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闇のあとの光(2012)/ カルロス・レイガダス監督


最後の30分泣きっぱなしだった。

少しの禍々しさも胸キュンポイントです。

なんて、そんなこと思いもよらず。
それは勿論どの映画もそうだけれど、特に今作はその前に観ていた色んなピースがぱちぱちとハマっていった瞬間から、涙を止めずにいられなくなっていた。

時系列や人物像も飛び飛びに描かれているようで、追いかけるのが少し大変だった分、繋がった時の感動ひとしお、と言った感じだろうか。

あ、でも。最後の方で何じゃこりゃ!なシーンがあって(苦手なスプラッタ)、思わず顔を伏せ、その時は涙なんて、吹き飛んでしまったけれど。笑

そういう思いがけないアンバランスさもこの作品の魅力のように思う。
最初に出てくる娘ちゃん(実際に監督のお子様とのこと)の麗しさと、その次に出てくる家族へ忍び寄る赤い生物の怪しさ、とか。

そーっとやってくる。
他には工具入れ。🛠️

ルックにしても、二重に映したり、不可思議な雰囲気を纏ったその映像は、どこか見たこともない心象世界に似ていて、惹かれるものがあった。

それでもやはり真髄は、何よりも"愛の物語"であるとわたしは言いたくて(監督の意図とは違うかもしれないけれど)、今こうして文章を書いている。

ある夫婦がいて、子どもが二人。
一見すると幸せそうで、とは言え少しの不和もあって、けれども家族仲は良く、夫婦の実際はセックスレスで、経済的には豊か。

ある夜、夫はしたいと告げる。妻は気持ちはあるものの疲れている、と。

美しいナタリア。

この前もそうじゃないかとか、そんなことが続き、そうこうしてできない時期を経てしまったら、もう夫の方も奥さんではできなくなったのか、密かにネットで欲を満たしていることを友人セブンに告げたりしていた。

そしてそこから時系列やどのくらいの時間が経ったかは明確ではないが、夫婦は混浴?のサウナへ出向き、夫には埋められない、欠けた妻の快楽を他者に埋めてもらいに行く。

こうも夫婦あるあるみたいな描写は、万国共通というか、前記事の「落下の解剖学」同様に思わず頷いてしまう。

ここで肝になるのが最初と最後に出てくる赤い生物。
これは悪魔か?神か?みたいなことが宣伝文句で書かれていたような気がするのだけれど、そのどちらでもなく、実際に訪れた誰か、なのだろう。
まだ幼い長男がその生物を見た、ということで実際とは違う得体の知れない何か、として描かれているのだと思う。
そしてそれが、家族の、もっと言えば夫婦のリズムを崩していった、とも言える。

たしかにそれは、悪魔か神か、受け取り・見る人によって違うのだろうが、言ってしまえばそもそもどの事象にも意味は付随しておらず、ただそこにそれがあった、ということだけだ。
でもそれがそこにあったことで、流れを変えてしまった、のは事実かもしれない。

夫婦にまつわる愛と性の物語は未だ人類が克服できていない歪みとか凹みみたいなものがあるんじゃないかと思う。
そこに少なからず第三者が登場したり、登場させたりして、うまく行く場合もあるし、うまく行かない場合もある、ということなのだろう。
もちろんそこには時間という要素も大いに作用しているように思う。

けれどやはり、失う時に皆実感するのだろう。
それが愛だったか、何だったか。
つまりわたしは先程"愛の物語"と言いたかったと述べたけれど、失うときにこの夫婦は、愛だと実感したのだ、ということ。
夜に誘った旦那さんのことも、サウナに行ったことも、家族旅行に行こうとしたことも、寝起きに子どもたちに襲撃されることも、全部、愛情で繋がれていたんだと、刺さった。

奥さんの決してうますぎない弾き語りと共に紡がれる家族の空間の中でそこに至る色んなことを思い出しては、心臓を貫かれた。

旦那氏が歌って、と言う。そしてピアノを弾き始める。
この関係性の美しさにもやられた。

それでそれから、泣きっぱなしだった、というわけだ。
でもただの愛の物語ではなくて、刺さった、と表現したようにわたしにはとても痛くて。
お互いに愛していても、ただあたたかいだけではないよな、と思わされてしまったからだった。

それでももっと観たい、カルロス・レイガダス監督の感性に触れたい、と無性に思ってしまう作品だった。
他作品、配信でも劇場でもどこかで観られるなら観たいな。

(調べたけどわからなかったので、もし観られるようだったら教えてください。笑)


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