「多様性」とは言うが、「嫌いなものは嫌い」で全く構いません
「多様性」とか「ダイバーシティ」の話になるとこういう言い方をする人がたまにいます。
それは「多様性は”すばらしいもの”だから、みんな受け入れましょう」という言い方です。
すると今度はその言い方に対して猛反発する人が出てきます。
「私は多様性なんか認めたくない!」、「多様性を認めたくない多様性も認めろ!」といった人です。
私は普段は多様性を推進する立場ではありますが、実は後者の気持ちのほうがよくわかります。
というのも、「私は多様性を認めない」という人は多様性そのものに対する否定というよりも「自分にとって苦手な相手とは関わりたくない」という気持ちが根底にあり、私も正直なところ自分とはウマが合わない人や、自分から見て得たいの知れない相手とは距離を取りたいと思っているからです。
こういう人に「多様性を認めよう」という錦の御旗を突き付けてしまうと、多様性を認めることが「自分にとって生理的に嫌な相手とも無理に仲良くなれ」というニュアンスに捉えられてしまうので、「そんなのごめんだ!」と反発してしまうわけです。
そんなわけで、研修など「多様性」について説明するときは次のような言い方を心がけています。
多様性のある社会とは「いろんなヤツ」がいる社会です
「いろんなヤツ」がいるということは、自分から見て不快な人、生理的に受けつけない人もいるということです
逆もしかりで、何もしていないのに自分のことを一方的に嫌う人もいます
というわけで、「嫌いなものは嫌い」でいいんです
例えば「万人から愛される人」がいたとき一人だけ「私はそいつのことが大嫌い」という人がいてもよいし、逆に「万人から嫌われる人」がいたときに「私はそいつのことが大好き」でもいいわけです。
では実際に「嫌いなヤツ」に出会ったときどうすればよいか?
社会生活であれば「関わらない」というのが一つの答えになります。
相手がいくら自分から見て許せない行動を取ってもそれが違法行為でなければその人の自由で、仮に違法行為をしても取り締まるのは警察の仕事です。
「おまえのことが許せない!」なんてちょっかいを出す必要なんてありません。
次に職場内に「嫌いなヤツ」が居た場合はどうすればよいか?
同じ職場で働くとなると完全に無視するわけにも行きません。ただし、相手と仲良くなる必要もありません。
その職場で守るべきことを守り、業務上必要なコミュニケーションだけを取って後は「適度な距離を取る」ことです。
万が一「嫌いなヤツ」のほうから自分に近づいてくる場合はどうすればよいか?
職場で言えばウマが合わない相手から無理やり仲間に誘われるようなケースです。
「戦う(誘いを断る)」と仕事に支障をきたす恐れがあり、かと言って「従う」と自分が苦しくなります。
こういう場合は難しいのですが、露骨に「あなたたちは嫌い」とは言わずに、適度に相手にしつつ距離を取るのが最善の方法かもしれません。
相手から「コイツは我々とは違うな」、「コイツとコミュニケーションを取るのは疲れるな」と思われたらしめたもので、距離を取っているうちに相手の方から去っていきます。
もっとも「多様性についての考え方」も人によって違いますので、この話もあくまで私が考える「多様性」に過ぎません。
ただ「多様性」が「万人が受け入れるべき素晴らしいこと」として語られてしまうと、逆に多様性が失われる恐れがあると考えています。
「多様性」とは本来「カオス」な状態であり、美しいものも醜いものもみんな存在している状態なので、むしろ「多様性」の現実を直視したほうが結果的に多様性が守られるのかもしれません。
最後に余談ですが、個人的にはアニメにもなった某漫画の名セリフこそ「多様性の本質」を表しているのではないかと思っています。
これでいいのだ
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