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白黒つけられない感情の複雑さ

noteをはじめて2日目。まだ使い方がよくわかっていないので、まずは実際に記事を書きながら、note独自の機能を探っていきたいと思います。

というわけで、先日Twitterで投稿したツイートの引用を試してみます。

なるほど! ツイートもコピーするだけで、noteに入れ込めるのですね。これは便利。ストレスを感じることなく、スラスラと気楽に綴る「楽しさ」が実感できます。

では早速、Twitterに書ききれなかった『天才作家の妻ー40年目の真実ー』について、映画を観終わった直後に感じたことを、いくつか綴ってみます。

公開前なので、なるべく「ネタバレ」にならないように気を付けますが、正直「ネタバレ」ほどやっかいなものもない、という気もしています。というのも、人によって「ネタバレ」と感じる基準が全く異なるからです。

もちろん、サスペンスもので犯人を告げたり、映画の構造上「絶対に言ってはならないこと」を匂わせる……といった、無粋なことをするつもりは一切ありません。とはいえ、映画ライターとしていつも心掛けているのは、「その映画を観るつもりがなかった」という人にも、あわよくば「それなら観てみたい」と思ってもらえるような記事を書いていきたい、ということ。

私自身、何事もあまり先入観をもたずに「観たり・聴いたり」するように努めているので、資料も読まずに試写に行って「え!? これって、こういう映画だったの??」と戸惑うパターンも正直沢山あります。

もちろん「偶然の出会い」こそが「真の幸福な出会い」とも言えるわけですが、それと同時に「こういう映画だと分かっていたら、観たいと思う人がもう少し増えるはず」と感じる時もあったりします。

たった1本の映画と出会ったことで「世の中の見え方がガラリと変わる」という経験も何度もしているので、おこがましくもその感情を出来るだけ多くの人にも味わってもらるような一端を担えたら……と、感じています。

と、つらつら書き綴っていたら、前置きが長くなってしまいました…!

とにかく『天才作家の妻ー40年目の真実ー』を観て感じたのは、この映画で描かれるのは決してグレン・クローズ扮する妻の話だけはないということ。

ノーベル賞作家の名声に乗っかりたい野心に満ち溢れた若いカメラマンや、いやらしいほど視点の鋭いジャーナリスト、「天才」と称される父親にコンプレックスを抱く息子などなど、浮気癖のある夫の黒子に徹してきた妻の反乱に留まることなく、あらゆる立場の人々の心情も同時進行で描いているところに唸らされます。

ゴールデングローブ賞で見事主演女優賞に輝いたグレン・クローズの繊細な演技は言わずもがなですが、ヘアスタイルがそっくりなこともあって、「日本でリメイクするなら、大竹しのぶさんに演じてほしいなぁ」と勝手に空想しつつ、クローズの身に着けるコートの質感やショールの柄にも釘付けになりました。

眼鏡やバングルといった小物づかいもとってもセンスがよく、旅先のファッションの参考にもなると思います。

でも、なにより印象的だったのは、Twitterにも書いたように、40年という歳月がもたらす感情の複雑さでした。何十年も生きていると、どんなに運の良い人でも一筋縄ではいかないことにたびたび見舞われます。

「因果応報」という言葉がありますが、自分がしてきたことは何らかの形になって、良くも悪くもまた自分のもとへと還ってきます。そのたび、人は納得できる言い訳を必死で探すわけですが、表面上はどんなに上手く取り繕えても、自分の心に嘘はつけないのだということを、この映画を観ると改めて感じることができます。

とはいえ、必ずしもそれは第3者から見た「正義」や「真実」と同じであるとは限りません。人の心はもっと複雑。ましてや「何かを表現すること」の苦しさを知っている人なら、夫でも、妻でも、息子でも、娘でも、きっと共感できる要素が沢山あるはずです。

 最後に、あえて一つ細かい描写を取り上げるとするなら、妻のコートの襟が内側に折れ曲がっているのを、周囲にいるお付きの人たちが誰も直してあげないところに、この映画の登場人物たちのキャラクター造形の巧妙さがあるのでは……? と推察しました。

もちろんこれは、単なる私の深読みに過ぎないのかもしれません。でも、映画を観る楽しさは、観た人なら誰もが自由に妄想できるところにあるとも思っています。「誤読」も含めて、いろいろな解釈を披露しあうことこそ、誰かと「映画を共有する」醍醐味ともいえるのです。

画像はIMDbから引用しました。


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