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「戻ってきてしまった」

「地元最高!」のない我ら

 これは消化と分析のために書く。何せ何も理解できていないし、ずっと一昨昨日から妄想幻聴がしているのだから。

 入院の際に独房に置いて来たものが、ふとしたことで戻ってきてしまった。攻撃性である。そもそもどうしてああなったのか、あの成り行きになったのか、私には判然としない。ある配信サイトでの話だったのだが、枠主の話を聞いていてもどう考えても私の中では相手が辛辣で、所謂メサイアコンプレックス的もしくはモラルハラスメント的にしか思えなかったのだ。潜ってジッと自分への評価を聞いているくらいなら堂々と上がってきて今まで通り接すればいいし、それが出来ないならもう来なければいいのに。ジェンダー云々言われそうだが、それこそ「男なら」と思わずにはいられない。何がしたいのか理解できない。本当に理解できない。
 猶更理解できないのは、そのような人物を枠主(私は彼女を数少ない友人だと思いたい、この記事で離れるかもしれないが、それでもこれは私の「理解できないことへの一問一答」なのだと知ってほしい)が庇うことである。人間が如何に知性的な生き物とはいえ性別があるので、やはり情に下手に棹さして激流に流されてしまったのだろう。これは先に知っていた。しかし、そのほかの傍観者たち(曰く、彼女の支援者たち)も庇うのはわけがわからないよ。惚れた腫れたの弱みなら犬も食わないゲロを吐くというものだが、所謂「地元繋がり」だかで矛盾した言動を庇い合い肝要な論点が曖昧になっているのは自分としては大変意味不明である。彼ら彼女らは誰ひとりケースワーカー等公的資格を持っていないタダの地元友達、所謂「ジモティー」なるものなのに、よくぞそこまで崇拝できたものだと思う。

 それもこれも、ひとえに自分に「ジモティー」がいないためだと思われる。いなかったわけではないが、皆仕事や結婚で県外に行ったり、自分の言動を恐れて縁が切れたりした。そうだ自分がいつも悪いのだ。私を恐れた友人もそれなりの病だったが。やっとこさ「ジモティー」ができたのが地元の伝承を研究する同好会に入ってからと、そして皮肉なことに入院してからであった。
 彼女らは私と同様に鼻の利かぬ野犬のような人々で、常に怯えていたり常に殺気立っていたりしたが、打ち解ければ境界がぶち壊されるほどに懐いて来た。私はそれすら嬉しかった。そんな人が、そこまで大切にしてくれる人が他にいなかったからだ。
 皆、凶悪で性悪な私を見た瞬間逆に自分が高尚な人間に変化して
「あなたのような人とは縁を切ります」
「あなたとは縁を切らないけど、まあ交流は控えるね」
 といつもの乱痴気ぶりをスンと鎮めて言い放つのである。どうしたのだろう。普段の自分を忘れてしまったのだろうか。酒の影響だろうか
 だが、あの施設にいた人々は違った。大体の人々は私より一回り上で、よく患者同士の喧嘩をして軟禁されていた。しかし、普段は気のいいジャイアン気質のヤニ姉さんで、同じ話を延々と繰り返したりすることを除けば、豪快な頼れる姉御だった。長女である私に姉が出来たような気分だった。そして皆、何がしかやらかしているので凶悪性や凶暴性にも寛容だった。
『あたしゃねェ、あの女(患者)気に入らんけェ馬乗りになってボコボコにしてやったんよォ!!』
『あの人面倒くさいでしょう!私、一回喧嘩になってねぇ。その時おでこ殴られたもんだから、二の腕に噛みついてやって……』
『え、あんたあの〇〇先生怒らして保護室延長なったん。やるやん』
『あたしゃ中学の頃に家で親殴って喧嘩して家出したけ、もう戸籍家にないんやないかなあ。この病院が戸籍になっとるんちゃう』
 等々。常識人が聞いたら、それこそ枠主の「ジモティー」たちが聞いたら嘲笑するかドン引きするかのどちらかだが、私は居心地がよかった。

「この人達は私を笑わないし、引きもしないし、怒りを否定しない」
 
 
そんな安心感と暴力性は病院に置いて来たはずなのだ。おいて来たはずなのだ、が。


 

「自分軸」「自分の確立」「自己主張」

 簡単に言ってくれるよな。人の心とかわからんの?大丈夫か?お前が何か抱えてないか?それか何か変なセミナー通ってないか?
 
 
それが枠主を介して揉めた相手とのテーマであった。相手は拗ねたようにホイホイ言ってくれる。大変はた目に見ていて不愉快である。あらかじめ断っておくが、自分はそれ以前の枠では相手(以下自己啓発氏)と普通にゲームやプラモデルに関して談笑しており特段敵対していなかった。
 ただ、その日は先に枠主の相談(今思うと一方的な愚痴のつもりだったのかもしれない)を聞いており、それによって私は初めから怒りがクライマックス、開幕怒りがフルスロットルだったわけである。冷静に話せるわけもない。そも、自分が言及されている間に黙って潜り、浮上したかと思えば枠主の弱点を突いていくような発言をしていく輩に何をかいわんや。

 私は友人として怒ったつもりである。保護室に置いてきたヤクザじみた言葉が戻ってきた。物騒な言動は避けたが、相手を徹底的になじった。
「そんなものは言葉を有耶無耶にした逃げだ。きちんと勝負しろ」
「知らんけど言うならこっちもお前なんか知らんがな。滅茶苦茶したる」
「自分軸言うてなんやねん。そげなもん持っとって正解ならヒットラーでも植松聖でもこの前起きた立てこもりの犯人でも入院する前の気が狂ったワシでも一本筋通っとるがな。これ自分軸違うんかコラ」

