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回鍋肉の思い出

少し例年よりも暖かいと思っていた秋も、ようやく冬の様相となってきた。人肌が少し恋しくなるこのごろ、人肌じゃなく、回鍋肉で少しだけ満たされてしまう単純な心が、ここにある。

東京の味

好きになったのは、じつは実家を出てからだ。それまでは別に嫌いというわけではないけれど、数ある中華料理の中で敢えて回鍋肉を食べたいとは思わない、くらいのものだった。それが今、人肌恋しい季節に食べたいと思うくらいの好物までになったのには、いくつか理由がある。

きっかけは友人の家に遊びに行ったときに、作ってくれたことだった。その友人とはお互い、大学進学をきっかけに上京した者同士だった。学生という身分で、実家を出て暮らしていると、自由に使えるお金はそう多くはない。同じ境遇にあって、削れるところを削って娯楽費に充てるという生活。その中でせめてもの贅沢に選ばれたのが、回鍋肉だった。

こだわり始めれば色々と手を加えられるのだけれど、最低限キャベツと豚肉とクックドゥーがあれば完成する。キャベツを洗うのを手伝いながら友人が作ってくれた回鍋肉は、それはそれは美味しかった。いままでこんなにちゃんと回鍋肉に向き合ったことは、そういえばなかったというくらい、しっかり味わって食べた。幸せってこれだ、とも思った。

それからというもの、時間がなくて、それでも少し自炊してしっかりしたものが食べたいという時の定番は回鍋肉になった。味噌の味が濃くて、白米のおかずになるというのも、これまたありがたかった。

回鍋肉とパックのご飯

時は過ぎて、あっという間に大学4年の3月を迎えた。友人の一人が就職を機に一人暮らしを始めた。引っ越ししたてのその友人の家に遊びに行ったときに夕飯で食べたのも、回鍋肉だった。どういう経緯で回鍋肉にしたのかは忘れてしまったけれど、先のことがあったので私が提案していたとしてもおかしくない。

キャベツと豚肉と、それからその時は白ねぎも買ったと思う。まだ炊飯器とかはなかったから、サトウのご飯の廉価版みたいなパックのご飯を買って、ささやかな贅沢を味わった。コンビニの弁当を2人分買うよりも、下手したら安いくらいの夕食だった。でもコンビニの弁当にはないくらいの幸福感が詰まった回鍋肉と友人とのかけがえのない時間は、今思えば幸せそのものだ。

最後のまかない

それから一週間もしないうちに、東京でのアルバイト最後の日を迎えた。4年間、私の経済と胃袋を支えてくれたバイト先と言っても過言ではない。ここでも何回も書いている料亭でのアルバイトだ。支えてくれたうちの胃袋とは、まかないだ。料理人が作ってくれるからさすがに美味しい。定期的にバイト先のまかないを食べられていた日々に、今でも少し戻りたくなるくらいだ。

そこで出た最後の日のまかないが、なんと回鍋肉だったのだ。カレーとか旬の刺身とか天麩羅とかランチ定食の余りとか、よく出る定番はいくつかあったのに、その日はメニューにもない回鍋肉が初めて出た。ここまでくるとある意味、運命と言わざるを得ない。

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こっそりと写真に撮った最後のまかない。自分たちで作るより明らかに多くの具材が使われていて、当然ながら美味だった。

今、私にとって回鍋肉は、数ある中華料理の一つではない。東京で好きになった東京の味。美味しいのはもちろん、友人との思い出、そしてアルバイト先での思い出が、蘇ってくる大切な料理になった。だから、こんな寒い日には回鍋肉が食べたい。

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