させる。本来は少しでも遠くに逃げるべきところであるはずのルーの「戻ろうとする」という動きをより強く印象付けてくれているかのよう。それは即ち、クッキーのもとへ戻ろうとしているのだと。

 

 そして何よりクライマックス。お金ではなく友情を選んだかのような着地。ここで、冒頭の言葉を思い起こす。前出のシーンで帰るべき住処を失った二人でしたが、少なくとも彼らにとって重要だったのは家ではなかったのかもしれません。鳥にとっては巣であり、蜘蛛にとっては網。それは家というか帰れる場所というか……。上手く言えないんですけど、人にとっては家以上に、他者との繋がりこそが帰れる場所であり、魂のあるべき場所であり……そんな風に捉えることもできるんじゃないでしょうか。「人には友情」の意図・真意こそ測りかねませんが、そんなことを考えさせられました。


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