 相手は飄々としたテイをして反応をしない。テッテ的にこちらを嘲っている。いけ好かない。全てが生け好かない。成程そうしてニヒルに自己中に人生生き続ければいいさ、「ジモティー」という狭い人間関係の中で。ヒートアップするのも馬鹿らしくなって、私は枠から抜けた。どうせこういう場合、悪者にされるのはよそ者だ。相場が決まっている。

 案の定、情の残滓に流された友人(なのだろうか)に
面前であんなこと言わないで。あの人だからいいけど、他の人だったらボコボコにされてたよ
 と即座に「傷つきました!」ボタンを押されて以下ウニャウニャ、要はクールダウン距離を取りましょうと。
 な、涙が出ますよ。私はあなたが「○○と言う言葉が嫌」と言った、自己啓発男さんが喧嘩腰だった、だからあなたを助けようとしただけなのに。ここまで辛辣に注意されて、いかにも自己啓発男さんが正しいという風に言われて、挙句距離を置きましょうと言われるとは。こちとら議論に乗り気だったのに。私から言わせれば「服薬してるのに定期飲酒を止めない『ジモティー』の皆さんこそおかしい』に尽きる」んですが、「よそ者」の私が全て悪いんですね。いつだってそう。軟着陸できなから、喧嘩腰だから、色んな理由で、そう。
 
正直しんどい。

猛犬注意!この犬は語義解釈します

 私はひとつの言葉や文章に以上に語義解釈的に執着する癖がある。

 例えば、入院中にSという男性看護師(非常に態度が悪く、患者の首を殴る、髪を引っ張るなど日常茶飯事であった)に
「自殺なんてバカなことをするなッ!」
 
と、ええかっこしいのようなポーズで言われたのである。その瞬間の記憶は、ない。ただ、その次の瞬間から私はその文章のアラを探し始めたのである。この男を論破し言い返さなくてはならない。何故なら「自殺」は人間に与えられた最後の自由意志の表明だからだ……と。こんな暴力看護師に利用されてはならない、何とか言い返さなくては、論拠が必要だ、論拠が……そして私が出した答えは以下のものである。
「お前それ自殺遺族の前で言えるんけ!?コラァ!!木村響子さんの前で同じことカッコつけて言うてみいや!!松戸の女子高生の親の前で言うてみいや!!この自殺大国日本で何人毎日自死しとる思とんねん!わからんのやったら看護師なんざ辞めてまえ!!人殺し!!虐待犯!!暴力男!!DV犯!」
 
暴力看護師は私を面倒くさがって近寄らなくなった(暴力は続いていると思う)。

 そのほかにも、牢獄にいる間に女性看護師に
「どうして私は何も上手く行かないんでしょうか」
「皆騒いでいた人があっち(通常病棟)でのびのびしていて、私はここ(閉鎖病棟)で騒音に苦しんでいる。いつだってそうだ、私が……」
 と不定愁訴を告げたところ
「そんなの気の持ちようよ、比べるのをやめよう?」
 と絵にかいたようなペラいお言葉が返ってきた。
気の持ちようで疾患が治るならお前らの職場はいらん。看護師としては何とか抑うつかつ興奮状態に入りつつある私をなだめようとしていたのだろうが、私はもう止まらなかった。
「脳の欠陥が気の持ちようで治るんですか、おもちょいことを言いますね」
 すぐに言い返したことを覚えている。
 看護師が逃げて行ったが、鍵を閉められないように扉に飛びついて
「逃げるなぁアアアアア!!何が気の持ちようじゃコラァアアアアア!!俺の脳みそはなああああ、大脳皮質がなああああああああ!!ぶち壊れとんじゃこらああああああ!!」
と怒鳴っていた。
サイレースだかセレネースだかを筋肉注射されるまでその騒ぎは続いた。
 
後日、何故暴れたのかをカメラに向かって延々と独り言で話した。
あのな、俺は暴れたないねん。けどな、あないなこと言われたら無神経の極みやろ。俺の脳みそはな、生まれつき悪いことだけ覚えてええことは忘れる様作られとんのよ。神様とかに。糞な神様や。そういう糞な脳みそのせいでな、俺は気の持ちようも糞も無いわけや。ええか、壊れとる車がまっすぐ走るか?壊れとるパソコンがちゃんと起動するか?ええか?……
 延々喋り続けた。説明に熱中した。とにかくわからせようとした。わからせないと、彼らは恣意的に誤解したままになるだろうと思ったから。

 そして今、私は「自分軸についてよう考えやwwww」というお言葉を頂戴している。これについて私なりの回答は
そもそも自分軸ってなんやねん。周囲に左右されん軸のことか?そんならそんなに有難がるもんでもないやんけ。ヒットラーとかビンラディンとかオウム真理教とか赤軍とか宅間守とか都井睦雄とか長野の犯人とか植松聖とかみいいいいんな計画的犯行しとるやつは自分軸少なくとも犯行の間だけは貫いとるで。ガッチガチに貫いとる。何ならそのまま貫き通して逃げおおせとるんもいっぱいおる。そんなんでええんか?ええんやな?お前が言いよるんはそういうことや。『自分軸ってそんなに作れ作れ言えるほど高尚か?』
 である。
 しかしそれに対して友(らしき人)から苦言を呈されたのだから口を慎み私も「自分軸探し」とやらをするしかないのだろう。「ジモティー」のいない孤独な自分探しを。

 まあそんなことやっとると「お前に軸なんてないやん。死ね」で話が終わるんですけどね。

 


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