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一言の重みを感じてしまう時

一言の重みを感じてしまう時


一言の重みを感じてしまう時は誰にでもあると思います。

そしていいように、前向きに捉えられる時はいいのですが、後ろ向きになってしまう時、やはり本当にそれがいけないのだろうかと考えてしまうことがあります。


しかしいろいろなことを知り、たくさんの方に相談もしたりもしていくと、自分の探していた本当のことが見つかり、以前の言葉の呪縛から解放される時が来るものです。


私は最近このようなことを体験しました。


実は夫は4年ほど前に小脳出血という病気で亡くなりました。脳卒中の一つで、名前の通り、小脳から出血してしまいます。

どうしてこの病気になったのだろう。どうして防げなかったのだろう。たくさん考えました。その時に病院の先生が一言。ご主人は健康診断で高血圧と言われてませんでしたか、と私に聞いたことがありました。高血圧と聞くと、どうしても食事が偏っていたのかと考えてしまいます。確かに、3度の食事を家庭でとはいきません。そしてお酒も好きでした。それがいけなかったのだと、私がもう少し気を付けていればとかなり自分を攻めました。


しかし、最近社会保険関係のことを学ぶ機会があり、その中に脳血管障害や虚血性心疾患等は業務災害に当たるかもしれないというのがありました。

確かに、夫は個人事業主といえど、当時大きなオリンピックのシステムプロジェクトのプロジェクトリーダでした。かなりの精神的負荷と、夜勤や残業もかなりのものでした。夫の泣くなったあの時は、当時の夫の手帳にはプロジェクトの進捗も書かれているところがありました。

病院の先生は健康イコール体、食事となるのかもしれません。しかしこの仕事の長年のストレス、大きな責任が起因していなかったのというと大きいと考えられました。そして今までより救われました。

一生懸命夫は家族のために働いてくれていた。そしてその仕事のストレスによる業務災害の可能性もあったのだと知りました。


もしも夫が今でも半身不随でも生きていてくれたとしたら、その当時の雇用契約を調べる必要もあるのかもしれませんが。


ただ脳血管障害は過重労働による、業務上の疾病にもなるのだと、こんごは伝えていきたいと思います。


もしも私のように脳卒中で家族を亡くされても、その人の食生活に気を配れなかったのばかりが原因ではなくて、過重労働によるかもしれないですよと、伝えてあげます。

自分を責めないで。


リ・そうるけあ

高山和 たかやまあい